「は」廃線の 妻沼線あと かめの道

  東武熊谷線(通称妻沼線)は、太平洋戦争中に太田の中島飛行機株式会社の従業員と資材運搬のために、鉄道建設の計画をしました。そして、熊谷~妻沼間が昭和18年12月に完成開業しました。続いて、利根川鉄橋の工事に取り掛かりましたが、20年8月、終戦のため工事は中断されました。

  開業当初は、旧式の長い煙突のSLで、力が弱く、高崎線を越すための土手の傾斜が登り切れないほどでした。そのため、いったんバックし、助走をつけてから登りなおしていたことから、かめ号の愛称で呼ばれることとなりました。

  昭和29年にディーゼルカーに切り替え、スピードアップとサービス向上に努めましたが、乗客の減少で、昭和58年5月末をもって東武熊谷線は40年の歴史に終止符を打ちました。

  現在、レール敷地は、熊谷市、妻沼市に無償貸与され、かめの道公園や市道として利用されています。