石原小の初代校長田島辰五郎先生について
・明治26年から校長になりました。
・大正9年2月11日 文部省より選賞を受ける。
・熊谷町青年団と一緒に寄付をして学校内に井戸を2カ所設置。
・昭和2年4月24日 頌徳碑が建立される。(現在 北西部にある石碑です)頌徳碑とは、個人や団体などの偉業・功績を讃えるために建立された碑のことです。
・長年石原小の校長として功績をたたえるために 謝恩会の人たちによって建てられた。3000人の人が薫陶をうけた。
薫陶受けたとは人徳や品格のある人物から影響を受け、人格が磨きあげられることです。
謝恩会の人たちとは 有志がたたえるために謝恩の会を起こした。メンバーは帝国教育会会長 柳沢政太郎 第一高等学校 菅 虎雄 伊藤啓助
・大正15年惜しまれつつ職をしりぞいた。
以上 石原小学校90年のあゆみより
初代校長の田島辰五郎先生の碑が学校の北西にたっています。碑の中身を頑張って読んで書いてみました。
帝国教育会長正四位勲二等文学博士澤柳政太郎額弁撰文田島辰五郎先生は明治元年四月大里郡寄居町大字末野に生る小学校卒業後南埼玉郡岩槻町和議塾に入りて漢学を修めさらに埼玉県尋常師範学校に学ばる明治二十二年四月同校を卒業し南埼玉郡四丁野学校大里郡久下学校に奉職せらる明治二十六年五月石原小学校訓導となり同年十一月同校々長を兼不尓来勤続三十餘年先生至誠一貫子弟の教育に尽瘁せられる門弟三千皆其の徳を仰いで郷党の誇と部下教員無慈父の如く其の風を慕ふ此の間教員養成所の講師となり教育講習会会頭に任じ又郡教育会評議員郡青年団幹事となりて広く郡内教育の事に地ひ貢献せらるる所頗る多しこれを以て属貫聴の表彰する所となる大正八年八月勲八等に叙せられ瑞宝章を賜り翌年紀元節の佳辰には文部大臣より小学校教育功績状を賜り選奨の光栄に浴しさらに同年十月賞勲局より銀杯一個を賜る大正十五年三月病をもって退職せらるるや町内有志及び薫陶を受けたるもの相議りて謝恩会を起こし碑を建て以て永く先生の徳を伝へんとす近来の美事と謂うべし 大正十五年十一月第一高等学校教授従四位勲四等菅虎雄書
簡単にいうと「田島辰五郎先生は寄居に生まれて小学校卒業後勉強して 埼玉師範学校でまなび 久下小学校から明治二十六年石原小訓導となり、校長になり三十年以上勤めた。子供の教育に尽力し、教員養成につとめた。様々な表彰をうけた。大正十五年退職したが、たくさんの人がこのご恩を碑として残した。」と言うことだと思います。
裏側はシンプルです「田島先生謝恩会」