3月30日(月)12:00~ FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語は?

第81回【荻野吟子の志を世界へ】をお送りします。

ゲストは NPOめぬまボランティアガイド 阿うんの会 会長 増田哲也さんにお越しいただきます。

不屈の闘志で日本初の女医 になった荻野吟子女史

3月に生誕祭をおこない、たくさんの人が荻野吟子の功績をたたえました。熊谷 妻沼 出身で日本初の女医になった荻野吟子を生誕地俵瀬の荻野吟子記念館でいろいろな人々にガイドを行っているNPOめぬまボランティアガイド阿うんの会の活動をご紹介します。そして今年11月23日 荻野吟子女史のことを熊谷さくらめいとで舞台にして見せることに関してもいろいろとお話をを伺います、さらにこれからの吟子記念館の活動、そしていかにいろいろな方がが応援してくださることも期待されています。どうぞお楽しみに

Navi 時刻は12時を回りました。 AZ熊谷6階、FMクマガヤYZコンサルティングスタジオからお送りします。 月曜のお昼は梅林堂提供「やわらか熊谷ぼくらがつなぐ物語」 今日は第81回ということで 「荻野吟子の志を世界へ」というタイトルでやりたいと思います。今日はNPOめぬまボランティアガイド阿うんの会の増田哲也さんに来ていただきました。 こんにちは。

増田 はい、こんにちは。

Navi 増田さんは、 いつも増田てっちゃんって言ってるんですけど。

増田  どうぞ。

Navi てっちゃんっていう人は熊谷に…。

増田 たっちゃんって言ってる。

Navi ああ、そうそうそう。 熊谷にはてっちゃんっていう人がいっぱいいて。 そのうちの1人が増田てっちゃんということなんですけどもね。「荻野吟子の志を世界へ」っていうのは、 これ何でしたっけ。 新聞のタイトルをいただいちゃいました。 ああ、本当。 埼玉新聞にそういう風に書いてありました。 この間、吟子記念館の生誕祭にお伺いした時に、 その新聞のタイトルがすごく目に入って、「 これだ!」と思ってね。 今年生誕祭でお話もしたし、 いろんなことがその吟子さんのことであるんですよね。 それで、勝手に私は「荻野吟子イヤー」っていう風に言っちゃってるんですけど。

増田 いいですね。 だってね、こういう時っていうのは結束して盛り上がらないと…。 集中してね。 はい。

Navi  今までもずっとずっと増田てっちゃんは、 このことについてはもうやってこられていて、 すごいなっていうのをもう遠くから見てたんですけども、 いよいよ今年集中するっていうのは大事かなっていう風に私は思ってるんですけども。

増田 はい。

Navi  ところで、松田てっちゃんさん、 最初にいつもゲストに来ていただいた時には、 聞く話が「何小学校ですか」っていう話なんですよ。何小学校ですか?

増田 えーとですね、 吟子が生まれたのは秦小学校です。

Navi 秦小の出身ということですね。 当時は妻沼町にはなってたんですね。

増田 なってましたね。

Navi 妻沼町立の秦小学校出身と中学校は?

増田 初めはその敷地内に両方あったんですよ。校舎が違うぐらいで。 それが。何年後かな。分かれてね。結構距離が離れたところに中学だけ作ったわけですよ。初めはみんなそういうシステムが多かったみたいね。

Navi それで、秦中出身ということですよね。なんか、秦小出身だけじゃなくて、荻野吟子さんに関わる何かあったみたいですね。

増田 うちの祖父が、秦小学校の教頭をしている時に、校長から校長会で、 「秦の偉人の発表するんだ」と。「 じゃあお前、ベスト10を見つけてこい」っていうんで。

Navi ベスト10?

増田  で、第1位に荻野吟子を挙げて、 その書類がまだ秦小に残ってますけどね。

Navi じゃあ、増田先生のおじいちゃんに当たる方が、 教頭先生で、「校長会で発表するために資料を持ってこい」といわれて作ったという資料。

増田 そうですね。

Navi でもそれまでは、あんまりそういう発表する機会っていうのは、 荻野吟子さんではなかったんですね。

増田 今はもう皆さんあちこちで出てるんですけど、 それまでは、もちろん有名な方ではあったかもしれない。 でもね、一般の人は知らなかったと思いますよ。 はあ。

Navi そうでしたか。

増田 だって、一番如実にわかるのは、 瀬棚町で吟子がね、ここで吟子っていう子をつけちゃうことですね。 正式には「吟」ですけど、江戸時代に生まれてますから、 瀬棚町でその吟子の記念碑を作った時に、妻沼の町長のところへ招待状が来て、「これは何だ?」と、そのくらい知られてなかったと。

Navi 妻沼では? じゃあ、秦地区では知られてたの、妻沼では知られてない。

増田 そうですね。秦でもね、そんなに知られてなかったですね。

Navi そうですか。ちょっと今また話戻しますけど、 瀬棚っていうのは、荻野吟子さんが病院っていうか、ちゃんといろいろやったのが瀬棚。

増田 そうですね。

Navi 北海道の瀬棚町。

増田 そうです。

Navi 最近いろいろ勉強になって、分かりました。北海道の瀬棚町、この間なんか吟子由縁の

町のものを観光案内所で売ってたりとか。 病院とかもやっていた。瀬棚町の方から妻沼に来て、そこで、そういう人がいるんだというふうに、 だんだん、実は妻沼出身だったと。

増田 そうですね。だから結局向こうの方が、瀬棚の方が、人口人工に対して何つうんだろうね、声大だっていうことをね、先に気づいたっていうか、 まあ第1号がね、瀬棚町ね、当時あのニシン漁で爆発的に人口が増えた街で、 そこで吟子は多分一生のうち一番活躍したんじゃないかと思いますね。 なぜかっていうと、もう東京時代から女性解放運動やってたんですよ。被災地に何か物を送ったりとかね。 あと「男尊女卑のその時代をどうにかしたい」という。瀬棚では、まず当時は明治の瀬棚って言ったら明治30年ぐらいだから まだまだ学校が完全にどこまで隅々までできてなかったんで、日曜学校を作ったんですね。それから女性の地位を上げるには、家庭内で 女性の地位が高くならないとダメだと 「じゃあ女性に教育しよう」ということで、女性を集めて衛生教育をやったりしたんですね。それが認められて、今、瀬棚町の公立病院が、「荻野吟子記念瀬棚町医療センター」っていう名称になってるんです。

Navi 名称が、荻野吟子さんの名前がついた病院があるってことですか。 はぁ~。 そうですか。

増田 こっちじゃ考えられないでしょ。

Navi  はい。 いやいや、考えられないけど、考えた方がいいかなとは思いますけど。 いや、それを聞くとやっぱり、瀬棚に行ってみたいなって思います。

増田 そうですね。 だって当時ね、瀬棚町っていうところは、 今3000人ぐらいの人口だけど、ニシン漁で1万人近くいたでしょ。 男の医者が他に4軒あった。 それでも今の町立病院の名前を吟子にするっていうことは、それだけ活躍したっていうことだと思うんですよね。

Navi そうですよね。

増田 記念公園もあるし。

Navi  え、公園?

増田 公園もあるんですよ。

Navi 吟子記念公園があるんですか。

増田 そこに吟子像があるんですね。石像、石で作ったのが同じものはが瀬棚、それから妻沼道の駅、それから吟子の生家の長屋門が移築されている千代田町の光恩寺 それから最後に、吟子の墓地がある池袋の雑司ヶ谷霊園ですね。そこに4つ同じ像があるんです。

Navi そこにも石像があるという。じゃあ石像がある場所は4箇所。

増田 4箇所。

Navi ありがとうございます。

増田 熊谷の一番大きな石材屋さんが作ったんです。

Navi そうでしたか。 でもそれはすごく大事なことだし、今じゃ聖地巡礼じゃないですけど、 いろんなところもあるとなると、瀬棚町行って、光恩寺行って、 私が初めて今度4月の4日に光恩寺のなんとかマルシェ、 あのなんかコンサートはなんかチケット売り切れちゃったっていうんで、 光恩寺行くの行ったら、じゃあそこに石像があるってことですか。

増田 そうですね。

Navi 嬉しい。目標ができました。

増田 それから合格のお札も売ってるし。

Navi そうですよね。なんかそこはなんか合格するっていう、ゆかりの地になってるみたいですよね。 それは荻野吟子パワーっていうことですか。

増田 そうですね。

Navi すいません。なんか話がそっち行っちゃって申し訳ないです。 いやもう本当に貴重な話を伺ったんですけど。

増田  聞いてる方には順序だってないんで分かりづらいでしょうけど。

Navi ありがとうございます。 そして中学校行って、高校行って、増田哲ちゃんは学校の先生だったんですけど、 だけどすぐ先生になったんじゃないって

増田 何しろ田舎者の中で東京に憧れてたんですよ。三菱商事という有名な商事会社を尋ねて行ったら丸の内は、 熊谷の田舎から行ったから「すげえな、こんなところに勤められるんかな」と思ってね。 で、私の能力じゃ三菱重工じゃ無理だったんですよ。 その子会社へ入れてもらったんですよ。

Navi でも丸の内に勤めたんですね。 じゃあかっこいいじゃないですか。

増田 1000人ぐらいの使用者で英語ができなかったけど 一応、貿易の方をやらせてもらってね。

Navi そうだったんですか。

増田 単なる憧れで行っただけで

Navi そして私が初めててっちゃんに多分どっかの学校現場だったと 思うんですけど、先生になったんですよね。なんで先生に?その丸の内から転身したんですか?

増田  やっぱりあの商社は物売るですからね。一応その人の能力がわかるわけですよ。 この会社の新人は45人ぐらい入って、 このくらいかと。そういう悩んでる時にちょうど後輩が 小学校の先生をサッカーやって、 生き生きやってるんで、いいなと思ってね。親父も教員やってたんで、 結婚してもう子供が2人目ができる時ですから、 会社を辞められない。会社に行ってるうちに。通信教育で取ろうと。 明星大学っていうところで通信に行ってね。まあ、音楽は何回も落ちましたけど。それで臨時採用で昔、産休代員みたいなので妻沼小で10ヶ月やって。  それから試験に受かって、正式に小島小。

Navi 小島小。 今は休校っていう形ですけど、妻沼小、小島小とそのあとは妻沼の学校ですか?

増田 それから太田小、社教主事の免許を取らせてもらったんで。岡部の教育委員会にいって。

Navi 社教主事、社会教育の担当ですもんね。

増田 そうですね。

Navi 今の仕事にちょっとちらっとヒントがありますね。教育委員会に行かれて、その後はまた。

増田 学校へ戻って。大里吉見小学校1年行って、それから西中学校。

Navi 妻沼西中。

増田  で、管理職になって。それからまた熊谷へ戻って何校か、熊谷西小、

Navi 私は西小に勤めてた時じゃないと思うんですけど、 私は西小の出身なので、そこでお会いしたのかもしれない。 いつも増田先生には声をかけていただいて、本当にありがたかったなと思って。 そして、最後は

増田 小島小中学校。そこで退職して、嘱託で熊谷の中央公民館に6年。

Navi これ、やっぱり、社教主事じゃないですけど、社会教育に関係してますよね。 公民館でいろいろな講座とかっていうのもやられて。

増田 そうですね。次はいよいよ今の状況に近くなってくる。もう66で辞める前、2年ぐらい前からその妻沼の阿うんの会の新人講座。年12回ぐらい受けるんかな。

Navi そうだったんですか。講座が。 あるんです。

増田 一発でデビューはできないから。

Navi そうなんですか。

増田 それでね。2年目ぐらいに会長になって、そのままずっとやってるからもう。

Navi 2年目で会長ですか。

増田 長すぎたんです。

Navi いやいやそんなことないです。 それで私が声かけてもらって、また一緒にお仕事ができたのが、 妻沼小学校の校長をやってる時に、阿うんの会で聖天様のガイドをやっていて、 子どもたちの「聖天様マスター」っていうのを会の皆さんに見ていただいて。本当に子供たちは一番阿うんの会のとこに行くところが緊張して。今でいう、今中学生とか高校生の面接、入試が多いじゃないですか。 私のイメージとして、子供に面接に強くなってもらいたかったんです。だから6年生の最後の試験は、阿うんの会の前でガイドをするという、 最後の最終試験。 校長に聞いてもらって終わりじゃあんまり権威がないし、 はじめはガイドの内容を子供に聞いてもらったり、親に聞いてもらったり、最後は本物の方に聞いてもらってって思って、皆さんあの黄色い、 あの時は当時は黄色いジャンパーを着た方がたくさん学校に来てくださって。 で、最後に試験として聞いてくださって、本当にありがたかったなと思って。

増田 うちとしても初めての、こういう企画をしてくれたんで、 これはまあチャンスだということで。富岡かどっか製糸工場で子供のガイドがいるところあります?

Navi あります。

増田 そういうとこね。そういうのもヒントですよね。

Navi だからその後でもお話することになると思うんですけど、子供たちって勉強しただけじゃダメで、聞いただけじゃダメで、自分から何か幼稚でも自分で話せるようになった時が本物なのかなって思ったんで、繰り返し勉強したことを発信できる。発信は子供同士で言うんじゃなくて、やっぱり大人に向けてやった時、子供は本当に真剣になって。そうですよね。

あの時、阿うんの回の皆様に間違えたところがあったら、子供だからいいよじゃなくて、きちんと直してもらったじゃないですか。ありがたかったなと思って。

増田 みんな孫がいるような歳だから、それも楽しいんですよね。 子供たちと接するのがね。 Navi あうんの会の方々っていうのは、それぞれが勉強して、そしてそれぞれが愛があるじゃないですか。 妻沼愛というか、郷土愛というか。

増田 当時ほとんど地元の方でしたが、 今。 旧熊谷の人が結構いますけどね。

Navi 私はすごい会だなって。その時はお世話になっちゃったって思うんですけど、考えてみると、そういう方々がいろんな地域を作り上げてるんじゃないかなと思ったり。そういうあれを見て、子供たちもね、そういうのを見習ってもらいたいなっていうのを。本当に皆さん生きる手本で、本当に格好良かったっていうか。

増田 やっぱりあの学校側から来てくれっていうのはね。他にあんまりなかったわけですよね。関根先生がそういうふうにやってくれたおかげで。出前は旧妻沼町の学校へ広まっていたんですよね。

Navi だから実際の場面もそうだし、今でも、まあ今は舞台を荻野吟子さんのとこに移してっていうところなんですけども、でも皆さん集まってる方々はもう誰もが同じことを言わずにね、それぞれがそれぞれ思ってるなと思ったんです。 じゃあこの阿うんの会のことについてはですね、曲の後にいきたいと思います。ここでリクエスト曲を。何でしょう?

増田 八代亜紀のね。これでいいんですかね?私が好きだった「愛の終着駅」

Navi  はい、お願いします。

【曲 八代亜紀 愛の終着駅】

Navi 時刻は12時24分パイリン堂提供「やわらかくまがや」ブックラがつなぐ物語 第81回「荻野銀子 の志を世界へ」をお届けしています。 ということでですね、現在のNPOボランティアガイドあうんの会の活動で、荻野吟子記念館を教えていただけたらと思うんですけど

増田  吟子記念館は、熊谷の本当の外れのね、今は熊谷市俵瀬っていうところですけど、 本当に不便なところなんです、今も。分かりづらいし、利根川と福川に挟まれた窪地って呼ばれてるんですよね。外から見ても分かりづらい。ただ、一般来ていただければ他で見えない景色が見られます。今堤防に菜の花が綺麗に咲いてるしそれから、 関東学生航空連盟っていうのかな、正式な名前はわかんないけど、大学生がグライダーの練習をしてます。それから日本でも 唯一無料の渡し船が 葛和田から隣の千代田町まで舟ですよね。 これは時刻っていうのはありません。 埼玉側に埼玉側っていうのは、熊谷葛飾間の定期バスの終着点、利根川河原なんですね。そこにちっちゃな小屋がありまして、そこに黄色い旗を上げるようになってるんですよ。そうすると、管理者は対岸の千代田町にいるわけですよ。 小屋があって、双眼鏡で見てるんですよ そして、旗が上がったなと分かれば、本当に5分ぐらいで迎えに来てくれるますから 無料ですからね 20人ぐらい乗れるし、本当に風光明媚っていうかね他にも渡し舟の跡っていうのがありますけど、 現在実際に行われているっていうのは本当に数少ない なぜあるかって言いますと、熊谷舘林線っていう県道なんですね。ですから、 まあ、利根川の中を走ってるんですけどね。 まあ、利根川の流れっていうのは、時代によって変わるだろうし、昔は道があったのかどうかわかりませんけど、今はそういう風にしてますね 、私が高校生の頃は群馬の館林高校とか大泉とか行くのに みんな渡し船で行ったんですよ. 自転車も積めますから 今もバイクまで積めますからね

Navi そうですか

増田 最短距離っていうかね そういう面もずいぶん役立ってるんじゃないかと

Navi それは最短距離ですよね だって回ったら本当に利根大堰か刀水橋ですよね

増田 そうなんですよ

Navi もう何倍もかかっちゃう この船はFMクマガヤのパーソナリティーの方でも乗った方がいて 話聞いて私も乗りたいと思っていました あばれ神輿とかも見に行ったんだけど これだけはまだ乗ってなくて だからこれは 千代田町を結ぶということで 先ほど言った荻野吟子さんの生家の長屋門が千代田町にあるという これもやっぱり関わりはあるんでよろしいんですか

増田 えーとですね そのなぜ光恩寺っていう寺に移築したかっていうのは、未だはっきりはしません。 ただちょうど明治の初めから中頃にかけてその光恩寺、馬鹿でかい寺なんですよ 全盛期には末寺を3000持ってたっていう それが全焼しちゃったんですね。 ちょうどそれから吟子の生家がある俵瀬村がちょうどその頃は65軒ぐらいあったんだよ。今は45軒だけど、 その中の5軒ぐらいが、そこの檀家になってたんです、ー説によるとそういった関係もあるんだろうと言われています.地元の寺に移そうとしたけど、 長屋門が大きすぎて、 収まらないから、 そうやって移したとかね。

Navi じゃあ、川を越えたんですかね。

増田 そう。すごいんですよ。 じゃあ、どういう風にして運んだかわかりますか?   船橋を作っちゃうんですよ。

Navi  ええ?

増田  船を横に何十艘も並べてその上に、板敷いて道路にしちゃうんですよね。

Navi はい。

増田 よく戦国時代に、兵士を運ぶのに使った。 その写真がまだ吟子記念館にありますけどね。

Navi 昭和の初めにやったんですか?

増田 いやいや、初め頃まであったみたいですね。

Navi  こっちに?

増田 こっちっていうのは、船橋に繋がっちゃってるから。

Navi  船の橋はずっとあったってことなんですね。

増田  昭和の初期にあるんですよ、その写真が途中はなくなったか。何かの関係でまた作ったか。 吟子の場合は、明治だからね。

Navi その長いものを写したんだね。 そうだったんですか。 じゃあ、そこを通って、川を渡っていったってことですよね。

増田 それは千代田町の町誌にも書いてあります。

Navi どういうふうに?運んだかっていうのがのこってるんですね。 ゆかりの地、光恩寺ということでね。 それもいろいろ勉強になってきたなと思うんですけど。 いろんな、先ほどのグライダー場、そして渡し船があって、 そして菜の花がきれいな土手、そしてそこの近くがその記念館ということですね。 そちらの方で、今阿うんの会の方々が活動されてると思うんですけども、 記念館に行ってどんなことを皆さんやられてるんですか?

増田 もちろん受付の表を出してもらうわけですよね。で、それには紙芝居。それからマジック。 それからガイド。 展示室のガイド。 それを選ぶようになっています。 それを全部選んでもらっても結構なんですけどね。 そこでやる場合は無料です。出前に行く場合は交通費ぐらい頂くようになってますけどね。去年、7年度の集計を今の時期3月は梅雨なので、だいたい手前銀行記念館でやるも出前とするとだいたい年間40~50件で、そこに参加人数が100~1000人ぐらいですね。

Navi そこに行けば、紙芝居で吟子ってどういう風な生い立ちだったりとかそういうのを知ることができるということですよね。 私もちょっと紙芝居も見せていただいて、 あとはやっぱりガイドの方があらゆる質問に答えられるっていう、 そういうイメージですけど、「わかんないのは後日調べて連絡します」ってね。

Navi 紙芝居もそうなんですけども、 皆さんやっぱりすごくやっぱり勉強されていて、 あとは先ほど言った、マジックって楽しませてくれるわけですよね。 そういうのがあったりとか、 あとあの展示の紹介も丁寧にしてくださってるのを見させていただいて、 これは本当にありがたいなと。

増田 だからやっぱりそうですね、 もっともっといろんな方に吟子記念館に行っていただいてって、 自分は思うんですけども、

Navi 常時は誰かいらっしゃるんですね。

増田 常時勤務者がいて、その人がガイドをします。

Navi 聞けばその方は教えてくださるってことですよね。 ということは常時行って大丈夫ってことですね。 あとはその時間は9時から5時までですね。駐車場もちゃんとあって、結構な人数で行ってもね、 あったかい部屋があったり、 そういう場所なんだなっていうのを改めて分かって、

増田 そうですね、

Navi ご解答してくださる方もみんなあったかいし、 夏は多分あそこも涼しく。 そうなんですよね。 だからね、すごくいい場所でっていうのは私も分かりました。 やっぱりすごくイメージに残っているのは、 あんまり今 荻野吟子さんの話っていうのは、 一番にお医者さんになった、女医さんになったっていうのを聞くんですけど、 やっぱり紙芝居なんかを見てて気がつくのは、 昔の男尊女卑の時代の女子の道を切り開いたっていう。

増田 もう大変なもんですよ。まして、生まれが名主のうち ですから、苦労はないわけですよ 普通の家だと百姓ねもう朝から晩までやらせられて あるいは奉公に出される そんな時代 学問はできるわけですね 裕福ですからね で、塾行ったりもただ女性が 職業を持つっていう 時代じゃないからで、まして 医師の道っていうのは 女性には閉ざされてましたからね 学校も男だけ ですからそれを多分 私は医者になるんだと 離婚してきて友達とか近所とか 親に言ってもこの子は何言ってるんだろうと

Navi まあ今ではこんなこと言ってると道がないんだから、制度がそれだった中でを苦労に苦労を重ねて綺麗に開いたっていうのは偉大偉だなって思います。 詳しいことは多分なかなか出てこないと思うんですけど、 何人もの方に「やめときな」とか、そう言われていたと思いますね。そしてあのまあ、昔は「女のくせに」じゃないですけど、 そういう言葉がすごくあって、それが今はそういうことは、差別でダメっていうのは、 今だからわかんないかもしれないけど、でもその昔の時代背景っていうのは、 すごい大変な中での、そのパイオニアというか切り開いた、 その途中は意思の 強さとか、あと、自分のためだけじゃないんだと思うんですけど。 お医者さんなんて自分のためになることじゃないじゃないですか

増田 そうですよね。

Navi 「人のために」という強い意志を持ってやったっていうことを、いろんな方に知ってもらいたいし、 それが秦の出身の方ってあんまり知られてなかったのを、 どんどん今は広げてということです。 だからその志っていう題名にも今日あるんですけどね、 志って何だろうっていうのをやっぱり考えてみると、 医者になるだけじゃなかったんじゃないかと。誰もやってないことをやるとか。実現にむけては大変だったんだ、その「大変」をいろいろ考えていくのが、 もしかしたらこの1年なのかなって自分は思っています。 あと「世界へ」っていうのがあるのは やっぱりいろんな人に伝えるって大変ですよね。

増田 そうですね。

Navi それをやってらっしゃるのは、 阿うんの会の皆さんじゃないんですか。

増田 まだまだね。世界へまでは。

Navi ただそのそのくらい世界に発信できるくらいな荻野吟子の功績っていうのはあると思うんですよね。 それを今の時代の皆さんに伝えるって言っても、こんなSNSの時代だって。 本当に広げるって難しいじゃないですか。

増田 だからね、紙芝居とか出前の講演会で言わせてもらって、会場で必ず言うのは「その時代にタイムスリップしてくれ」と。 じゃないと、今の常識と駆け離れてるから、ピンとこないですよね。つい講演に行くと、時代背景や周りのことをいっぱい喋っちゃってね、アンケートを取ると、 「もっと吟子のことだけにしてくれ」「余分なことはいい」とか、いろいろ意見があるんですよ。でもね、つい秩父音頭まで出てきちゃうからね。 その時代の苦しさとか。

Navi でも時代背景っていうので、さっきタイムスリップするってすごくいいこと。その時代になって、これをやるのと、今の時代でこれをやるのじゃ、 大違い っていうのをやっぱり知ってもらわないと、その価値っていうのはわからないと思うんですよ。 だから、「え、こんな理不尽なことがあった、こんなことが昔あったの」っていうことも、私でも多分その伝えたくなるなっていうのはわかるので、そういう風にやられてるのはやっぱり当たり前だとは思うんですけどね。 だって時代は変わりますよね。

増田 そうですよね。 今の時代は便利になったりしてるかもしれないけど。だってあの、吟子が東大に入院する時は、明治2年ぐらいかな?鉄道が熊谷まで開通したのは明治16年だから、 どんな交通手段で行ったかというと、吟子の日記に書いてあるんですが「 親戚の船で3日かかった」とそれもエンジンが付いてるんじゃないから。風ですよね。

Navi 船ですか?

増田  高瀬船です。「船で3日で行っちゃう」と。まあ、高瀬舟っていうのは風がないと動かないから大変ですよ。

Navi 船で行った?

増田 そうそう。

Navi それも大事なことですよね。

増田 女医に合格した頃は明治18年ぐらいかな。 ちょっとはっきり、細かいことは言えなくて申し訳ないけど。 それと高崎線が明治16年だからね。だから、渡辺淳一の小説にも書いてあるけど、女医に合格した頃お母さんが亡くなるんですけどね。「危篤だ」と。 当時電報を打つわけですよね。列車で熊谷まで来て、それでバスはないんで、人力車ですよ。だって北海道行くんだって大変だし

Navi 大変ですよね 。

増田 今だから大丈夫だけどいやぁ本当に時代背景はやっぱり大事だと思います。

Navi そうですよね。 さて、じゃあここでね、また曲いってみたいと思います。次の曲は、

増田 次の曲ね。 「ともしび」だ。すいません。 暗い曲ばっかり。

Navi では、八代亜紀で「ともしび」をお届けいたします

【曲 八代亜紀 ともしび】

Navi 時刻は12時45分を回りました。やわらか熊谷「ぼくらがつなぐ物語」第81回。 「荻野吟子の志を世界へ」をお届けしています。 さて、荻野吟子記念館、そして先ほど言った光恩寺ですけどもね。 この後、「荻野吟子イヤー」と私もちょっと言っちゃいますけれども、 4月4日に何かイベントがあるって。

増田 そうですね。

Navi 「光恩寺で オペラ」っていうんですかね、

増田 あれは熊谷の有名な原田さんとか。 岡崎さん妻沼出身のウィーンで活躍している人ですけど、その2人が主演して。吟子をやるんかな、内容ははっきりしてないんですけどね。まあ何しろ、 光恩寺で昼間やって。昼間1時半からやって、夜は聖天様で。 6時からですね。6時半ぐらいから始まるっていう風に、

Navi 私も行こうと思って聞いたらね、チケットもう売り切れちゃったらしいんですけど、光恩寺っていうのをこれで知って、 初めて行ってみようかなと思うんですけど、どんなお寺なんですか?

増田 何しろね。この辺にはあまりないほど、まあ由緒ある大きなお寺、最近、六角堂を作りましてね そこに7メートルか8メートルある 金ピカの涅槃仏

Navi 寝ている

増田 そうですね、お釈迦様があるわけですね。それから北側には20メートルぐらいあるかな 前方公園墳がそのまま残ってます。

Navi そこに今でも荻野吟子さんの生家の長屋門を移築されているっていうことですね。 それも見てこられるってことですね。 そちらの方で原田勇雅さんとか岡崎麻奈未さんが 本堂でやるわけですけどね。 音楽の集いをやってっていうことが4月4日、もうチケット売り切れちゃったらしいんですけど。 夜は聖天様でやるということですね。

増田 あとはそうですね、荻野吟子さんの オペラは来年はなんかどっか違うとこでもやるんですよね。さくらめいとか。

Navi そこに向けてのプレイイベントみたいな感じでもあるんですかね。

増田 あるいは地元の人が来やすいようにね。そこで同じようなことをやるんだ。

Navi そのチラシとかもいただいたりとか、あとは11月23日に舞台があるっていうのを最近知りました。

増田 そうですか。

Navi なんか前からそういう話が出てたっていうのを私聞いてて、あれいつやるんだろうとか、どういう風にやるんだろうって思ったら、なんかこの間、久石さんから見せてもらったチラシみたいのがありましたよ。

増田 できたら見て。

Navi チラシっていうか、23日にやりますっていうチラシを見ましたけども。

増田 そうですね。目的はまあ何しろ児童生徒に広めようっていうのが目的のようで、 そこで全部CDかDVDにそれを落として、各学校へ相当配るんじゃないかな。それで、見てもらう。Navi じゃあ実際舞台の様子もDVDになったりとかするっていうことなんですね。 実物に見に行くことも可能なことですね。この舞台の主演は久石まい子さんだって聞いて、 あとはあの劇団シナトラっていう方々がやってて。っていうのを聞いて、いやーこれは今まであんまりなかったなって思って、楽しみだなって思って、今から本当に11月23日予定を入れないようにしてるんですけども、 準備が始まって、まだ他にもイベントみたいのはあるんですか、今年荻野吟子イヤーですけども。

増田 あと秋に八木橋で大北海道展が。そこでまた瀬棚町からも来るんじゃないですかね。

Navi だからこの間、記者会見みたいのがあって、荻野吟子の懸賞協議会っていうのができたっていう。 そちらの委員さんにもなってるんですね。

増田 究極的には、 この偉大な人をより多くの人に知ってもらうが目的ですけど、 その前に、前っていうかね、その一つとして、「NHKの朝ドラにしよう」と今動いてて、実際にNHKに、ないないでやってるんですよ。今年の秋か春あたりに正式に行くみたい。今年の秋に結局熊谷だけではそのね盛り上げてもより多くの市町村が関わってくれた方がいるわけですね。NHKに対しても。 ですから吟子が関わった場所の首長はもう全部集めて、熊谷の市民ホームで 秋にシンポジウムをやるようですね。

Navi そうですか。

増田  ですから、まず、吟子は第一番目に初めにいた熊谷、それから北海道の今金、初め住み込んだのが今金、病院を始めたのが瀬棚、その2市町村、それからね、山梨の甲府に何ヶ月か教師として。頼まれて行ってるんですよ。甲府、それから東京女子医科大学を作った吉岡先生が 一番尊敬していたのは吟子だと。「吟子がいたから私は医者になった」といっています。そして女性の医師を養成する 新宿に女子医科大学を作ったと。その生まれ故郷が 静岡の掛川市です。そこの首長も来ます。たくさんのところから。

Navi これ連ドラになったら最高ですね。

増田 そうですね。

Navi 私も一生懸命できることから応援したいと思ってますので。

増田  ありがとうございます。

Navi すいません。あっという間に時間になっちゃったんですけども。 これからも「てっちゃん!」ぜひ私と一緒にまたいろいろやれたらと思ってるんですけど。 どうぞよろしくお願いいたします。 ありがとうございました。 今日はNPOボランティアガイド阿うんの会の会長の増田哲也さんに来ていただきました。 今日はありがとうございました。

増田 こちらこそどうも楽しい時間ありがとうございます。

Navi 頑張りましょう。 ありがとうございました。