6月22日の梅林堂提供「やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~」は?

「渡辺崋山と熊谷」をお届けします

ゲストには渡辺崋山研究ではこの方 熊谷市郷土文化会 熊谷学講師 馬場國夫さんにお越しいただきます。

渡辺崋山を知っていますか? 江戸時代の有名な武士であり、蘭学者であり、画家であり、そして熊谷と関連のある歴史上の人物です。

渡辺崋山と熊谷 三ヶ尻との関係を研究している 馬場さんにうかがいます。そして同じく 大麻生崋山研究会にも所属している 石井姉妹のえびすいみよこさんにお話を伺います。貴重な研究成果をやわらかく わかりやすくお話しいただきます

お楽しみに!

以下AInottaによる書き起こしを修正したものです

Navi 時刻は12時を回りました。AZ 熊谷6階、FM クマガヤ YZ コンサルティングスタジオからお送りします。月曜のお昼は梅林堂提供「やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 第 93 回『渡辺崋山と熊谷』」というタイトルで今日はお届けします。今日はゲストに熊谷学講師、そして渡辺崋山の研究家ということで、馬場國夫さんに来ていただきました。こんにちは。

馬場 こんにちは。お世話になります。

Navi はい。そしてもう一人、なんか結構ご無沙汰だったんですけどね。

えびすい そうですね。

Navi この番組では準レギュラー石井姉妹のお姉さん、えびすいみよこさんに来ていただきました。こんにちは。

えびすい こんにちは。よろしくお願いいたします。

Navi 今日は格調高く、渡辺崋山と熊谷ということで、今日はいろんなことが伺えるんかなっていうふうに思っていますけれども。馬場さんどちらからお見えですか?

馬場 私、大麻生から来ました。

Navi 最初に恒例なんですけどもゲストの方、出身の小学校はどちらでしょうか?

馬場 はい。私は大麻生小学校へ入学したんですが、父親の勤めの関係で2年生になる時に群馬県の桐生へと転校いたしまして、3年後5年生の時ですけども、再度大麻生小学校へ戻ってきておりまして、大麻生小学校を卒業してます。

Navi 中学校は?

馬場 中学校はやはり大麻生中学校へ入りまして、3年間どこへも、もう転校しないで卒業いたしました。

Navi はい。ということで大麻生出身で大麻生にずっといらっしゃるということで、現在も大麻生から来ていただいたということなんですけども。まあここに至るまでいろいろあったと思うんですけども、銀行員だったと聞きましたが。

馬場 私は都市銀行に35年勤めましてその関係で、関西にも転勤をいたしました。自分なりには、かなり熱心に銀行業務に努めたと思います。退職後は地元にあります大榮神社の総代に推されまして、15年間神社奉仕をいたしました。この神社に立ち寄ってもらえばよくわかりますけれども、15年間の足跡はかなり残したわけです。まあ、おいでいただくとわかると思います。

Navi いろいろ馬場さんが、なんかやったものが大榮神社に行けばあるということですか?

馬場 ありますよ。この神社の御宮は素晴らしいもので、伊勢神宮の内宮と同じ神明造というものでして、立派な御宮なんですが、残念ながらその後、戦争もあったりなんだりで、神社の設備が整わなかったわけですけども。神社にとって大事な玉垣ですね。これができてなかったので、総代含め役員で、みなさんよくやってくれまして、一大事業を成し遂げました。 見事な神社でございます。

Navi 私が馬場さんに初めて会ったのは、郷土文化会だったかなって思います。郷土文化会にも、もうずっと入られてるんですか?

馬場 郷土文化会は、もう30年ぐらい経つと思いますけれども、お世話になってます。

Navi たくさん原稿があるっていうのと、あとやっぱり渡辺崋山の研究をされてる馬場さんということで名刺も頂いて。渡辺崋山の研究をされてるんだと。私、崋山のことはよく知らないのに、結構あちこちで名前を聞いて、これはすごく熊谷と関係があるんだなっていうのだけがふんわりと浮かんでという感じでしたね。さて、もう一人のゲストということで、えびすいさん。えびすいさんは、熊谷の出身じゃなくて、元はどっかの大学の博物館か何かでお勤めだったんですよね。

えびすい あ、それは学生の頃にですね、演劇博物館で働いていたことがありましたけれども。私と馬場さんは、去年私、郷土文化会の方に入れていただきまして、まだ新米なんですけれども。それと、市立図書館で「古文書学習会」というのを月に二回やっていまして、そこにも去年の秋口に入れていただきまして。馬場さんともご一緒してます。その古文書学習会が終わって、さあ帰ろうっていう時にですね、私を郷土史に導いてくれた若松若太夫がまたきっかけなんですが、若太夫も崋山の大ファンだったんですね。それにはちょっといきさつがあるんですけれども、そのことで、松蘿園(しょうらえん)について、馬場さんに伺ってみたくて、ちょっとお引き止めした。それがきっかけでいろんなお話を聞かせていただくようになりました。

Navi 松蘿園は後で出てきますけどね。 私も全然知らなくて。でもそれを聞いてみたっていうところで、馬場さんがいろいろ教えてくださったっていう感じですか?

馬場 はい。突然知らない人から声をかけられて、びっくりしたんですけども。渡辺崋山の話ってことなので、私の方も色めき立ちまして、いろいろとお話をさせてもらったわけですが、あまりにも熱心な人なのでびっくりしました。

Navi ですよね。 私も、本当にえびすいさんはすごい熱心だっていうことが、本当にわかりましてですね、こういう若い方がこんなに熱心って、あんまり見たことがなかったんですけども。

馬場 はい。で、ちょうどタイミング的にですね、地元にもう一人、大学2年生の方で非常に郷土史に興味のある方がおられるので。ちょうどいいタイミングだなということで、お二人と一緒にとりあえず大麻生地区をスタートに調査を始めようって。

Navi なんと!プロジェクトチームなんじゃないですか?

えびすい そうなんですよ。 今おっしゃった大学生の方というのは、私今年の2月に、鎌倉街道とか東山道がテーマの講演会に行ったことがありまして。

Navi それはどこでやったんですか?

えびすい 嵐山史跡の博物館で。

Navi またあちこちに行ってね。勉強して。

えびすい そしたらその中島さんって方、ごめんなさいお名前出しちゃって、その方はそういう古道について実際に歩きながら調べていらして、高校生の頃から日本考古学協会のポスターセッションで発表されたり、去年は雑学研究会の方でもお話をされたということで、私、気になってたんですね。「いつかお会いできたらいいな」なんて思ってたら、まさかの早業でお目にかかることができて。

Navi 馬場さんのところに集結してきてる感じですね。

馬場 そう。本当なんですよ。あの、タイミングですね、人の巡り合わせっていうのは。

えびすい ええ。びっくりしました。

馬場 私も女性からの申し込みで二人だけで調査をすると、私も注目されて、ご近所でいろいろな見方が出るなと思って「よし、ここに大学2年生のあの若き男性に入ってもらえばすごくいいな」とこういうことでスムーズにスタートしたところです。

Navi なるほど。これは大麻生研究会とか大麻生探検隊とか、何か名前がついてるんですか?

馬場 これは「大麻生崋山研究会」なんですよ。

えびすい あ、名前つきましたね。

馬場 私は何をやるのも早いんですよ。 早いか遅いかっていうのはですね、人生の中では随分、役に立ちますね。一番のルーツは、昭和42年頃だったと思いますけれども。千葉県の松戸市役所で「すぐやる課」っていうのを作りました。

Navi なんか聞いたことがあるその話。

馬場 私が船橋支店というところにいた時なんですけれども、これは自分の仕事に活かせたらいいなと、なんでも「早く早く」を努めました。ですから、神社活動だって、昨晩相談したことっていうのは、今朝のうちに文章をまとめて、もう5時前に役員のところへ配った。封筒に入れてポストに入れる。とにかく早いのは取り柄です。

Navi 自分も早いと思ったら、やっぱりレベルが違いますね。ポストにまで入れるとこまでやっちゃうんですね。

えびすい もう新聞配達みたいなね。

馬場 早いってことはいいことですよ。 ということは相手の人も「あれ?決めたのに。どうなってるかな」って心配しますよね。12時間も経たないうちに、ぺーパーで届くわけですから。

Navi それはすごいですね。

えびすい すごいですね。E メールよりも早そう!

Navi 早そうですね。これでしかも封筒に入れて配るんでしょ。それびっくりですよね。それをもう信条としてずっとやってらっしゃる。じゃあもう何十年もやってる。

馬場 はい。 もう今日だって FM クマガヤのおかげで午前3時に起きました。

Navi すいません。

馬場 毎日、3時、4時起きなんですよ。 今の季節は幸い朝早いですから。4時にはもう家庭菜園行ってます。新聞も早いです。今日は朝早く、ぼちぼち俳句が入選するかなと思って。読売本社で取り扱っている全国版の俳句ですね。本社の方へ送るようになってから5年ですけども。ちょうど今日で10句入りました。

Navi 読売新聞の読売俳壇っていうところに、なんと、タイムリーに今日ラジオに出る日の朝に俳句が掲載された。

馬場 そうです。

Navi 大ニュースじゃないですか。すごい。

馬場 神社信仰を一生懸命やりますとね、全てこんなふうにいくんですよ。神社だって100回、御奉仕に行きますと、大榮神社の美しい女の神様が現れて、「馬場さん、おはようございます。 ご奉仕ありがとうございます。」こういうふうに言うんです。 次にお会いできるのは200回目。300回目になると3度目お会いできますよ。これはやってみないとわからない。

Navi ということで、読売俳壇に載ったその句、私が紹介してもよろしいですか?

馬場 はい、お願いします。

Navi 6月22日 月曜日、今日の読売俳壇の中で、たくさんの中から選ばれた句、紹介させていただきます。

「麦秋や北関東はうどん好き」正木ゆう子さんという方が選んだのですね。これはもうこの番組にドンピシャの俳句なんで。

馬場 ありがとうございます。

Navi いやいや。 素晴らしいですね。

馬場 あんまりお世辞は言わないでください。

えびすい ちょうど麦刈りが終わって、ぼちぼち田植えを皆さんなさってるこの頃合いで。

Navi この「麦秋」っていう言葉は、石原小にいた時、子供たちみんなに伝えた言葉なんですよ。 ZOOM の配信で「麦秋、皆さん知ってますか?」って。「この季節、周りは緑でいっぱいなのに、麦だけがこの色をしてる。麦の秋なんだ。」っていうのを小学生に伝えて、みんな「はあ」みたいな。 だからこれは本当に小学生にも教えたいぐらいの俳句。教育に使えます。

馬場 ありがとうございます。

えびすい 本当に郷土の季節感を、象徴するような言葉だなと思います。

Navi ということで、なんかもうぴったりタイミング合わせるのも、馬場さんの技なんですか?

馬場 いや、偶然ですよ。

えびすい 神社のご奉仕のたまもので。

Navi そういうことですね。曲にいってみたいと思います。1曲目リクエスト、この曲を紹介していただきたいんですけど。

馬場 リクエストですね。「上海帰りのリル」をお願いします。

Navi なんでこの曲なんでしょうか?

馬場 これは先ほど申し上げましたように、小学2年生の時に田舎に育った私が都会である桐生へ引っ越ししまして、しかも街のど真ん中に。状況は水道がある。ガスがある。そういうところでありまして、夕方になるとネオンサインが灯ります。合わせてすぐ前の八百屋さんから、レコードがかなり大きい音量で流れてました。「上海帰りのリル」という曲だったですね。毎晩この曲です。当時の父の日記があるんですけども、それによりますと、桐生というところは「日本の上海」と言われると。その話とは合わないんでしょうけども。あの地区は東毛地区って言うんですけども、東毛地区には3つの街がありまして。面白い表現で「桐生は着どころ。足利は食いどころ。太田は飲みどころ。」と。

Navi 私、太田に住んでるので、ちょうど今のはいただきますので。もう本当に馬場さんの教養が溢れるということで、曲にいきたいと思います。津村謙で「上海帰りのリル」、お届けします。

【曲 津村 謙 上海帰りのリル 】

Navi 時刻は12時20分を回りました。梅林堂提供「やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 第93回『渡辺崋山と熊谷』」をお届けしています。さて、じゃあ本題です。馬場さんにお伺いするんですけども「渡辺崋山と熊谷」、まず渡辺崋山っていうのはどんな方だったんでしょうかっていうところを伺えればと思うんですけど、私、いろいろ調べたら、社会科で中学生が見る資料集に画家として3つ絵が出ていて、江戸時代の方、そこぐらいまででちょっとストップしちゃって、他の方に聞いたら「蘭学者だよ」とかいろんなことを言ってたんですけど、どうなんでしょう?

馬場 一般には今のお話のように、絵師・崋山ということで間違いではないんですけども、実は崋山という人の本業はお侍で、渡辺定静(さだやす)という名前の方なんです。定静といのは、うかんむりの定に静岡県の静と書きます。蘭学者であり、開国論者、政治家でもあったわけですけども。一番分かりやすい話ですと、明治時代に「修身」という教科がありまして、修身の教科書に8ヵ所登場している人物でございます。1ヵ所載るだけでも大変素晴らしいことですけども、8ヵ所も載っている人は、渡辺崋山先生が一番多くて、他にはいません。

Navi 修身っていうのは、ラジオをお聴きの方にお伝えしますが、今でいう道徳に近いようなね。人の生き方とか、子供たちにそういうことを教える大事な教科であったと。

馬場 そうです。

Navi そこに8ヵ所も載っていると。 そういう方は他にはいなかった。それぐらい、生き方とかそういったものを、伝えていくべき人だったということでよろしいですか?

馬場 はい。ですから、その辺をもっともっと広めて、「渡辺崋山さんという人はすごい人なんだ」ということを、熊谷で発信したいなと思っております。私も興味を持って60年間ほど調査してますけども、いよいよやっと成果が出てまいってきておりますので、楽しみです。

Navi 政治家って言ったんですけども、例えば、絵を描いてるっていうのはわかったんですけども、どんなことをやったんですか?

馬場 はい。これはですね、身近な話ですと、まず飢饉、食糧難対策なんですね。飢饉が発生した場合に、困らないようにということで、備蓄倉庫を考案したんですね。それで崋山先生自ら、崋山としてではなくて、渡辺定静(わたなべさだやす)っていう武士が、自らお米を10俵、その中に入れた。種ですね。一番最初の種。天保7年か8年頃だと思いますけども、国中で天保の飢饉が起きたという時に、崋山先生の所属の藩、田原藩では餓死する人が1人も出なかったということで幕府からお褒めの言葉をいただいた。そういう大局的なものを考えられる人だったですね。

Navi なるほど。「天保」って聞いたんで、本当に江戸時代真っだた中という感じ。幕末とかじゃなくて、江戸時代、結構前なんですよね。防災というか、そういう人々を救った先見的な取り組み、後からやったんじゃなくて、やっておいたんで飢饉に耐えられたっていうことですよね。

馬場 そういうことです。

えびすい すごいことですよね。田原藩って三河の、今で言う愛知県の渥美半島ですよね、馬場さん。

馬場 はい。

えびすい 渥美半島に田原というところがあって、結構小さいお金のない藩だったみたいなんです。貧しいんだけども、格式は高い藩だったから、いろいろ出費はかさむ。そういう厳しい中で備蓄をして、飢える人が一人もいないっていうのはすごいことだなって。

Navi いや、すごいですよね。だからふつうはみんな困った後にどうするかとかね。 困ってしまってからどうするかっていうのはわかるんですけど、もう先回りしてそういうことをやって、結果人々がみんなが救われたっていう。それは尊敬されるっていうか。

馬場 実際には崋山先生は江戸の麹町の上屋敷で生まれ育った人なんですね。国元の田原は土壌が悪いところなんです。何を作ってもうまくいかないということで、江戸から今日でいう農政学者ですかね、農業の指導者を2度ほど国元へさし向けて産業をおこした。そういう努力もした人なんですね。

えびすい 崋山さんって、武士の家に生まれているんだけれども、お父さんは病に伏していて働けず、弟妹は多いわで、まあ本当に貧しい育ち方をなさってたんですよね。

馬場 もうひどい状態ですよ。8人兄弟(5男3女)の長男として生まれて、弟さんなんかは口減らしのために館林のお寺へ預けられたとか、他の人もよそへ出された。大変兄弟愛が篤い人で、それらのことがさっき申し上げた、修身の教科書にも登場してるわけですね。

Navi 8個も出たっていうことは、まだ他にやってますよね?いいことっていうか。

馬場 8ヵ所の内容ですね。それは、こういうことなんですよ。親に対する孝行しなくちゃならない。 主君に対して、こういう心がけが必要だとか、あとはどうですかね?友達と仲良くしなくちゃならないということもある。

Navi 基本的な今の習慣と同じ、お手本となるような生き方がそういうところ出ていて、きちっと残っている方。それが熊谷とまた関わってくると思うんですけども、これはどういうふうな感じですか?

馬場 熊谷との関わりは、崋山・定静さんが熊谷に調査に来たのは、今から約200年前です。それで、何を調べに来たかというと、田原藩が発祥したのが、それよりもさらに200年前の、つまり今から400年前。その400年前の藩発祥の地は武州の瓺尻(みかじり)らしいと。 瓺尻の土地に5000石の領地をもらったと。しかもこれというのは、徳川家康さんが三河の国から江戸へ移封されたその時に、初代の瓺尻藩主になる人は家康と幼馴染ということで、家康さんから今申し上げた5000石の領地をもらったと。まあ正確には3000石のようですけどね。あとから2000石増えて。ならびに、もっと大事だったことは、家康さんの「康」の字をもらったことです。『寛政武鑑』とかに載ってますね。「 領地と康の字一字を賜る」と。

えびすい それで藩主の名前が三宅康直とか、みんな「康」が付いてる。

馬場 初代が康貞、崋山さんに命令をしたのが康直。全部康の字を付けてます。

Navi そうですか。 瓺尻(三ヶ尻)が天保年間よりもさらに200年前の家康公が領地を与えた場所と関わっていることですね。

馬場 そういうことですね。

えびすい じゃあもう本当に江戸時代の初期ってことですね。

馬場 崋山・定静が一番感激したのはですね、瓺尻の地を訪ねて、400年前の三宅惣右衛門という名前が彫ってあるお墓が見つかったこと。小笠原運派という人のお墓の裏側にその名前が彫ってあるってことで、それで藩のルーツに関わる決定的な史料がつかめたと喜んだんですね。

Navi そうして残っている、そのことで、まあいろんなことがわかってきたっていう。

馬場 それでもう安心したわけ。崋山さんが命令をされてこちらに向かった時点では、どうやらその武州の瓺尻というところから藩が興ったらしいと。まだ確定じゃないんですよ。らしいっていうことで来たわけですね。

Navi ルーツというかそういうところを訪ねて、じゃあ誰かみたいですね。

馬場 あ、そうなんですか?

Navi なんか石井姉妹の方々は、ルーツを訪ねて石碑とか見てね、あちこち探検してるんですよ。だから元々、えびすいさんもそういうことをしてて。何かやっぱり、そういうルーツとか元をこう訪ねていくということにはやっぱり意味があったんですね。

えびすい そうですね、崋山さんもちょうどそういう証拠物件を見つけられて。ちゃんとスケッチしてね、帰るんですよ、全てを。

Navi 画家ですからね。

えびすい はい。運派塚の様子をしっかりと。

馬場 あの、現代の我々も、会社の仕事で出張っていうのがありましたけども。カメラで写真撮ってきますよね、現場の。それと同じように20枚のスケッチをしてるんですが、それはですね、写真で撮ったような正確なものですよ。 美術の世界では日本には遠近透視法っていうのはなかったそうですよ。ちょうど200年前頃ですね、崋山さんだけじゃないんですけど、他の人と3、4人でもって西洋の遠近透視法を覚えて、しかも崋山さんが自分で描いた遠近透視法っていうのは、今申し上げたように瓺尻に来て、上宿図、下宿図っていうのを2枚別々に描いてますけど、それがまさしく遠近透視法で描いてありまして、現代の美術の専門家が素晴らしい作品だということを言ってます。ですから、瓺尻と崋山さんの関係は、その美術の遠近透視法との関わりにおいては、ピカイチの部分がありますね。

Navi その作品がどこか収蔵っていうか、残されてる場所は?

馬場 多分、常葉美術館というところにあると思います。(補記:静岡県菊川市から2020年静岡市葵区に移転、「常葉大学附属常葉ギャラリー」と改称。他に東京丸の内の「静嘉堂文庫美術館」も崋山の名品を複数所蔵している)ただし、それの写本というのがいっぱいありまして。 写本、写しですね。 今日では日本全国に8組ないし9組あると言われています。

えびすい いわゆる「訪瓺録」(ほうへいろく)と呼ばれてるものですね。

馬場 そうですね。瓺尻(三ヶ尻)を訪ねた記録ですね。

Navi 何ですか?ほうへいろくって。

馬場 瓺尻を訪ねた記録です。お殿様に報告したわけですから。

Navi 報告書ってことですか?

馬場 報告書です。

Navi 「ほうへいろく」ってどういう字なんですか?難しそうですけど。

えびすい 難しい字ですよね。

馬場 訪ねる「瓺尻」の「瓺」(みか)ですよ。

Navi 「みか」、難しい「瓺」ですよね。

馬場 そうです。

Navi 「瓺尻」って 「三」の「ケ」じゃなくて、「かめ」っていう意味のすごい難しい字なんですよね。

馬場 そうですね。

Navi それで「訪瓺録」と。

馬場 そうです。

Navi 訪れる、に「瓺尻」の「瓺」、「瓺尻」を「訪れた」記録ということで、報告書があると。

馬場 何が一番埼玉県にとって大事かと申し上げますと、その「訪瓺録」にはですね、気候・風土から、もう社寺仏閣、いろんな角度で、全部入ってますよね。ですので、現在より200年前にそういう調査をして、記録が残っているってことが埼玉県としても大変なお宝なわけです。 ですから、崋山さんが描いた作品がどうとかこうとかっていうよりも、まずそれが大事なんですね。

えびすい 地誌としての価値が、非常に高いっていうことで。

馬場 具体的にちょっと紹介しますとね。瓺尻地区の女性は真面目で一生懸命働いてるんだけども、男たちはもう博打を打ったり、ろくなことをしてないということで、まあ、そういう先輩たちがいたから、今の三ヶ尻の男性はみんな真面目ですけどね。

えびすい あらあら(笑)

Navi そういう結構リアルな..

馬場 本当のことまで報告しています。包み隠さずですね。

えびすい 崋山さんってやっぱりね、優れた絵描きさんだから、もう観察力が半端ないんですよ。うん、よく見てます。本当に。

馬場 ですから文章でも報告してますし、写真に代わるようなスケッチもしてますから。お殿様はいい人に命令を出したわけですね。3人連れで来てるんですよ。路銀、お金も十両預かってきて、立派な報告書ができてる。その報告書があるから、埼玉県にはそのような史料ってのはないわけで、 これが貴重なんです。

Navi なるほど。ただ「行ってきたよ」じゃなくて、そこを詳しく、地誌としての価値があって、そして絵だってすごいわけじゃないですか。

えびすい すごいですよ、本当に絵が。私もやっぱり最初に崋山と出会ったのは絵が接点だったですけど、本当に絵描きとして、並じゃない人だなと思います。

Navi あの「訪瓺録」っていうのは今どこかにあるんですか?

馬場 「訪瓺録」は熊谷の図書館でも持ってますよ。

Navi あ、あるんですね。

えびすい 写しがあります。3階にも崋山の展示コーナーがありますよね。原本は燃えてしまったんでしたっけ?

馬場 いや、それがね。それが謎でね。 ちょっとこの FM クマガヤではね。発表できないんですけど。

Navi あ、わかりました。 大丈夫です。無理しないでください。でも何かね、どこかにはあるということ。

馬場 あります。

えびすい 「訪瓺録」は公的な性格の、殿に出す文書って感じなんですけど、その公務のかたわら崋山さんが手控え帳に、自分の手帳のようなものに、何でも書いてるんですよ。 その日の日記的なこととか。あの「客坐録」(かくざろく)っていう名前で、復刻版も出てるんですけど。 それを馬場さんが長年、本当に綿密に読んできていらして。それこそ大麻生の、あの辺りの細かい暮らしの観察、たとえば川で、どうやって魚を捕るかとか、その時に使う道具はこういう形でここがこうなってとか、そういう細かいところまで、崋山がスケッチとメモで残してくれていて、そういうものもとても貴重だなと思いました。

Navi 人々の暮らし、生活まで全部きちっと。

馬場 たまたま今、えびすいさんが話してくれましたけど、崋山の調査っていうのは、史料はいっぱいあります。(「客坐録」を手にとる)これを見ればいろいろ分かるわけですけども。残念ながら、今まで手掛けた人はいません。かといって、他のことに関しては、渡辺崋山関係の本っていうのは100冊も出てると思いますけれども。桐生を経由して熊谷へ来てるわけですけども、そのことについては、こういうものに全部、残されておるんですけれども、これを調べたのは私以外にいません。

Navi そうですか。

馬場 スケッチだとか、文章だとか、いわゆる手控えですから大変面白いんですよ。例えばどういうことかっていうと「大麻生は紅花、藍草を物産した」と。紅花について、これなんかも調査しますと、桶川に拠点があったんですね。古くは山形ですよ、紅花っていうのは。だけども桶川を中心にやったということで、そのエリアに大麻生も入ってたってことですよね。実際には、大麻生っていうところは調査対象じゃないわけですね。崋山さんの公務としての調査では。大麻生は領地じゃないですから。でも興味を持ったので、荒川に行って鮎の捕り方を見て、それをスケッチしてますね。

Navi これが「客坐録」?本物なんですか?

えびすい これも復刻したものですね。

馬場 これは復刻版ですよ。

えびすい かなり忠実にできてます。

馬場 これ1冊でなくて、この時にね、崋山さん関係は他にも熊谷以外でもありますから、30冊ぐらい出したの。 1回目、2回目、3回目と出して30冊ぐらいですね。当時の復刻版の値段が58万円ですよ。 とてもじゃないけど、私は買えませんでした。でもその後、古本として出たのを手に入れたんだ、ラッキーにも。これは全部彩色まで再現されてるわけですから。

Navi すごいですね。 はい。 あの、ラジオをお聴きの方には全然見えなくて大変申し訳ないんですけれども。

馬場 目のいい人には見えるかもしれない。

Navi また面白いことをいって。この「客坐録」という本の復刻版がすごい高価で、これを研究されてるのは馬場さんしかいないと。

馬場 そのうち、もう2人も3人も出ますよ。

Navi そうですか。 でも、日本初ですか?じゃあ。

えびすい そういうことになるんですかね?

Navi 馬場さんがこの偉業をやっているということで、曲にいきたいと思います。じゃあ2曲目、夜明けのスキャット。

馬場 お願いします。

Navi 由紀さおりでお届けします。

【曲 由紀さおり 夜明けのスキャット】

Navi 時刻は12時46分を回りました。梅林堂提供「やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語第93回 『渡辺崋山と熊谷』」をお届けしています。さて、あっという間にもう時間がどんどん過ぎちゃったんですけども。さて「これからのこと」ということで、ちょっと伺えればと思うんですけども、どうでしょうか?

馬場 はい。先ほど申し上げましたように、崋山・定静さんが200年前の天保2年という時に熊谷へ参りました。これは公務で来たわけですが、その関連のものっていうのは多くの史料が残っておるわけです。ところがなんと、最近だんだん分かってきたことなんですけども、崋山さんが熊谷にきたのは、この一度だけでなくどうやら何回も来ているらしいのです。これを今実証しております。調査してます。だんだん成果がでてきてます。これらは郷土文化会の年一回の会誌で発表しているところでございます。そしてこれは熊谷の人に知ってほしいことなんですが、世界的に有名な渡辺崋山が熊谷に来て、その折に投泊した、日夜生活した建物が大麻生に残っています。

Navi へー、残ってるんですか?

馬場 残ってます。厳密に言いますと崋山さんが来た時にはすでにできていた建物なんですね。この建物は床の高い高床形式でできてます。中の造りは大変豪華にできてまして。もともとこの古澤家というのは造り酒屋で、自分のところで造ったお酒は全て江戸に出していたのです。そういう関係で、江戸の職人が建物の中は作ったと思われます。天井は高くて贅沢な普請ですね。欄間は大柄の欄間です。これは当時の流行りの造りですね。建物ですから天井には板が張ってますけども、その板のあっちにもこっちにも節がある。私なんか思うのには、この節のある天井板を、崋山さんは休まれるときに見たんだろうな、とロマンに浸るわけでございます。したがいまして、この建物が市の文化財、あるいは県の文化財になればいいなと思っています。私も60年間、この崋山さんのことを追い続けてまいりましたけども、究極の願いはそうなることを願ってるわけでございまして、保存活動にも力を入れております。多くの方にご協力をいただきたいと思うんですが。ここのところ、去年から今年にかけて大変明るい話が入っておりますので、近々いい報告ができると思います。細かい話は相続の問題ですから。またのちほどしますけれども。

Navi これが最初に出た「松蘿園」(しょうらえん)っていう建物なんですね。大麻生にあるんですね。

えびすい あります。

馬場 名前はですね、「松蘿」っていうのは松と蔦っていう意味なんですね。先ほど申し上げましたように、建物は崋山さんが来る前からあった、いわばお客さん用の「客殿」っていう表現で伝わってますね。

えびすい ちょっと離れのような。

馬場 応接間、離れ。「松蘿」という名前をつけたのは崋山だと書かれてます。「松」と「つた」が庭にあったと。

えびすい 命名というか、 名前つけたのも崋山さん。

馬場 庭の話が出たからついでですけども、崋山先生は足利でも築庭、庭園の作り方を説明したり、熊谷の押切というところでも庭の設計図のような、造園の指図書を書いたらしいです。

Navi この松蘿園が、先ほど言ったように文化財になって皆さんにも知ってもらえれば、ここからまだまだ、崋山の研究っていうのは、今までやってきたものが生きてくるのかなって思うんですけどもね。時間になってしまいました。本当にすいません。時間になってしまって。

馬場 あと雹の話だけ、ちょっとかいつまんで話しますと、大正6年の6月29日、約100年前ですけども、熊谷市内でカボチャ大の雹が降りました。 その大きさはやかん大だっていう人もいます。重さが900匁、直径で7寸8分といわれた莫大な大きさの雹が降りました。

えびすい 換算すると、3.4キロ近い重さだったそうです。

Navi 熊谷のすごい事実もよくご存知の馬場さんでした。ということで、6月29日がその雹が降った日っていうことですよね。

えびすい 今年もそろそろやってきますね。

馬場 まもなくです。

Navi 雹には気をつけましょう!ということで、今日は、渡辺崋山と熊谷、もういろんなことを知っている馬場さん、そして石井姉妹のえびすいさんに来ていただきました。まだまだ話し足りないのでまた来てくださいね。

馬場 はい、ありがとうございます。

Navi 今日はありがとうございました。

馬場 お世話様でした。 ありがとうございました。

えびすい ありがとうございました。