
11月17日(月)12:00~12:54 梅林堂提供 やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 は?
第61回「こんなにすごい三尻・三ヶ尻八幡神社」をお届けします。
ゲストには三尻小学校 清水修校長先生 三ヶ尻八幡神社神主の篠田満里さんに来ていただきます。
三尻小学校は 三ヶ尻小学校でないのはなぜか?三ヶ尻八幡神社とはどんな神社なのか?歴史的に興味深い三尻地区についてわかりやすくお話を伺います。知れば知るほど好きになる三尻地区の秘密をおとどけします。どうぞお楽しみに!
書き起こし
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階、FMクマガヤYZコンサルティングスタジオからお送りします。月曜のお昼は、梅林堂提供、やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~。今日第61回のタイトルは「こんなにすごい三尻・三ヶ尻八幡神社」をお届けいたします。担当パーソナリティは関根達郎です。さて今日のゲストはなんと、三ヶ尻八幡神社の神主さんに来ていただきました。篠田満里さんです。こんにちは。
篠田 こんにちは。よろしくお願い致します。
Navi お待ちしてました。
篠田 よろしくお願いします。
Navi 篠田さんは、あの神主さんということで、よろしいんですか?
篠田 はい、
Navi 何かあのこう称号というと、
篠田 神主では、三ヶ尻八幡神社の権禰宜(ごんねぎ)といいます。というのは、会社でいうと平社員のことです。
Navi ちょっとわからないですけど、そのゴンネギっていう字を書くと、
篠田 「ゴン」は権力の権、「ネ」は示す辺に弥みたいな。そして「ギ」はウかんむりでよろしくという
Navi 権禰宜というと神事を行うということですね
篠田 はい
Navi ということで、今日はいろいろ八幡神社のことについて伺っていきたいと思うんですが、本来はあの今日は、三尻小学校の校長先生が来るわけだったんですよ。本当は今日ゲストお2人だったんですけど、実はこういう事情がありまして、お便りをいただいてしまいました。ラジオネーム清水校長先生ということなんですけれども、
「本日はすいません。出演して、三尻小のことも聞いていただきたかったのですが、児童職員にも、インフルエンザ罹患者が多数出てしまい、スタジオにお邪魔できなくなってしまいとても残念です。放送は校内に流して聞いています。」
ということですね。皆さん聞いてますか?三尻地区の皆さん!ということで、
「三尻小と三ヶ尻八幡神社のつながりはずっと続けます。本当に伺えなくて残念です。」ということで、そういうことだったんですね。とても残念です。
篠田 とっても残念ですよね。
Navi 校長先生いらっしゃらない方なんですけど、実はあの三尻小学校には、三尻学の副読本というのがあるんですけども、
篠田 素晴らしい副読本です。
Navi これも、篠田さんあのちょっと一緒に関わられているよ。
篠田 私じゃなくて、宮司が資料を出して。
Navi ということで「知れば知るほど好きになる三尻小学校150年三尻のひみつ」の、ことで、いろんなことが書いてありますのでね。まず、三ヶ尻・三尻っていうところから、実は気になります。三ヶ尻っていう地区はあるのに、その三ヶ尻小学校じゃないっていうのが、実はすごく不思議だなって思ってたんですが。
篠田 三ヶ尻八幡神社は三ヶ尻八幡です。
Navi はいということは、三ヶ尻の方が古いですぁ。
篠田 とっても古いです。
Navi そうなんですね。じゃあ、本来は三ヶ尻の中から三尻というのができたということで、
篠田 そうですね。
Navi 三尻小学校の皆さんは見てますか?あの今聞いている小学校の皆さん、これすごくよくできてますね。
篠田 はい、素晴らしい副読本だと思いますね。
Navi 副読本っていうのは、いわゆる社会っていうのを教科書じゃなくて、資料みたいなの副読本というふうに言ってて、
篠田 この資料も本当にすごいです。
Navi 150周年の時に、校長先生と三尻小学校で作られたということなんですけども、さて、これを見ていくと、一番最初に知りたいのは、「三尻と三ヶ尻」の関係ということですけど まず三ヶ尻八幡神社のころからも三ヶ尻というのはあったということです。ずっと三ヶ尻八幡神社っていうんですか?
篠田 正式名称は八幡神社といいます。三ヶ尻にある八幡神社なので、通称みたいな感じで、三ヶ尻八幡神社という。日本全国八幡神社はいっぱいあるので、
Navi いっぱいあるのか、そうなんですね。では、ちょっとね、こちらの方、資料でやってみたいと思いますけれども、三尻村っていうのはあったんですね。
篠田 はい、あったんです。
Navi それから、あの三尻地区っていうのは拾六間という地名がありますね。だから、拾六間っていうところに住んでいらっしゃる方は三ヶ尻っていうところに住んでいらっしゃる方、それから新堀新田に住んでいる方があって、その3つを合わせた時に、名前を付けるとき地名を混ぜたんじゃなくて、三ヶ尻の「三」じゃなくて「3つ」という意味なんですね。 三ヶ尻と拾六間と新堀新田の3つという意味、そして三ヶ尻の尻を合わせて、三尻村とできたということなんです。それができたのは、1889年。これもだいぶ古いですね。
篠田 そうですね。
Navi でも、いかに三ヶ尻というところは、もっともっと古いところからスタートしているということなんですね。そういうわけで、三尻小学校の皆さんは知っていると思うんですけれども、3つの村が「三」それから三ヶ尻の尻を取って三尻というふうにできた。そして、熊谷に入ってなかったんですけど、後で熊谷に入ったということになっている。ここからはですね、三ヶ尻八幡神社のことについて、ずっと聞いていこうと思うんですけれども、三ヶ尻八幡神社の場所は、学校のすぐ前ですね。
篠田 はい、隣です。
Navi 学校の土地も元は三ヶ尻八幡神社ものだったと
篠田 全部じゃないんですけども。一部 元八幡神社の土地でした。
Navi というわけで、隣というかね、ぴったりくっついていてくっついています。学校の裏の門から出るとは、なんとあの正面の門じゃない通用門みたいなところがあそこから入れるんですよね。
篠田 そうですね。
Navi 神社にで、なんとそこにちゃんと鳥居ができていて、
篠田 小さい鳥居があります。
Navi 鳥居をくぐってこう入っていくと、初めて伺ったんですけれども、見てまず気がついたのが、イチョウの木ですか?木にあの木にしめ縄がついてました。
篠田 あれは杉です。
Navi 木にあのしめ縄がありました。あれがまた大事なんですか?
篠田 元の御神木といいます。あの何年か前に雷で枯れてしまったのでは、下の部分だけを保存してあります。ご神木はそこにしめ縄がかけてありまして、それは源頼義・義家様という昔の武将ですね。平安末期の武将の方が馬をとどめたという伝説の御神木です。
Navi なんと急に、先ほど1800何年って言ったんですけど、もう「源」って言ったら、もう鎌倉時代より前に
篠田 そうですね。
Navi 頼朝将軍よりも、もっと前のこと。
篠田 五代前ですね。
Navi その方がそこに
篠田 馬をつないだという伝説です。
Navi それが御神木になっているということですか。いや、それはすごいですね。そしたら千?
篠田 はい、それが1056年です。
Navi 1056年?
篠田 はい
Navi それは古いですね。そうしたら神社は、その前からあったということですね。
篠田 どうやらその前からあったらしいですね。だから、どれだけ古いか分からないんです。
Navi 私がまず見て、しめ縄のついている木があって、これはただものではないと
篠田 ありがとうございます。
Navi 学校からまず入ってね。鳥居をくぐった後に、そういわれのしめ縄というところからもぐっと入ってきますと私がすごく思ったのは、八幡神社は坂を登っていく形になってますよね。ちょうど入ったところが結構高いところだったんで、正面の入り口までは下る形になっていて、これもまた自分がちょっと勝手な想像なんですけども、ちょっと前に鎌倉に行った時には、八幡宮もそうですけどね、上っていくあのあの神社とか、
篠田 だいたい大体上っていきます。
Navi 私がよく知っているのは、高城神社なんで平らな感じなんですよ。ちょっと登りますけどね。でも、あんなに。っていくっていうのは、これ、普通神社はそういうもんなんですね。
篠田 だいたいそうですね。あのものすごい石段のある神社って結構多いですもんね。
Navi だからね、改めてここはすごい神社だなって思ったんです。話が前後しちゃって申し訳ないんですけれども、篠田さん先ほど、神主さんって言ったんですけども。そもそも出身はどちらですか?
篠田 はい。私は和歌山県の紀の川市と言いまして、「翔んで埼玉2」では、田舎の代表みたいな感じで、出た紀の川市の出身です。
Navi なんと「翔んで埼玉」に実は関わってたっていうか、
篠田 関わってないんですけど、たまたま、見てたら紀ノ川市が出てきたんですよ。
Navi これも何か縁かもしれないですけどね。そうです、そちらの出身で、熊谷に来るまでいろいろありましたね。
篠田 いろいろありました。
Navi どういう感じでこちらに就職したのですか?
篠田 奈良県の短大に通っていたので、たまたま奈良県で就職したんです。
Navi 奈良県で就職した場所がどちらだったんです?
篠田 場所は橿原神宮という神社です。
Navi なんとか神宮というところで、すごい神社ですね。
篠田 はいかなり境内が広い。
Navi 橿原神宮に就職されたとはい、そういう就職口っていうのがあったんですね。
篠田 はい、たまたりました。
Navi たまたまでもね。でも、何もないのに、なかなかそちらに行くっていうのはなかったでしょ
篠田 いや短大に求人票がありまして、たまたまそこに受かってしまったという。
Navi そうですか。でも、そういうご縁では、あの気がついたら、あの神主さんになっていたという。
篠田 あの神職は、後で資格を取ったので、入った時は巫女をやっておりました。
Navi 巫女さんだったんですね。就職をしたら、巫女さんをやるという就職だったんですね。
篠田 あのアルバイトではなく、本職の巫女というやつ。
Navi 本職の巫女、例えばどんなことをされるんですか?これを本当に知らない人がいっぱいいると思うんですけど、
篠田 一応、神職の補助的な仕事なんですけれども、大きな神社だと、神職は神職、巫女は巫女のしごとです。この授与というのがありましては、大体の事業所っていうんですけども。お札とかお守りを授与って言うんですね。買うとか売るとか言わないでくださいよ。授与するところでは、そういう仕事とか、あと神楽といいまして、舞をやらなきゃいけないのであるんですね。稽古が非常に厳しく
Navi そうことをしたいということは、いわゆるよくいい言葉はいいかどうか分かんないですけど、巫女舞ってよく言うのをされてっていうことだってですね、
篠田 まったくの畑違いになってしまいましたね。、本当にはっきりと苦労しました。
Navi でも、それをやったから現在、次の方を育んでいる。そして、あとは授与をするということです。そういう仕事ですね。
篠田 はい
Navi 巫女さんから今度は神職もできるようになったということで、今度はその資格を取ったということですか。
篠田 そうですね、熊谷市で、非常に女子の方は、その頃の神職資格を取る方が多かったんですね。私たち奈良県に住んでいたんですけども、主人の父が「取っとけばいいよ」っていうので、たまたま資格を講習会で取らせていただきました。
Navi 取ってからは、じゃあ神職もやる。
篠田 その頃は全く資格だけで、専業主婦で、子育て中心にやっておりました。
Navi そして熊谷に来られることになったんですね。はい、また奈良の由緒あるところから、どうしてその熊谷に来ていただくことになったんですか?
篠田 平成4年に三ヶ尻八幡神社の火災に遭ってしまいまして、本殿、営殿、拝殿が全部消失してしまったんですね。
Navi それは大変なことだったですね。
篠田 それでもう急きょ、熊谷に帰らなきゃいけないということになってしまいまして
Navi それは旦那様がというか、
篠田 はい、あの主人の父がそこの宮司だったので、
Navi なるほど、じゃあ、旦那さんはもともと熊谷の方だったということです。じゃあ、三尻小学校だった?
篠田 そうです。
Navi こちらにご縁があって篠田さんはこちらに来ることになったという
篠田 そうです。
Navi じゃあ、じゃあこちらへ戻ってきて最初大変だったですね。
篠田 そうですね、もう復興のことでずっとだから、平成4年に焼失して、最後完成したのが平成12年なんですね。8年間、ずっとその復興のことを仕事しながら、私は一応子育てしながら、一生懸命復興に携わっていたということですね。
Navi そして、今の形になったということですね。なるほど、この三ヶ尻八幡神社ということなんですけども、ここまで来たので、曲に行きたいと思います。篠田さん、お好きなアーティストがいらっしゃるんですか。
篠田 井上陽水さんです。
Navi じゃあ、あのちょっとあの曲を紹介していただいてもよろしいですか。
篠田 井上陽水であどけない君のしぐさお願いします。
【曲 あどけない君のしぐさ 井上陽水】
Navi 時刻は12時19分を回りました。やわらか熊谷僕らがつなぐ物語「第61回こんなにすごい三尻・三ヶ尻八幡神社」をお届けしています。今日は、ゲストに神主の篠田満里さんに来ていただいています。篠田さんは、実は、随分前からのFacebookをやっていて、Facebookであのお友達にしていただいていて、いろんなことがそのFacebookに出ているので、興味深いものがいっぱいあってすごいなと思って。
篠田 ありがとうございます。
Navi 篠田さんとは、実は学校で一緒にお勤めしてた時代もあったみたいな。
篠田 はい。
Navi 私は籠原小学校に7年ぐらいいたんですけど、
篠田 はい
Navi 最近わかった。篠田さんと同じところで働いていたと。すいません私がよくわかってなくて、私も本当にびっくりでした。その時は支援員さんとして
篠田 はい、そうなんです。
Navi 免許も教員免許を持っていらっしゃる。
篠田 はい、中学校の美術の免許しか持ってなかった。
Navi だから美術で短大は美術関係だったということですね。
篠田 そうです。
Navi だから、そういう力を生かして、
篠田 いや、全く関係なかった。
Navi そうですか、あのお仕事には生きてるんじゃないですか。
篠田 ご朱印に絵描いたりとか
Navi そうでしょうね。だからそういった感じで、あの教員免許を持ってらして、籠原小学校で一緒に勤めてたっていうことがあとでわかった。
篠田 不思議ですね。ご縁ですね。
Navi 私は夢中で、6年生の担任をしていた時に、1年生のあの子どもたちといろいろ、あのやんちゃな子供たちと一緒にやっていらっしゃっていうのは、後で分かってびっくりしました。
篠田 びっくりしましたね。
Navi だから、今籠原地区で活躍している方もいて、2人とも知っていた。
篠田 はい。共通で
Navi 今日は名前出しませんけどね。「あの子知ってる?」って言ったら、「知ってる」と、
篠田 はい。
Navi その時やんちゃだった子は、今は大活躍ですよね。話を聞いててね、もし僕のことだと思ったら、あとで教えてくださいということで、一緒にお勤めしたこともあるというのは、びっくりしました。そして、Facebookでいろいろなことを教えていただいたりして、私はちゃんといろんなことを知っていないとだめだとって思ったんです。とにかく、あの神社のことも知らなかったし、もっと言えば、八幡神社ですから、八幡神社ってすごいんだなっていうのを最近わかりました。そもそも八幡はどういう意味ですか?
篠田 はい、八幡神社の御祭神というのをお祭りしている神様は、応神天皇様という神様が、八幡神社の神様です。それはあの鎌倉時代に武士の方が大変崇敬していたということで、あの全国に八幡神社というのはたくさんあります。そういう神社です。
Navi 今聞いただけで、ちょっと私はよく分からなかったんですね。じゃあ、今度、ちょっと柔らかくいきますね。小学生をもし聞いてたらね、八幡といえば、修学旅行で有名なところがありますね。
篠田 鶴岡八幡宮ですよね
Navi そうするとね、みんな急にわかっちゃうんですよ。鶴岡八幡宮の八幡は、その八幡神の八幡でよろしいですね。
篠田 はい、一緒なんですね。
Navi お伺いしたご神木に止めたのが「源」
篠田 はい、頼義・義家様というという方です。それは頼朝、あの有名な初代将軍の頼朝公の5代前の方が行っていたということで、
Navi この八幡神社と鎌倉の八幡宮と関係があるというのがわかったみたいですね。
篠田 それが、寿永2年というんですけども、1183年になるんですね。
Navi 1183年?じゃあは1192年の前だから、幕府を開くとちょっと前ですね。
篠田 はい、源頼朝さんは皆さんご存知ですか?
Navi これは超有名人ですね。
篠田 その方が寄進状というのを書いたんですね。それに「武蔵国幡羅の三ヶ尻郷を御神領にします」ということが書いてあるんです。そういう古文書が残っておりまして、鶴ヶ岡八幡宮の宝物殿に飾ってあります。
Navi なんとこれは、やっぱり熊谷から鶴岡八幡宮に行くと、この三ヶ尻のことが書いてある書状があると
篠田 そうなんです。
Navi 鶴岡八幡宮で三ヶ尻があることを知ることなる。
篠田 はい、そうなんですか。
Navi じゃあ、ここで関わりがあるというのは間違いないですよね。
篠田 頼朝さんの直筆の古文書ですね。それが鶴岡八幡宮のあのお参りするところの左側に、細長いところに、あの宝物殿がありましては、ちょっと入場料がかかるんですけれども、そこにいつも飾ってあります。
Navi 三尻小は、そこに行くと、何かそういうのを見せてもらえるって。
篠田 そうです。ちゃんと案内してくださいました。「ここに三ヶ尻って書いてありますよ」っていうのを説明してくださってるそうです。
Navi 「三尻ってすごいな」って思っちゃいます。うらやましいなあ。「三尻の自慢」ですよ三尻小のみなさん。修学旅行に行ったら、八幡宮に行って、これを見て、関わりを知るということで、この「みかじり」っていう字が今の字じゃないですね。
篠田 はい、そうです。1文字ではない、瓦へんに長いと書いては「瓺(みか)」という字ですね。これは土器のことなんですけども、大きい瓶のことですね。それが伏せたような形というのが、観音山って分かりますか?
Navi はい篠田 観音山ね。あの近くにある山ですよね。
篠田 ちょっとした山がある。それが観音山の形に似ているということで三ヶ尻という地名ができたそうです。
Navi なるほど、その容器、そういう容器を「瓺(みか)」といって、それに似ているということで、三ヶ尻というところがついたと
篠田 はいそうです。
Navi 三尻の皆さんは、この「瓺(みか)」という字を見て難しいですね。
篠田 これは本当にそうなんですね。パソコンで出ないけれども、うちのお囃子会というのがありましては、お囃子の半纏の後ろに、その三ヶ尻の「瓺(みか)」という漢字。文字を、お囃子会の半纏に書いてあります。
Navi なるほど、ちょっとお囃子会の話も出てきちゃったんですけど、なんとお囃子会っていうのがあるんですね。
篠田 三尻小学校。この間、お囃子会が行って、4年生向けに授業をしてまいりました。
Navi ホームページで見ました。そのお囃子っていうのはどういうお囃子なんですか?
篠田 それは30年前に、神社の八坂祭っていうの、夏祭りの形態を昔に戻すということになりまして、そこでお囃子を復活したんですね。その復活した時にもう三ヶ尻のお囃子は知ってる人がいなかったので?籠原のお囃子会に教えに来ていただきました。
Navi なるほど。
篠田 それで、あの私たち世代のPTAのお父さん、お母さんが習いましては、それを子どもに教えていて、ずっと30年続いております。
Navi 30年?そうですか、そのお囃子っていうのは、うちわ祭りのお囃子みたいな感じなんですか?違うんですか?
篠田 ちょっと似てるけど、ちょっと違います。
Navi ちょっと似てるけど、ちょっと違う?その楽器は、あの太鼓と、あとは何ですか?
篠田 小太鼓3個と大太鼓、それから鉦と笛ですね。だから構成はうちわ祭りを一緒です。
Navi でも、ちょっと違うんですね。
篠田 ちょっと違う。
Navi いや、聞いてみたいですね。
篠田 あの7月にお祭りありますので、
Navi そうでしたか。これは八坂神社系だと楽器はわかるような気がする。でもちょっと違う。そのお囃子、学校のホームページではちょっと見たんですけど、「どんなんだろう」とちょっと想像しちゃって、そのお話も聞かせていただいて、また話をまた戻しますが、鶴岡八幡宮というところありまして、私もあの何回も行ったんですけれども、鶴岡八幡宮に、この宝物殿のこの書状以外には、納めていたものがあるって聞きました。
篠田 あの「大銀杏」があったときに、三ヶ尻の村の方がみんなで集まって作った大きいしめ縄を奉納していました。
Navi なんと!
篠田 かつて、
Navi ちょっと今は大銀杏倒れちゃったんですよね。
篠田 倒れる前までは、三ヶ尻の八幡神社で作って、三ヶ尻の有志の方々が集まって、みんなで大きいしめ縄を作りまして、それを奉納していましたと
Navi いうことはですよ。大銀杏の、あのしめ縄は、なんと三ヶ尻から運んで持っていって、つけたってやったんですか?
篠田 バスに乗っけて、みんなで行って、みんなで付けさせていただいて。
Navi いやー、今の小学生はあれを見ることはできないんです。でも以前に行ったことがあって、まだ大銀杏があった頃に見た人は、あのしめ縄は目に焼き付いていると思いますよ。
篠田 はい、ありがとうございます。
Navi それはなんと三ヶ尻から持っていったものっていうんですよ。
篠田 はい、
Navi 三尻小学校の皆さん!改めて三尻小はすごいですね。八幡宮の大銀杏のしめ縄は、熊谷産ということですね。
篠田 はい、そうです。
Navi 熊谷の皆さんもぜひ自慢していただいて。でもね、今はないんですよね。残念だね。早く大銀杏にになってもらいたいですけど、
篠田 だいぶ先になると、
Navi この間見てきたんですけどね。あの大銀杏、今でもこの写真が残っているのを見たら熊谷で作っているものと
篠田 あのお米もしてますので、
Navi お米も?あっ、じゃあ、お米の話になりますね。今度はこちらからしめ縄を持っていった話とかはあるんですけど、なんと向こうからも来ていただくということはあるみたいですね。
篠田 そうですね、
Navi これはなんでしょうね。
篠田 はい、御田植え祭とは抜穂祭(ぬいぼさい)というんですけども、抜穂祭(ぬいぼさい)というのは稲刈りのことですね。年に2回しておりましては、三ヶ尻の田んぼで作ったお米を新嘗嘗祭というんですけども、11月23日に鶴岡八幡宮の新嘗祭というお祭りがあります。、それに向けてのお米を鶴岡八幡宮に奉納しています。
Navi ということは、間もなく持っていくということですね。
篠田 いや、もう持っていってます。
Navi 持っちゃったんですか?じゃあまた話を戻しますね、御田植え祭っていうのがあるということ。これは三ヶ尻のところに田んぼがあって、そこに田植えをするときには、鶴岡八幡宮と関係があるということなんですね。
篠田 そうです、あの八幡宮の子ども会の「鶴の子会」というのがあります。その鶴の子会の子供さんと親御さんと、八幡宮の神職さんも一緒に来て、
Navi 熊谷にわざわざ来て、そして田植えをする
篠田 一緒に皆さんで、三尻小学校、籠原小学校、熊谷西小学校の子どもたちと一緒に田植えをいたします。
Navi そういえば、鶴の子会っていうのは、あの衣装を着てきた子たちがそうなんですね。
篠田 早乙女さんは鶴の子会、西小、籠原小 三尻小の代表の方です。
Navi そういう行事を私も実は西小学校にちょっといたことがあって、参加したことがあるんです。見たときにはすごいなぁと思ってね、厳かというか、お祈りがあったりとかして、その中でのその田植え、その儀式で、ただの田植え体験じゃないですよ。
篠田 神事をしてから、みんなで田植えをするという行事ですね。
Navi わざわざ鎌倉の八幡宮から来ると、
篠田 そうです。
Navi どうしてか熊谷を選んでくださったんですか?
篠田 それは、源頼朝さんの寄進状がありまして、それをご縁に20年前から始まりました。
Navi 20年。熊谷できてから20年と同じ感じですね。
篠田 そうですね。偶然たまたまそう。
Navi そうでしたか。三尻小学校の皆さん、聞いてたらね、これはやっぱりぜひそういう気持ちで参加していただけたらと思います。
篠田 たぶん参加した方はたくさんいらっしゃると思います。
Navi 三尻小学校は得していますね。小学校はやっぱり籠原小も西小も自慢かもしれないですね。
篠田 皆さんに大変お世話になって、もうすばらしいおやじクラブさんと、三ヶ尻の役員さん、有志の方、それから今はもう自隊隊の方まで参加してくださって、皆さんのボランティアで朝早くから準備して、田植え稲刈りが終わったら、お片づけも皆さんでやっていただいて、
Navi だって、あれをやるのに、いろんなテントとかも立ててすごいじゃないですか。こんなすごいんだと思っていて、
篠田 田植えのときは、あの苗を束にしなきゃいけないですか。手で植えますので、それを朝早く親父クラブの方が出て、みんなボランティアでやってくださっています。
Navi おやじクラブの方はとても熱心ですから、
篠田 大変助かっております。
Navi これは由緒正しきというか、こういうことはすごい大事なんだろうなと思ってやってると思います。やっぱりご縁は大事に育てていかないとですよね。そうですね。あの最初の頃に比べて、人数がうんと増えたと聞きました。
篠田 最初、数十人でやってた。三尻小だけだったんですけども、今となっては300人、400人が来る一大イベントになってしま。
Navi 三尻地区はすごい大事な場所になりましたね。
篠田 はい。たくさんの方の協力ですばらしい行事になってます。
Navi でも、そもそも、この地区は熊谷も含めてなんですけど、すごく豊かな場所だったってことですか?
篠田 そうですね豊かだったですね。石原米を代表とし大変おいしいお米や三ヶ尻と大麻生もそうなんですけども。荒川水系のおかげで、大変おいしいお米がとれる地域になっております。
Navi だからこそ、そうですね。鎌倉にもっているお米になった。頼朝公に目を付けられたというか、ここの米を奉納っていうことなんですね。やっぱりこれも自慢できることですね。
篠田 そうなんですね。
Navi 今でもたくさん、田んぼが三尻地区にはあります。
篠田 そうですね
Navi 篠田さんもの田んぼやっていらっしゃると聞きます。
篠田 そうなんですね、去年まで20年間、重田さんという方が田主さんというのをやってくださってるんですけども、ちょっと高齢になってできなくなってしまったので、実はうちの宮司家の田んぼ。借りてる田んぼですけども。今年の田植えから、うちの田んぼでお田植え祭をすることになりました。
Navi じゃあ、もうますます、あの大事な田んぼまでやっているという。
篠田 がんばって居ます。
Navi すごいですね。あとはいろんな行事があるということだったんですけども、ちょっとまた話が飛んじゃうかもしれないんですけれども。巫女舞をやっているというそれはあの三尻小学校の子どもたちがやってるんですか?
篠田 そうですね、
Navi それを篠田さんが教えていらっしゃると。
篠田 はい、三ヶ尻八幡神社の例祭。それから祈年祭、それから新嘗祭ですね。それから6月のお田植え祭のときに屋外でやっております。それ以外に、池上の古宮神社のお田植祭、それから、籠原夏祭りでゲスト出演をさせていただいております。
Navi ということは、私たちも見られる機会ってたくさんあるということですね。古宮神社というのは、星宮地区の小学校のところにある?
篠田 そうです。
Navi それから、7月の20日に籠原夏祭りでもご披露されているということなんですね。三ヶ尻の巫女舞を見てないんですけど、別のところで巫女舞を見たときにはすごい難しいなと思いました。
篠田 はい、結構長いです。大人だと。多分10日間では覚えられないんですけども、お子様たちはちゃんと覚えてくださいました。
Navi それはダンスとかっていうよりも、その振る舞いが子供たちには思えないぐらい何か厳かなんですよね。まさにね、舞ですね。
篠田 そうなんです。神楽舞というんですけども、2種類やってましては、「浦安の舞」っていうのと、「豊坂の舞」というのを大体2種類やってもらってます。「浦安の舞」というのは、紀元2600年、昭和15年にできた舞で歌詞は昭和天皇様の「御製(ぎょせい)」という短歌で、それが歌詞になってまして「天地の(あめつちの)神にぞ祈る朝凪(あさなぎ)の海のごとくに波たたぬ世を」」という歌詞になっております。それは、「世界が平和でありますように」という、そういう意味で、それが「浦安の舞」といいます。
Navi 子どもたちのやる舞っていうのは、真剣な子どもたちの様子と、服装もすごくきれいで、あれ見たら心を奪われるというか、見ている人みんな真剣に向き合うというか、改めて「神社ってすごいんだな」って思ったんですが、
篠田 ありがとうございます。
Navi 今まで本当神社っていうのは、自分はちょっとお参りに行って、パチパチってやって、自分の都合のいいことをお願いしてね、帰ってきたんですけども、なんていうか、長い間受け継がれてきたものは神聖というか、見てるとちゃんとした気持ちになりますね。私も地元の神社で、この間、掃除をお手伝いしたんですけれども、やっぱり神社っていうのは、いろんな古いものや由緒正しいものが残されていて、いろんな人の思いが長い間は詰まっていると感じました。しかも、この三ヶ尻八幡神社はですね、この頼朝公、鶴岡八幡宮とつながりがあって、そして巫女舞も三尻小の子供たちがやっていると、これはぜひ見てみたいし、ずっとやっぱり大事にしていきたいですよね。
篠田 そう体の続く限り頑張ります。
Navi 三尻じゃないと、今のところはできないということですね。
篠田 そうですね、大きいことをするのに、大体最低10日間ぐらいかかりますので
Navi それは、若いときには、篠田さんがすごく大変な思いをして習得したものを、今は子どもたちに伝えているということですかね。それでも子どもたちは受け継がれる舞ができるっていうのは、すごく誇りに思ってるんじゃないですか?
篠田 そうかもしれません。あの幸い、一回も途切れることなく、応募してくださっている子どもさんがいらっしゃるんで。平成12年からです。戦前はやってたんですけども、それで途切れて復活したのが、平成12年の八幡神社が火災になってから竣工した時に復活したんですね。それ以来、ずっと続いてまして、幸いに三尻小学校さんのご協力もありましてありがたいことです。
Navi ぜひ、続いてもらいたいし、子どもたちも歴史のこととか、いろんな今までのことを考えていただけたらなって思いますし、改めていろんな方が神社とかお寺とかも今あるものを、どうやって大事にしていくかっていうのを考えていくというのは、本当にいいことです。
篠田 熊谷市は宝の山ですから。
Navi その話は、また曲の後に聞きたいと思います。次の曲
篠田 井上陽水で「夏祭り」です。
Navi 井上陽水で届けします。
篠田 お願いします。
【曲 夏祭り 井上陽水】
Navi 時刻は12時46分を回りました。やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 「第61回 こんなにすごい!三尻・三ヶ尻八幡神社」をお届けしています。さて、お便りを紹介します。ラジオネーム、清水校長先生からいただいています。
「三尻学副読本を見てますよ。社会とか総合的な学習の時間でも活用してます。それから、本日はスタジオに行けなくてすみません。全校放送で聞いています。三尻小も三ヶ尻八幡神社もこれからもつながっていきます。12月3日4日6年生、修学旅行でお世話になります。4年生もお世話になりました。お囃子も興味深く、4年生児童は聞いていました。地元の子どもたちが、お囃子を伝えていくよう、ふるさと三尻を愛し続けてほしいです」
と、清水校長先生からいただきましたです。もう1つ、お便りをいただきました。ラジオネーム三尻小学校前校長、長谷川雅夫さん 長谷川先生からいただきました。
「こんにちは。三尻小学校前校長の長谷川です。在任中は、三ヶ尻八幡神社、篠田宮司さんご夫妻には、大変お世話になり、ありがとうございました。八幡神社は、三尻っ子たちも学習のみならず、神社のお祭りや、地域の活動でも、大変お世話になっており、三尻小学校にとってはなくてはならない場所になっています。子どもたちの心のふるさとにもなっているのが三ヶ尻八幡神社です。三尻っ子の皆さん、お元気ですか?これからも、副読本を使うだけでなく、篠田さんからいろいろなことを教えていただき、三尻について探求してくださいね。知れば知るほど好きになる三尻のこと、そして、熊谷のことをいっぱい知って、熊谷を大好きになってくださいね。パーソナリティの同級生、関根たっちゃん、いつも楽しい番組作り、ありがとうございます。応援していますよ」
といただきました。
篠田 先生、ありがとうございます。
Navi ありがとうございます。聞いてくださって。三尻小学校の皆さんも聞いてくださるということです。お届けしていますが、先ほど、ちょっと出たんですけれども、熊谷には宝がザクザクという。これどういうことですか?
篠田 「踊る埴輪」ですね。
Navi ここでなんと篠田さんから踊る埴輪の話が出ました。これはどういうことですか?踊る埴輪はね、熊谷から出たっていうんで、有名にはなっていましたか?
篠田 いや私は「まだ有名ではまだありません」と思います。
Navi そういうことですか?
篠田 去年だったと思うんですけども。東京国立博物館で、「埴輪展」というのがありました。
Navi はい、ありました。
篠田 それをたまたま見に行ったんですね。そしたらすごい階段を上ってすぐ左側のすごく素晴らしい綺麗な大きな部屋に、真ん中に「踊る埴輪」がきれいなガラスケースの中に2体は展示されておりまして、それを見ている方々が、たぶん、百人以上いらっしゃったと思うんですけど、皆さんがスマホを持って撮影していらっしゃるんです。その中心に熊谷の踊る埴輪が2体鎮座しておりまして、非常に私はすごいことだなと思いました。
Navi ちょっといいですか?奈良の橿原神宮でお勤めになっていた篠田さん。奈良って国宝ザクザクじゃないですか?
篠田 そうですね。
Navi その方が熊谷で宝がザクザクって言ってくださるのは
篠田 そうすごいです。踊る埴輪以外にもすごい文化財が本当にたくさんある地域だと思います。
Navi そうなんですか?熊谷にいるとね。もちろんそういうの聞いてるんですけど、奈良にいた方とか、他から見た方がそういう言ってくれるって、やっぱりあんまり知られてないってことですかね。
篠田 そうですね。割と熊谷市民に「踊る埴輪は熊谷出土なんだよ」って言っても、「知らなかった」っていう人が大変たくさんいらっしゃいます。三ヶ尻にもたくさん縄文時代の三ヶ尻全体が縄文遺跡ですので、それぐらいザクザク出るっていう話はたくさん出ております。
Navi 昔からやはりそこは栄えていた場所ということなんですよね。
篠田 昔から、縄文時代から人が住んでいるところが、熊谷もあちこちに縄文遺跡あるんですけども。熊谷市なんですね。
Navi ずっといたりね、ここに住んでいたりすると、気づかないことっていうのは、
篠田 そうですね、
Navi 私たちが本当はもっと気づいて。そして、もっと知って、大事にしていくということが大事ですよね。
篠田 そうですね、
Navi 篠田さんに、この熊谷の話をされて、「あっこれも知らなかった。あれも知らなかった。」ということや、埴輪展も行かなくて、今からじゃできないですもんね。そういうことを改めて学校もそうなんですけど熊谷の人に知らせていきたいです。
篠田 そうですね。熊谷は本当に考古学の宝庫だと思いますね。
熊はい、そうですか、その幡羅官衙遺跡(はらかんがいせき)っていうのは今調べてますよね。
篠田 それ以外にも本当にたくさんある。たくさんありますよ!
Navi 調べている方もいらっしゃるんだけど、やっぱりあの普通に住んでいる私たちがもっと知っていくことですね。
篠田 そうですね。
Navi そして、「知れば知るほど好きになる」って、さっき長谷川校長が言っていました。
篠田 そうなんです、やっぱり、知ることが大事ですよね。
Navi 私も実は知らないことばっかりよね。篠田さんに教えてもらってありがたかったんです。実は全然まだ話の1/3ぐらいしかなくて、これからも教えていただきたいんですけど時間になっちゃって、三尻小学校の子供たち、聞いているということで、何かメッセージがあったらお願いします。
篠田 神楽おしえている篠田先生です。舞姫さん、また募集しますので、やりたい人は来てください。
Navi 今日は「こんなにすごい三尻・三ヶ尻八幡神社」をお届けしました。今日はゲストに神主の篠田満里さんに来ていただきました。今日は本当にありがとうございました。
篠田 ありがとうございました。
Navi あの本当はもっと聞きたいので、また来てくださいね。
篠田 はい、ありがとうございました。三尻小のみなさんありがとうございました。