
3月16日(月)12:00~ FMクマガヤ 梅林堂提供やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語は?
熊谷女子高校第38代校長 栗藤義明さんをゲストにお迎えしてお話を伺います。
熊谷の名門女子校 今時代の流れの中で「熊女」の存在を感じながら校長先生をやってきた栗藤校長先生に 今までの教員人生と 熊女の今をお伝えします。
熊女関係者も そうでない人も熊女に関してお便りをお寄せください お待ちしています!otayori@fmkumagaya.com
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階、FMくまがやYZコンサルティングスタジオからお送りします。 月曜のお昼は、梅林堂提供「やわらかくまがや、僕らがつなぐ物語」第79回ということで、 今日は「熊女は今!」というタイトルでお届けします。今日は埼玉県立熊谷女子高等学校の第38代校長の栗藤義明先生に来ていただきました。 こんにちは。
栗藤 こんにちは。
Navi 本当にお忙しい中、そして貴重な時間の中ですね、 スタジオに来ていただきまして、本当にありがとうございます。熊女は今ということなんですけど、先週卒業式だったんですよね。
栗藤 そうですね。卒業式って誰のためにやってるかっていうのはもちろん生徒のためにやってるんですけど、 意外と教員というか私たちの1年間を振り返る機会でもあるし、成長した子どもたちと別れる日でもあって、ちょっと切ない金曜日でしたかね。
Navi なるほど。切ない。確かにね。毎年卒業式っていうのをやってきてるわけですけれども、やっぱりね、感慨深いですよね。
栗藤 そうですね。あの。うちには2匹猫がいるんですけど、とても可愛い猫なんですよ。猫ちゃんたちなんですよ。
Navi 家にいるんですか?
栗藤 家にいるんですよ。 例えて猫ちゃんみたいな人がいるんじゃないんですね。 家じゃなくて、本当に猫がいて可愛いんですけど、熊女の子たちっていうのは、僕にとっては950匹くらいの可愛らしい猫ちゃんたちという感じがあって。 そのうちの315匹が金曜日、家を出て行ってしまったみたいな、そんな寂しさを感じてるところですね。校歌を、熊女では、一番最後で、校歌斉唱ではなくて、校歌合唱するんですけど、その校歌を一緒に歌っていて、本当に最後3番の歌詞に 「かざさん花の冠よ」っていう言葉が出てくるんですけど、 それを一緒に歌いながら、ちょっとうるうると来てしまいました。
Navi そうですか。校長先生も、この卒業式は特別だったんじゃないんですか?
栗藤 そうですね。この春は 役職定年だということで、学校を去らなければならないというタイミングなので、 私自身も卒業という、そんな日だったのかなというふうにも思ってます。 もちろん、まだあと2週間ぐらい一生懸命仕事をしてということになるんですけれども、 でも感無量でしたね。
Navi そうですよね。先ほどの校歌合唱の話、スクールデイズで話題が出てたんですよ。卒業生であったりとかするお母さんが、校歌合唱を聞いて本当に感動したとか、 そういうお話も聞いていて、「かざさん花の冠を」この言葉はよく校長先生が学校の経営の目標に。
栗藤 まあそうですね。もうずっと代々ですよ。ここに今学校案内持ってきてますけど。一番上に書いてある言葉、この言葉はもうずっとじゃないですかね。
Navi でも私は最近、この言葉が気になって気になって、校長先生が出すようになってからかもしれないんですけども、気になっています。 あとかざさんポーズっていうのが最近定番になっていますけども、かざさんポーズじゃないかもしれないですけど、 このパンフレットのイメージがすごく明るくて、なんか夢っていうか活気のあるというか。 そういうイメージがすごく。
栗藤 そうですね。これもね、自分が着任した時には、その前年のパンフレットがあって、それを見たら、とっても真面目そうな大人しい熊女生が2人、片方は座っていて、片方の子は立っていて、だったかな。 なんかそんな感じで、2人いるんですけど、表情も硬くて、なんかね、あんまり明るさを感じられなかったんですよ。 それなので、去年のその前のやつを作る時から、手のひらを見せること、笑顔を 出すこと、という風にやったんですよ。その時の表紙はこのFMクマガヤさんの 4月号、
Navi 去年の4月号の 表紙を飾っていただいたということですが、すごい好評で、なんか他の表紙の時は あまり余らなかったのに、あの表紙の時はもう全部はけたと。「熊女の表紙が 良かったね」みたいに言ってくれる加盟店さんもいるくらいで、やっぱりそれぐらいの その印象っていうか、いいなと思って。私が勝手にかざさん花の冠をポーズという風にしてるぐらい、そのイメージ、手のひらを見せたりとか、笑顔っていうのはすごく こう人を元気にさせるというか。
栗藤 そうですね。最近ビジュアル、「ビジュいいじゃん」っていう話なんですけど、 やっぱり最も必要なのは中身だし、こういったパンフレットも中身にもちろん力を注力してるんですけど、 ただ中学生の生徒さんたちに、これを手に取ってもらわなければいけないので、 手に取ってもらえるようなデザインにするっていうのが大事かなってちょっと思ったんですよね。 Navi なるほど。
栗藤 この2年間はそういうふうなところで、これは生徒がモデルですし、撮影しているのもうちの先生なので、芸術の先生がね。
Navi そうなんですか。
栗藤 ほんとによくやってくれてます。 カメラマンじゃないんです。
Navi あ、そうなんですか。
栗藤 最後、デザインをするときには、 デザイナーさんとやってくるんですけど、 基本はもう先生が手弁当でね、作っているものなんです。
Navi そうでしたか。 もうね、もう自分はもうすっかりその術中にハマっているというかね、 栗藤校長の術中にはまって、すごくいいなって思っていました。 まあ、2年間 はあっという間ですよね。
栗藤 あっという間でしたね。
Navi 2年間を含めて、今日は栗藤校長先生の、今までを振り返っていただきながら、お話を進めていきたいなというふうに思っています。ずばり、よくゲストの方にはですね、どこの小学校だったんですか?から聞くんですけど、生まれはどちらだったんですか?
栗藤 私は熊谷の隣町行田市です。
Navi じゃあもうFM熊谷ゾーンですからね。
栗藤 でもね、実家に届いてないんじゃないかな。堤根っていう一番南の集落というかエリアなんですよ。 ここは堤ってあの堤防の堤って字を書くんですけど、石田三成が星城の攻めの時にね、作ったという、その築堤したっていう、そこがうちの実家の前のなんですかね、土手になっていて、うち実家はそこから少し低いところに家があるんです。だからその道路は築堤した元は堤防だったところなんですよ。 だからあの堤っていうのは堤の根っこにある部分っていう、多分そういう集落の名前になったんでしょうね。
Navi そういう歴史的な背景を話してくれて、この番組にはとても ふさわしい内容から入ってきて、さすがです。堤とかっていうのは やっぱりあちこちにこの我が行田では残されていて、本当にそれが歴史的な背景があってっていうところは、 皆さん後になってからそうだったんだって気づいて、「あ、すごいな」っていうのを 気づく感じだと思うんですけどもね。さて、生まれてから 小学校、中学校、どんな感じだったんですか?そうですね。あの何小ですか?
栗藤 下忍小学校。
Navi わかります。
栗藤 下忍小学校って2つあるんですよね。 吹上っていうか、こうのす市立の下志小と行田市立の下忍小。僕は行田の方ですけれども。ちっちゃい学校で、卒業した同級生は20人しかいない。だから全校生徒、僕らの時代で140人 いるかいないかぐらいです。
Navi 自分たちってあれですけど、昔はすごく大きいのが普通って 思っちゃいますけどね。
栗藤 そうですね。やっぱりその小学校、あの昔下忍村という村があって、 それがあの分割して、それぞれ吹上町になったり、行田市になったので、その分かれた なんかちっちゃい方なんですよね。そこに学校を作ったというところで、最初から小さくて。あと馬年じゃないですか。僕の一つ下の学年は、丙午(ひのえうま)という学年で。14人ぐらいしかいなかったですよ。 あんなに子供がいた時代にあって。丙午というのは1960年代でもやっぱり全然非科学的な迷信なのにたくさんの人が信じてたんでしょうね。
Navi そうですよ。私の妹がやっぱり丙午で人数が本当に少なくて。そういう話もたくさんしたいんですが、この先がありますので次行きますね。 じゃあ中学校と高校、この辺りもちょっと聞いてみたいんですけど。 中学校はそのまま行田市内の中学校でした。 大体中学校になる頃には、何になりたいとか出てくるじゃないですか。
栗藤 僕はずっと小さい頃からパイロットになりたくて。ところが中学生なりに勉強すると、パイロットになるためには厳格な健康診断というか身体検査があって、視力が足りない。よく言われてましたね。 それからあとは多分身長も足りない。 ボーイング社だとかエアバス社が作ってるコックピットっていうのは、身長が175cmあるのが前提なんです。 そんなの知らなかったです。 当時。今はもうちょっと女性のパイロットも増えてきましたから、もうちょっと小柄な人たちが操縦できるようになったんでしょうけど。床のところにあるペダルがですね、背が小さいということは足が短いし、踏めないと届かないのでダメっていうね。 そういうのがあって、それに気づいちゃったんですよ。 何より視力がダメっていうことがわかって、これはダメだと。もうちょっと勉強すれば、じゃあ例えば航空管制官とかね、航空会社だとか。旅行会社とかね、いろいろ飛行機に関われる仕事って他にもあったんでしょうけど、 なんとなくもう操縦しないんじゃいいかなみたいな なったのかなと思います そういう中学生 ぐらいの挫折みたいなのがちょっと それで、
Navi 高校はどちらの高校だったんですか?
栗藤 高校は羽生の方にある高校で、羽生第一高校っていう そういう学校でした。
Navi そうですね。 地元でずっとっていう感じですね。
栗藤 そうですね。基本地元で。だから高校も自転車で通いました。
Navi へえー! そうだったんですか。
それが行田の南の方なので。JRに出るのはまあまあ近いんですけど、 羽生に行くためには、秩父線に乗らなくちゃいけなくて。そうすると、東行田まで行かないと。最初の頃は電車で帰ってましたけどね。 徐々に、「もうこれなら。行っちゃえ」って。12キロぐらいあったのかな。 Navi すごいですね。ちょっと時間もおしてきてるので、その先学校の先生になりたくてなったんですよね、
栗藤 一応。 まあ、そうなんですけどね。パイロットっていう話をしながら、まずだんだん違う方向に行くんですけど、これ スクールデイズで生徒たちが呼んでくれたときにも話をしたんですけど、ドラマの影響で、水谷豊さんがやっていた、 熱中時代っていうのを、小学校の先生にね、すごく憧れたので、もう小学校の先生になるつもり満々だったんですけど、 受験勉強しているうちに地理学が面白いと。地理の先生、地理を教えられるって言ったら、高校の先生じゃないと、 なかなか地理っていう専門で教えられないので、じゃあ高校に行く。 それで気づいたら高校の教員になっていた。
Navi なるほど。ということは社会地理の先生ということだったんですね。そして最初はどちらの高校へ?
栗藤 最初は児玉高校っていう。行ったこともないような、だいたいどこにあるんだみたいな感じでした。 自分の家から40キロぐらい離れていた学校なので。40キロはありますかね。 通いました。
Navi はい。そしてどこへ行かれたんですか?
栗藤 その後が熊谷高校で、こちらに11年いたんですけど、実は教員としてはこの2校しか経験してないんです。
Navi そうですか。
栗藤 だからあんだけなりたくてなった地理教師なんですけど。16年しか教壇ではチョークを持って授業をやるってことができなかったんですね。
Navi そうだったんですか。
栗藤 そして熊谷高校にいた時に、ニュージーランドとの話とかもあってそしてご縁ができたのかなっていう気もするんですけどね。 やっぱり熊谷高校時代は年数もそれなりにありました。いろんな経験をさせてもらったので、良かったですね。でも僕の中で実は一番大きかったのは、 熊谷に行ってすぐの年ぐらいに、 当時文部省が若手教員海外派遣っていうプログラムをやっていて、 交換教員でアメリカのオレゴン州ってところに行ったんですよ。 そこに2ケ月ちょっとかな。 1つの学校に2ヶ月間行って、 何をしてもいいっていうプログラムだったんですけど、 最初はアシスタントティーチャーみたいな感じで入ってたんですけど、 だんだん欲が出てきて、授業やりたくなっちゃって、 日本語教えてみたり、書道の先生にお願いして、たくさんの古い筆をもらっていただいて、それを持って行って、 カリグラフィーとか言って書道を教えてみたりとか。
Navi 素晴らしい。
栗藤 これが僕の中ではちょっと大きかったですかね。
Navi なるほど。 私、そういうのを聞いてると、英語の先生かなって一瞬思ってたんです。 海外の話がすごくて。
栗藤 やっぱりね、空が好きなんですよ。 パイロットっていう話も出てきたし、 地球を隅々いろいろ見てみたいって思いがあって。
Navi なるほど。
栗藤 それでニュージーランドに行くとかって言ったら、 じゃあ一緒についてってみたいなこともありましたし。 そういったことですかね。 という感じで、
Navi そしたらもうあっという間に教育行政に入られたということですね。 まず県人?
栗藤 県立学校人事課というところに。 僕は教育行政って指導主事になるもんだと思ってたんです。 指導主事って先生の先生みたいな。
Navi そうですよね。授業っていうか教育課程みたいな。
栗藤 地理教師としてもそれなりにやってきたつもりの時期もあったし、 だから地理の教授法とかをもっともっといろいろ後輩というか、先生方に 伝えていきたいなと思ったんですけど、入ったところはそういうところじゃ全然なくて。例えば先生方の服務管理っていうんですけど、勤務時間をちゃんとどういう風な形でとか、お休みをどういう風に取らせるとか。生徒収容計画といって、中学生の3年生の人口から、それぞれの学校にどれぐらい募集人員を割り振るかということですね。あとは、これは文科省に頼まれてだったんですけど、高卒認定試験を回したりとか、さらには同じ科でも いろんなことをやっている科なので、マネジメントであるとか、人事評価であるとか、 全然何か教育っていう感じがあまりしないっていう、 リスナーの方も聞いてて、何が先生なの?って多分思うと思うんですけど、 そういう仕事が回ることが多くて。
Navi そうですね。教育行政って私もわかったんですけど、指導と人事って言って、 もう全然世界が違ってるんで、私もびっくりして、こういう仕事があったんだと。 先ほど言ったように、勉強を教えるのはいわゆる指導ラインとか、 指導畑とか言うんですけど、人事とか管理っていうのはもう本当に人のことですね。でもこれが実はものすごく大事っていうことも分かりましたけど。
栗藤 でもその名の通り、人事、任用とか人事異動を組んだりとか、 どういう先生を採用するかとか、そういった任用をやるっていうところには実は一度も入ってなくて。
Navi そうですか。
栗藤 そうじゃないところでいろいろと。最後の最後で校長職を挟んだ後ですけど。魅力ある高校づくり課っていう。ここも変わった課で、 なんていうんでしょう、管理行政部 もあるし、指導行政的なところも両方関わる。 新しい学校を作ったりとか、学校の特色化を応援したりとか、 そういう取り組みですよね。
Navi なるほど。そういうところを経て、校長先生もやられてっていうことですね。教頭先生もやられて。
栗藤 そうですね。
Navi この世界で教頭先生やって、また行政に行って、また校長先生やって、行政に行ってということで、 移動することが多いですからね。 そして、いよいよ 熊谷女子高校にということで、着任というのが。
栗藤 そうですね。これが。令和6年4月ということで、ちょうど2年前というところでしょうかね。
Navi やっとここまで来ましたので、曲を入れたいと思いますが、 曲は何をおかけしましょうか。
栗藤 ということで、自分の過去を振り返るというか、 なので、それにちなんで、ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズの「パワー・オブ・ラブ」 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌です。
Navi 私も大好きです、この映画。 ということで、「パワー・オブ・ラブ」お願いします。
【曲 ヒューイ・ルイス&ザ・ニューズ 「パワー・オブ・ラブ」】
Navi 時刻は12時24分を回りました。梅林堂提供「やわらか熊谷」僕らがつなぐ物語第79回「熊女は今!」をお届けしています。 ゲストには熊谷女子高校の第38代校長栗藤校長先生に来ていただいてます。
栗藤 はい、お願いします。
Navi さて、じゃあ熊女に着任してということなんですけど、校長先生から最近のことから言いますか?
栗藤 そうですね。あのまあ2年間いろんなことをやってきてるんですけど、もちろん自分以来でやることもあるんですけど、まああの教員であるとか、生徒であるとか、あるいは地域の方とか、同窓会の方とか、特に同窓会の皆さんの熊女愛っていうのは本当に強い大きいものがあって、最近あのそのさくら会がですね、あるプロジェクトに取り組んだんですよね。 それが「自校体操音源再現プロジェクト」っていう。
Navi 自校体操?! 自校体操があるんですか。
栗藤 そうですね。あのまあよくラジオ体操第1とか第2とか体をこう運動させる最初にそういった。 始めたり、使ったりするじゃないですか。 それをそれぞれの学校ごとにオリジナルの体操を持ってたりするっていうのがあって。 それにはピアノ伴奏みたいな音源があるんですけど、何でもできたのが60年前。
Navi 60年前!
栗藤 ちょうど僕が生まれた頃なんですよね。 それで、その時にできた音を、当時のオープンリールテープであった音源から、 最近といっても何十年か前でしょうけれども、CD化されていて、 そのCDを体育の授業の前とか、それこそ体育祭の前とかにかけて、 みんなで踊ってるわけなんですけど、体操してるわけなんですけど、 それがあの、 オープンリールから、コンパクトのオーディオテープに、 おそらくダビングをして、そこからの音源なものですから、 回転ムラとかですね、あとテープが伸びちゃってるか、 いろんなことがあって、ちょっと音質が下がってきてたんですよね。 それをとにかく昭和40年当時の体育の先生であった、 松井貞夫先生という先生が、残念なことに去年の11月にお亡くなりになっちゃったんですけど、 その方が考案した体操と、その時に音楽の先生をお勤めになってた、 大澤英子先生という方がいらっしゃるんですけど、 この方ももちろんお亡くなりになっ ちゃってるんですけどね、そのピアノ伴奏を何とか復元したいと、再現したいと。 で、その残された今のCDは、元々音質の悪いものをCD化しているので。じゃあ元へたどっていこうって話になるんですけど、 楽譜が残ってなかったんだそうですよ。 それなので、なんか昔の卒業アルバムにソノシート。
Navi ソノシート。 リスナーの方、ソノシートわかんないですよね。
栗藤 ソノシート知ってますか? 知らないですよね。 なんかアクリル樹脂でできた、まあ大体赤とかね、そういう色で。
Navi はい、赤い薄いレコード。 そうそうそう。
栗藤 薄いドーナツみたいなやつ。 円盤にこう溝が切ってあって、つまりアナログレコードと同じものが、 アナログレコード っていうのはかなり高品質に作られているんですけど、それをすごく簡素に雑誌の巻きにできるような感じに仕立てたものがソノシートですよね。 僕らの子供時代は、駄菓子屋さんにそういったものがおまけで売ってたりとか 小学生の絵本とか雑誌に そういうものがくっついてますよね。 それを使って、音符を取り出しながら、まずは楽譜を作るところから始めていただいて、 それには今の つぼみの会という音楽をやっている熊女の 卒業生の皆さんからなるボランティアの皆さんがいて、 そうした方々が協力をして、さくら会としてできた当時のきれいな音を現役生にプレゼントしたいということで始まったプロジェクトなんですよ。採譜をして、ピアノを実際にさくらメイトの大ホールでピアノを使って
Navi はいはいそれで録音をして、さくらメイトまで行って、あのいいピアノで、
栗藤 そうです、今月24日が熊女修了式なんですけど、1年間の終わりの日ですけど、そこで。贈呈式が行われる予定です。なのでちょっとですね、
Navi リスナーの皆さんで、熊女の関係の方、卒業生の方も大勢いらっしゃると思うので、 この最近できたばかりの自校体操のピアノ伴奏を聞いていただいて、ぜひラジオの前で一緒に踊っていただけると。
Navi 踊ってください。
栗藤 多分体が覚えていると思うので、音楽を聴けば体が勝手に動くと思います。 熊女卒業生の方、準備はいいですか?はい、じゃあかけちゃいましょう。 これはもうまだ未公開、初めて。
栗藤 そうですね、公にはそうですね。ちょっと実験的に校内でやったんですけど。
Navi そうでしたか。ではお願いしたいと思います。 自校体操、熊谷女子高校、お願いいたします。
【曲 自校体操 熊谷女子高校】
Navi 時刻は12時34分を回りました。梅林堂提供やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語第79回「熊女は今!」をお届けしています。 ただいまのは再現されたというか、新規録音の自校体操ということで素晴らしいですね。
栗藤 ありがとうございます。
Navi 本当に素晴らしいですね。こういう音楽と共に、学校の中で体操が行われていて、 それが脈々とね、60年、少なくとも60年以上続いてるんですね。
栗藤 そうですね。
Navi ではここでお便りが届いておりますのでご紹介します。 ラジオネーム「トゥルーカラーをかざさん」さんからいただきました。
「関根先生、栗藤校長先生、こんにちは。栗藤校長先生、長年のご勤務お疲れ様でした。 栗藤校長先生というと、横文字のキャッチーなフレーズ、 例えば『トゥルーカラー』などなど、 それから『〇〇の空と熊谷の空はつながっています』 というワードが印象的です。 2つ質問します。 まず、これらのキャッチーなフレーズはどう生み出していますか。 そして次に、今まで一番印象に残った空はどこでいつ見た空ですか。 教えてください」
だそうです。
栗藤 はい、ありがとうございます。 この2つのフレーズを知ってらっしゃるってこと自体が、 まず嬉しいですね。 トゥルーカラーっていうのは、先ほどこの学校案内の表紙の話が出ましたけど、 これを作る時に考えていたもので、 つまり2年前の4月5月ぐらいに考えたもので。
生徒たちがキラキラ輝いてるんですよね。 でもそれが同じ色で輝いたり、 同じ強さで輝いてるわけではなくて、 やっぱり一人一人違いがあると。 全部みんな違ってみんないいっていうその話もありますし、また「出る杭は打たれない」っていう言葉がずっと熊女には 連綿と続いているんですね。 だから女の子たちが自信を持っていろんなことにチャレンジできる。そうすると本当に生徒たちがキラキラ輝く。 色もいろんな色で見られる。 じゃあその色を極めていってもらいたいな。 トゥルーカラーっていうのは真実の色っていう直訳すればそういう意味なんですけど、 自分でこう選んでいく世界。 自分の中でどんな色で光り輝けば、 その世界でうまくやっていけるのか。 そういったことを考えながら成長してくれているんだと思うので、 そのことをイメージしたんですね。 なるほど。 Shinji RoperのTrue Colorという楽曲もあったので、 その歌詞もすごく良かったので、それも参考にはしたんですけどね。
Navi 栗藤校長先生といえばね、 様々な講話と歌を組み合わせるというのもあったみたいですけどもね。
栗藤 そうですね。 歌の組み合わせは、 さっき打ち合わせでは言わなかったんですけど、 スポーツ大会がある時って、あんまり長いスピーチだと生徒たち嫌がるかなと思って、 とにかく「頑張れ」って言いたいわけですよね。 なので、例えばパークマラソンって長距離走らせてる時なんかも、 歌を3つ必ず用意するんです。「く」で始まる、歌詞が「く」で始まる部分。
「ま」で始まる部分、「じょ」で始まる部分で、 「く」「ま」「じょ」っていうのになぞったあいうえおソングっていうのをいつも用意して、 ワンフレーズずつが、ワンフレーズっていうか、 なんだろう、短い小節を歌って、生徒に頑張れという話をしたりしてます。また、一つ歌を取り上げて、例えば、さだまさしさんの「風に立つライオン」。なんか午前中曲を流したっていう。
Navi そうなんです。もうびっくりしたんですよ。偶然ですよね。
栗藤 いい曲ですよね。あれちょうどあのさだまさしさんの実のお父様がお亡くなりになったっていうニュースがたまたま出た後か何かに生徒を集める機会があったので、まあその世代的には全然知らない歌なので、でもその歌を映画にもなりましたよね。 映画にもなったんですよなんて話をしながら歌の歌詞を全部紹介しながら話をしたりとか。やっぱり校長やって生徒たちに直接やる何かメッセージを伝えるってのはそういった場面しかないので。授業だと思って。準備をして色々やってきてます。
Navi そういった講話が生徒たちの心に残ったり、 もちろん先生たちも聞いてますので、先生たちの心に残ったり、 すごいですね。やっぱり。 歌と組み合わせてるっていうのも、歌詞とかそういういろんなことも含めて、 印象づけるっていうのはすごい演出と言っちゃうんですけど。
栗藤 本当は難しかったんです。
Navi なんでですか?
栗藤 「ま」から始まる歌詞って結構あるんですけど、 「く」っていうのは、例えば悔しいとか苦しいみたいな。 最初バレーボール大会の時に、アタックナンバーワンの歌をね、 「苦しくったって♪」ってやったりしたんです。 そこで味しめて、生徒がなんかざわざわしたり、先生たちがざわざわしてたんで、味をしめて、それ以来スポーツ大会では「これだ!」って決めてたんですけど、 特に「じょ」が、「じょ」って言ったら情熱ぐらいしかないんですよ。 情熱が出てくる歌も、最後は使い切っちゃって、 この間のハンドバスケットボール大会とか、もうこれはもうハカセ太郎の情熱大陸しかない。 もう歌詞がないわけですよ。
「チャチャチャラチャー」って歌ってやるしかなくて。 そんな感じで。
Navi 素敵ですね。もう、工夫というか、いつも考えてるんですね。
栗藤 そうですね。校長って何考えてんだろうって、きっと。子どもたちも思ってるでしょうし、保護者の方にもなかなか本音の部分では伝わらないなっていうのもあるので、 ちょっと人間くさいところをどうやったら出せるかなとかって思っている中で、 そんなことをやったりしていました。
Navi ラジオお聞きの熊女の関係者の皆様、校長先生の苦労というかね、 そういったものっていうか、思いを受け止めていただけたらと思います。 さて、もう一つ質問がありましたね。 今まで印象に残っている空はどこでいつ見た空ですか?
栗藤 そうですね。一番は、 1996年に熊高の教員だった頃に生徒を連れてニュージーランドに行きました。 その時に見た南半球の空ですね。星空です。 これは星ですよね。だって違う世界ですよ。 全然違います。 日本じゃ見られない空ですよね。でも行くのが7月とか8月なので、ちょうど天の川銀河が立ち上がってすごくよく見える季節ですし、 そうすると、そこには宮沢賢治が銀河鉄道の夜に書いていたコールザックという石炭袋が見えたり、 そこに南十字星があったり、それはそれはもう日本じゃ見えない。 大マゼラン星雲、小マゼラン星雲。 月の様相って逆になるんですよ。 模様が違って見えるわけなんですけど、そういう話とかね。 元々、空が好きで星が好きでっていう。地元に帰ると、 プラネタリウムの解説員とかをボランティアでやってるんですけども、そういった人間からすると憧れの南半球でしたから。
Navi そうですよね。 しかもニュージーランドの空はすごく綺麗だから、星がすごくよく見えますよね。
栗藤 見えました。 日本とまた違って。星のことはそれなりに知ってるつもりでいたんですけども、 星座が結べないんですよね。 まず反対向きで見たこともない星座ばかりになった時にびっくりしますよね。 さそり座が北に見えるんですよ。 そういったところがね、やっぱり南半球ならではで。それは印象的な空です。 でもその空だって地球ってとこで考えたらば、日本とも繋がってるわけですし、 だから生徒たちが遠くに大会とかで試合で遠征に行ったりするとき、 まあ、壮行会やって頑張っておいでっていう話をするときにはですね、 今お便りにあったように、「広島の空と熊谷の空は繋がってるんだ。 だから心配になったら空を見上げなさい」って、いつも空の話をしてるんですね。
Navi はぁ、そこで空を見上げてっていう言葉が出てくるんですね。
栗藤 そうですね。だから生徒たちからリクエストをもらって、 これ本当嬉しかったんですけど、「どうして先生空が好きなんですか?」 その空の話をしてくださいって言われたので、12月のちょうど2学期の終業式のときにはそういう話をしたんです。 今日前半でちょっとお話をさせていただいたようなことですけどね。
Navi 本当に空は広いですけれども、ずっと人間は空を見ていくわけですからね。 じゃあ、きっと熊女の生徒さん、そして先生方、 保護者の皆さんにも改めて今校長先生から そういう話があったということなんですけども、 さあ、まだまだ熊女でなんかいろんなことをされてたことが あったら教えていただけたらと思います。
栗藤 この2年間はとにかく熊女だけじゃないんですけれど、この県北部地域って 子どもたちの数がどんどん減ってきていて、 なかなか生徒募集が熊女であっても、 いろいろ苦しい状況っていうのがあってですね、 どうやったら学校の魅力を伝えられるかということで、 先ほどから出ているようなパンフレットの表紙を ちょっと工夫してみようとか、 様々な取り組みをしてきたんですけども、 とにかく私ずっとこう思ってて、学校っていうところも組織じゃないですか。 組織っていうのは何を拠り所としているかっていうと、 やっぱり顧客っていう、 自分たちがやっている相手の普通の会社で考えれば、 お客様がいて、お客様に対してどんなことが サービスが提供できるかとかって考えていくわけですよね。 どうしても学校って学校独自の考え方に染まりやすいというか、学校内部の事情によって学校が動くってこともわりかしあって、 そうじゃなくて、私たちの組織の目的は外にある、組織の外側にあるんだと。地域社会だったり、生徒だったり、保護者だったりっていう、 そういうことを常に言いながら、顧客は誰なのかを意識しましょうと。 我々の使命は何なのか。 おかげさまでこの地域では、本当に古くから、 地域期待の別学進学校ということで、 古くからそういった意味で期待をされてきているわけですから、 それをどういうふうに応えていくかっていうことで。若い先生なんかには学校の先生っていうのは 教室で授業をやっているっていうイメージが強くて 地域との関係とかってあまり意識しない方も 若い人、経験が浅いからしょうがないんでしょうけどあって もっともっとこう 世の中に対してどういうふうな関わり方をしていくべきなのかとかっていうのを 意識しながら取り組んできたつもりなんですね。県立の学校なのでやっぱり県の考え方ってのもあったりしますし よくこれも先生たちに話してましたけど あちらが本店でこちらが支店でみたいなそこはそれで支店としての独自性ももちろん大事なんだけれども 埼玉県としての考え方や施策があるとこれも最近の世代の方は知らないってみんなおっしゃるんですけど、踊る大捜査線ってあったじゃないですか。刑事ドラマ。刑事ドラマというかあれは、公務員っていう世界を面白おかしく描いてる。
Navi 公務員か。確かに現場で起きてるとか。
栗藤 ああいう感じで、あれは青島っていうすごく正しいことをしたいっていう正義感のある信念を持った警官と、警察官僚の室井さんが、最近続編が作られて今年もなんかあるみたいな。楽しみにしてるんです。そういった関係性に似てるところがあるんじゃないっていうことを話したりしながら取り組んできました。なるほど。 結局最後はね、我々の事業は何なのか。学校の使命を考えるっていうのと、あとは教育目標に照らして、ルールもよりいいものを適用していくべきだと。なんかこう、ルールがね、何ていうんですか、手段と目的が入れ替わっちゃうってことあるじゃないですか。
Navi はいはい。
栗藤 これ、学校に限らないと思うんですけど、こうしなければならないって、 じゃあそのルールは何のためにあるのって、その根本が忘れ去られてしまう。 そうですね。ルールだけが先走ってっていうね、ことがありますよね。 で、あとは先生方と気持ちを揃えていくっていう、ベクトル合わせをしていくっていうのはとても大事で、 一人一人が持ってる力っていうのは限界があるので、 それがこう、バラバラな方向を向いてたんじゃ全然力発揮できないので、 一つの方向に向いていこうっていう、そういったところを心がけてやってきましたけどね。
Navi 学校長というのは、もう先生方をどうやって学校とね、 そして子どもたちと、そして地域とと、そういうところの視点がですね、 子どものためだけにやってるんじゃなくて、いろんなことにこうね、注力してるということですよね。
栗藤 特にナビゲーターの方がね、業界の出身の方が非常にご理解が。学校の先生は何やってるかっていうのは想像がつくんだと思うんですけど、 校長は何やってるって生徒もよくわかんないって、スクールデイズの中でも話題になってましたもんね。 でもそのわかんないところが今回すごくたくさんあって、 実はそのコーディネートって言っちゃあれですけれども、 ベクトル合わせっていうすごいあれかなと思ったら、
Navi あっ、もう校長先生、もうあっという間に時間になっちゃったんですけども、 ぜひ校長から、いろんな方にメッセージがあったらお願いします。
栗藤 はい。 それで本当にいろんなことをやらせていただいた2年間で、 これ本当は最後に校内では別の挨拶をしなきゃいけないんでしょうけど、 このラジオですから、地域の皆さんにはですね、 初めて取り組ませてもらった学校説明会の生中継であるとか、 それから生徒たちがレギュラー番組を持つという、 これは僕の中では、ラジオが好きな人間だったので、 夢のようなところがちょっとあって。で、当時ですね、生意気にも番組フォーマットみたいなものを作って 考えてきて、こんなのどうですかとか、 その番組のタイトル名も僕のアイデアから つけていただきましたし、 途中のBGMやジングルなんかも考えさせてもらうなど、本当に番組作りということをやらせてもらって、 本当に楽しい2年間だったなと思います。
Navi 校長先生は、「スクールデイズの生みの親」ということでもご紹介したかったですけど、 そういったところでも本当にFMクマガヤにたくさん貢献していただきまして、本当にありがとうございます。さあ、まだありますよね。
栗藤 そうですね。やりたいことが全部できたわけでもなかったし、やり残したこともあるんですけど、でも本当に生徒たちが素晴らしい学校で、 僕はもう本当に彼女たちが大好きで、最初は猫の話をしましたけど、決して子猫ちゃんじゃなくてですね、 本当に素敵なレディに成長していく姿を見させていただくことがあって、さらにその人たちが 本当に大人になられて、桜会という同窓会の形になってですね、そういった大人の熊野の卒業生の方と接する機会があって、 本当に素晴らしい学校がこういう素晴らしい人たちをこの熊谷という街に育てて、育て上げているんだなというふうな、 本当に熊谷と共にあって、この先も熊谷と共にですね、 熊女が愛される学校であり続けたいと。皆さんが支持してくださる限り、 熊女は女子校でありたいというふうにずっと思ってますので。はい。そんな気持ちですかね、今は。
Navi はい。本当にありがとうございます。もう、あっという間の時間なんですけれども 栗藤先生、本当に長い公立学校の先生として教職生活を送っていただいて、そして熊谷女子高校の校長として、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。またどっかで来ていだければと思うんですけど。
栗藤 スクールデイズが続くようだったら、ぜひどっかでゲストで呼んでください。
Navi 見守ってください、これからも。
栗藤 こんな風に立ち上がったんだよとかっていうね。あの最初の頃の話なんかできるかもしれない。
Navi いや、もうこれからもずっと見守っていただけたらと思います。今日は熊谷女子高校校長の栗藤義明先生に来ていただきました。今日はありがとうございました。
栗藤 ありがとうございました。
Navi お疲れ様でした。
エンドテーマ ♪
今日までたくさんの歴史を続けてきた。ここで会えたその縁にありがとうを込めて僕らの物語は続く。