
6月8日(月)FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語
第91回は「渡辺是仁先生の夏炉冬扇の書展」をお届けします。
熊谷高校の有名な書道教師 渡辺是仁先生をゲストのお迎えして、その秘密をたくさん伺います。高校時代熊谷高校で書道選択された方は「渡辺これじん先生」として知られています。
渡辺先生はこの度 卒寿を迎え書展「夏炉冬扇の書展」を行います。卒業生の手によって実現した企画です。楽しくて印象的でユニークな指導で記憶に残る教師として伝えられています。
今回は是仁先生のなまえの読み方からはじまり、どんな書道人生だったか「秘密」を伺います。どうぞお楽しみに!
渡辺先生は令和五年度熊谷市文化功労表彰を受けています。以下紹介文熊谷市HPより
渡辺是仁氏は、昭和47年7月に熊谷市美術展書の部審査員に就任して以来、熊谷市書道展審査員、熊谷市勤労者文化展の審査員を務めるととも
に、公民館及び直実市民大学において、長年にわたり書を指導し、本市の芸術文化の振興に大きく貢献されました。
氏は、書家としても、その高い実力により多くの実績を収め、第1回熊谷市美術展書の部における特選第1席受賞を始め、県北書道展、県北美術
展、埼玉書道展などで、数多く賞を受賞されました。また、平成22年4月の設立当初から現在まで、直実市民大学かな書道クラブの講師を務める
など、後進の指導にも尽力されています。
一方、長年、熊谷市文化連合の役員を歴任され、平成23年5月には同文化連合の会長に就任し、同時に、熊谷市文化連合、大里文化団体連絡会、
妻沼文化連合及び江南文化団体連合会の合併協議会委員長として指導力を発揮し、平成27年4月に合併を成し遂げました。
さらに、熊谷市教育委員会発行の「文芸熊谷」では、創刊号から編集に携わり、企画委員長及び編集委員を務めるなど、文芸創作活動の振興に尽
力され、平成22年6月からは熊谷市社会教育委員会議委員、平成23年5月からは公益財団法人熊谷市文化振興財団理事を歴任されました。
以下 AInottaによる書き起こしを修正したものです
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオからお送りします。月曜のお昼は梅林堂提供「やわらか熊谷僕らがつなぐ物語」第91回渡辺是仁先生の「夏炉冬扇の書展」という、今日はタイトルでいきたいと思います。ということで、名前がもう出ちゃってますけども、今日のゲストは渡辺是仁先生こと、渡辺よしひと先生に来ていただきました。こんにちは。
渡辺 はい。 皆さんよろしくお願いいたします。
Navi 渡辺先生は私からすると恩師ですね。書道の恩師なんです。多分これじん先生っていうとみんな知ってるんですけど、まず最初に 熊谷高校でお世話になった先生なんですけども、これじん先生の本名はヨシヒト。本名ヨシヒト先生でよろしいですよね?
渡辺 はい。
Navi そして、雅号は渡辺継斎(けいさい)先生ということでよろしいですよね?
渡辺 はい。
Navi ということで、今回渡辺先生の書展があるということで、今日はどんな書展なのかなっていうのを伺うのがメインなんですけれども。先生と本当に、高校生ぶりにいろんなところでお会いして、改めて渡辺先生にいろいろ聞けたらなって思って、今日は番組に来ていただきました。最初に渡辺先生は、熊谷高校の先生として何年ぐらいいらっしゃったんでしたっけ?
渡辺 昭和三十八年からですから。そして離任したのが昭和五十八年です。二十年間。
Navi 二十年間、熊谷高校の教員をなさっていました。私が生まれた年が昭和38年なんですよ。私もいい年なんですけど、その年に着任されて、二十年。
渡辺 はい。
Navi ということは、私はやっぱりその中で先生にご指導いただきまして、本当にありがたいなというふうに思うんですけれども。多分このラジオを聴いてる方で、熊谷高校でお世話になった方もいます。熊谷高校の後は?
渡辺 ちょうど二十年勤めました。転勤するのに、まあいい区切りの年かななんて思いまして熊谷高校の後は行田女子高校へ移りました。そちらで13年勤めて定年を迎えました。定年を迎えたのが1996年。
Navi だから行田女子高校でラジオの話をしたら、「私も教わりました」っていう女性の方がいて。
渡辺 そうだね。
Navi 行田女子高校で教わった方もいらっしゃると。
渡辺 あ、そうですか。世の中なかなか狭いもんですね。
Navi 狭いです。多分、これじん先生といえば渡辺これじん先生っていうことで。今日初めてラジオを聞いて、是仁先生はヨシヒト先生ということなんだっていうのを知った人もいるくらいだと思います。それくらいこれじん先生で定着していた。申し訳ないですけども、それくらい有名で、知られてるお名前でそして書道の先生ということで、知られてるということなんですけども。高校時代には書道部に入れていただいて、お世話になってたんです。書道を教えていて、とにかく渡辺先生は名言がよく残っていて。授業中に、面白いことを今で言うことで有名でした。親父ギャグなんですけど、難しいことを面白く教えてくださって。
渡辺 まあ、書道っていうのは。中学校まではあんまり親しんでやってこないというわけでしょう。だから高校に入っても十分理解が進まないことが多いもんですから、とにかく少し面白いことを言いながらこちらに向かわせなきゃいけないと思いましたので、中国の有名な書家の歴史的なことなど、お話しする時には面白い言い回しをいろいろしたことがありましたね。
Navi そうですよね。もう有名なのはやっぱり太宗皇帝。
渡辺 はい。 「太宗皇帝というたいそう立派な皇帝がいまして」この方が大変書道を愛好したので、そして書道の時代には三大家というのがいまして、愚生南、王陽春、朱瑞亮というような人がいましたよっていうような、そんなことをよく一年生の時には喋りましたね。
Navi 先生の語り口が卒寿を迎えて九十歳ということなのに、多分四十年前に聞いたのと同じ語り口です。耳に残っている言葉が今もう一回再現されたので感動しちゃいました。それぐらい先生はこれっていうことをはっきり面白く伝えていただいて。私が一番覚えているのは、書道部に入って一生懸命練習してたんですけど、先生から「お前の作品は水虫だ」って言われました。これが忘れられない。「水虫って何ですか?」って言ったら、「書けば書くほど悪くなる」って。あんまり練習しても進まないっていう意味なんですよ。これだけでなく本当に他にもいっぱい、名言が残ってる、耳に残ってるんですけども、多分愛を込めていろんなことをこう伝えていただいたんだなっていうのは私は思っていて。
渡辺 恥ずかしいこと、今聞いたなあ。本当に達郎に対して失礼でもあったんだけども、よく言ってました。 書は水虫みたいなもんで、かけばかくほど悪くなるんだと。だから、第一発目に書いたものが一番いいものができるんだから、真剣に最初に取り組まなきゃいかんのだぞ、なんて言ってましたね。
Navi そうですね。だから私もなんかいろんなことをやって、作品を作ってる時に、テクニックをいろいろ使って、なんかわざとなんかこういう風にしようとしてると、すぐ渡辺これじん先生にわかっちゃって。「なんだかこの作品は松田聖子みたいだ」と。 なんか聖子ちゃんの話を出されて。
渡辺 それは私覚えてないけども。
Navi そうですか?言いました。「なんかこの作品はアイドルのようだな. なんか面白さを狙ってるね」でも最後は「いや、でもウケはいいかもしれないと」。というふうに、言われた記憶がある。だから今は松田聖子って言っても今はいい歳になって、当時はアイドルを例に、私の作品について「松田聖子のようだな、お前のは」って言われて。
渡辺 おお、そんなこと言ったのかな?
Navi はい、そうです。「これを出したいんですけど」って言ったら、「まあ出してもいいよ」って言ってくださって、その作品が今まで書道やっててもあんまり賞取れたことがなかったのに賞を取らせていただいて。
渡辺 それはよかった。
Navi 先生が「それ出していいよ」って言ってくれたので賞を取ったのは実はその書道部で先生にお世話になったおかげです。今まで一生懸命習字やっても全然ダメだったんですよ。でも、書道の良さというか、初めて「あ、いい思いをしたな」っていうのが記憶に残っていて。 今はほんとちょっとしかやってないんですけども筆で書くのは好きです。ということで、先生との思い出をちょっと語ってしまいましたが、まず、先生の経歴ですかね、ちょっとそれを伺いたいなと思います。 よく「小学校どこですか?」って言うんですけど、今日はそういうレベルじゃないので、先生、熊谷とか埼玉出身じゃないんですよね。どちらの出身だったんですか?
渡辺 私の経歴を言わなきゃいけないわけね。いいですよ。私が生まれたのは、兵庫県神戸市。父親は、勤め人だったわけなんですけど、大して出世するわけでもないが、まあ真面目な性格で、一応平和な生活を送っておりました。ただ第二次大世界大戦が始まってから、食料事情が非常に悪くなってきましてね。私の家には早くからそういう状況が襲ってきて、どういうわけか知りませんけれども、母から聞いたところによると、うちは早くから、食糧難になったんだと。父親はやっぱり、もともとは農民の出だったわけですから、それじゃあ、開拓農民を志して中国へ渡ろうということで、一家で、満州、現代で言うと中国東北部ですけど、そちらの、開拓農民になりました。そこではね、敗戦まで食料には困らなかったし、生活には困らなかったし、空襲警報もなかったし、 敗戦までは平和に暮らすことができましたけれども、戦争が終わってからか大変な思いになりましたね。私、戦争が終わった日を知らなかったんですよ。 というのは僻地でしたから電気がなかったので、玉音放送なんて聞かなかったんでね。。 八月十七日になってから初めて戦争が終わったんだ、負けたんだっていうことをね、聞かされまして。それから一週間か十日ぐらい経つと、ソ連兵がやってきて、略奪、迫害、様々なことをやる。現地の人が後からついてきて、どんどんと私どもの家のものを持っていく。何を持っていかれようとも文句は言えない。黙って我慢しなきゃいけない敗戦国の惨めさは味わいましたよね。 とうとう11月になって、もうそこにいられなくなったので。 もう着の身着のままで、リュックサック一つを背負って、そこを脱出したわけなんですね。早く家を出て、荒野を10時間も歩いて列車が通ってる駅、つまり吉林省敦化という駅にたどり着いたわけなんですよね。そこでは、本当に駅舎の中でゴロ寝をしながら数日間過ごしました。そこでもソ連兵の略奪にまた遭いました。 そんな中でやっと乗車を許されたので、みんなで行って、乗ることにして、乗ったところがなんと、石炭とか材木などを運ぶ無蓋車ですよ。 屋根の列車でした。そこに乗って、頭から、外套っていうのはオーバー
Navi コートみたいなやつですよね。
渡辺 それで、もう身をかがめてね、寒さに耐えながら走る列車の中でじっとしていて。
今の瀋陽、当時で言うと奉天ですね。そこへたどり着いたわけなんですよね。そこで、現地のその救援体制があったもんですから、とりあえず収容所を作ってくれまして、収容所に入りました。ありがたいことに、奉天の鉄西区っていうところの、工場の寮が閉鎖になったところで、空いたところへ入れていただいたわけでした。だから、設備は良かったんですけどね。スチームも通ってないし、もう何もないから寒くてどうしようもないし、食べ物はないし、不衛生だし、シラミは湧くし、発疹チフスにはみんながかかる。どんどん人が死んでいきましたね。そこで、私の父や妹も亡くなりました。翌年四月にやっと「まもなく帰れるぞ」という情報が入りまして、葫蘆島っていうところまで列車で、これも無蓋車に乗って、葫蘆島について、そこから貨物船に乗せてもらって、京都の舞鶴という港に着きました。 そして舞鶴に着いて、生還して上陸したのが六月七日。 昨日がね。
Navi そうでしたか。
渡辺 日本へ帰ってきて八十年目なんですよ。 だから私はね、その日を自分の新たな誕生日だというふうに心の中で決めてるんです。
Navi ということで、先生のスタートは兵庫県で生まれて、そして中国に渡って、戦争の話は 私は父や母から聞いたんですけどね。当時子供だった先生のすごい壮絶な体験っていうことですよね。
渡辺 帰国してからもやっぱり村一番か二番の貧乏人の家庭でしたよね。父親はないし、家はないし、財産もないし、母子家庭だし、まあミニマムな生活。でも我が家だけじゃないです。日本国全員がそんな経験の中で生きたんですから、みんな歯を食いしばって頑張ったんですよね。当時の人は、みんな。
Navi その後、先生は高校を出て、そして大学に行って、高校の先生に?
渡辺 うん。高校を出てね、私就職してたんですよ。
Navi そうでしたか。
渡辺 でも、だから大学なんてとても行けなくて、地元の製紙会社のパルプ部門で、現場で重労働。年中監督に怒られてました。 そこで一年間働いてまして。ためたお金を握って東京に出てきたんです。
Navi 今度は書道の道っていうか、
渡辺 小さい時から書道が得意だった。わりあい成績が良かったのが 書道だから、大学行っても書道をやりたいっていうことで、書道が勉強できる大学を選んで卒業してみると、やっぱり書道の教員以外にはもう勤めがないって …教員を目指して、埼玉県までやってきて、熊谷高校でお世話になったわけです。 そこで達郎くんと出会ったわけですよ。
Navi そんなの高校時代聞いたことがなかったです。こんなお話を、今ここで聞けるなんて、なんかちょっと夢のようなんですけどもね。先生の歩んできた道っていうのを伺って本当に改めてよかったなって …本当に改めていろんなことを考えてきたと思うんですけども。さて、ここでね、先生、あの、リクエスト曲なんですけど、ここでこの曲でよかったですかね?
渡辺 なんでしょう?
Navi 宇宙戦艦ヤマトですよ。
渡辺 あ、いいですね。
Navi いいんですか?
渡辺 年中あなたは私のところ来て、「宇宙戦艦ヤマトはいいよ」 「聞いてよ、聞いてよ」って言うんだけど、「何言ってんだ」と思っていて。なんて年中言ってたけど。数年後にあれを聴いてみて、私は感動しましたよ。
Navi そうでしたか。
渡辺 もういい曲ですよ。
Navi 戦争の話から宇宙戦艦ヤマトでいいのかなと思いますが、ここでかけたいと思います。では、ささきいさお宇宙戦艦ヤマトでお願いします。
【曲 ささきいさお 宇宙戦艦ヤマト】
時刻は十二時二十分を回りました。梅林堂提供、やわらか熊谷ぼくらがつなぐ物語、第九十一回、「渡辺これじん先生の夏炉冬扇の書展」をお届けしています。先生、なんか急に、宇宙戦艦ヤマトになっちゃって雰囲気が変わっちゃったんですけど。 私も懐かしいですよ。私がそんなに宇宙戦艦ヤマトがいいって言ってましたっけ?
渡辺 いつも私のところに来ては、「先生、宇宙戦艦ヤマトあれいいですよ、ぜひ聞いてください」って私が「何言ってんだ」って言ったら、「先生、漫画だと思ってバカにするんじゃなくて。曲はいい曲ですからね」って。
Navi 失礼いたしました。
渡辺 心を込めて褒めてた。
Navi そうでしたか。なんか、もう夢中の高校生だったっていうのがバレちゃいましたけどね。 じゃあ本題のところに行きますけれども。今回渡辺先生の「夏炉冬扇の書展」っていう名前の、展覧会を卒寿記念ということで、これから行うということなんですけど。先にちょっとお話ししてしまうと、熊谷市立図書館一階の、市民ギャラリーで6月の24日から28日までということで、書展を開くということなんですけど。先生の書展っていうのは、今まで、何回かやられたことがあるんですか?
渡辺 今回で三回目ですね。
Navi そうですか。 先生、たくさんの作品がある中で、まだ三回目なんですね。
展覧会とかはたくさんあれだと思うんですけども、 先生の書展って言ったら三回目に当たるという貴重な機会になりますけれども。あとはこんなことを聞いてはどうなのかと思いますけど、この「夏炉冬扇の書展」の「夏炉冬扇」の意味を私がちょっと解説すると、「夏炉」の「か」は夏です。「ろ」は炉ですね。「とう」は冬で、扇子の「せん」ですよね。うちわというか。だから「これ、どういう意味なんだろうね?」と友達に聞いたことがありました。
渡辺 文字通り。夏に暖炉というのは役に立つどころか邪魔者になる。 冬に扇子を使うなんていうのはピント外れだと。そういう風に役に立たないもんなんだということが。意味なんでしょうね。松尾芭蕉がこの言葉を使ってまして。「俳聖」と言われた松尾芭蕉さん自身が、「世の風雅は夏炉冬扇のごとし」と言って「私の風雅の道は夏炉冬扇のように役に立たないもんなんだ」という風に、謙遜して使ってたのを古い時代に聞いて。「ああ、そういう言い方があるんだな」っていうふうに思って。二十年ぐらい前に私の知り合いの方が、私に歌集を下さって、その歌集のタイトルが「夏炉冬扇」というタイトルで歌集を作っておられたんで、「お、面白いな」。「私もそういう風に考えてみるのも面白いかな」ということで考えてみたわけなんですよね。
Navi あ、そうでしたか。じゃあ、松尾芭蕉から来てるんじゃやっぱりこれはすごい、
渡辺 そんなことです。 普通彼を当然を知ってる人は、「それ百に例えて意味なんだけど」って言うけど、「いやいやいや、そんなはずはない」ということで
Navi 松尾芭蕉から来てるんだとすると、やっぱりこれはすごい展覧会ということで、ラジオをお聞きの方は楽しみにしていただけたらと。気になった方は文化センター、市立図書館1階の市民ギャラリーに行っていただきたいです。さて、先生、作品についてですけれどこれから見ていきたいなというふうに思うんですけども。この作品目録っていうのを今手元にいただいて、ラジオをお聞きの方はですね、先ほどから出ているように言葉も難しい習字っていうか、書道の道はかなり見ても難しいんですけど、ここをちょっと、先生にいろいろ聞きながら、追っていこうと思うんですけども。まずその作品目録の一番に「岳陽楼の樹」っていうことでよろしいですかね、
渡辺 これは中国で有名な文章なんですね。私は、高等学校の時に、漢文の授業でこの文章を学習する機会がありました。素晴らしい文章だなと思っておりまして。その後、よく調べてみると、現在は中国の古文新宝という本に収められている。 古文というのは古い文章ですね。 はい。 新宝というのは、新の宝である。中国人も尊重するし、日本人もこの文章に親しんだんですね。だから、高等学校の教科書に出てきたんですよ。 教科書に出てる文なんですね。 そうなんです。
Navi それを書かれた。
渡辺 今日、私ね、その時に使ってた教科書を持ってきました。
Navi お!すごい!ラジオをお聞きの方にはわからないですけど、黄色い紙になっている、しかも漢文の教科書を持ってきてくださって。これが教科書なんですか?黄色いですよ、もう完全に。
渡辺 ボロボロの本になってます。
Navi これは見たこともない教科書に漢文が載っていて、これを作品にしたということですね。教科書に載っているのをさすがやっぱり書道の先生ですから。なんとその文字数といったら331字。 そんなに書いたんですか?
渡辺 そうですね。細かい楷書で書きましたから、一字の大きさが一円玉ぐらいの大きさでしょうかね。それが331文字。しかも丹念に楷書で書きましたから、よほど時間がかかったんでしょうね。
Navi いや、時間かかったんですよね、先生。
渡辺 うん。もう書いた時のことは記憶にありませんけど、おそらく七十代の半ば頃、まだ体力、記録がしっかりしてた頃書いたんでしょうね。今じゃとてもそれを書く体力、気力はありませんけれども 楷書できっちりと書きました。
Navi はい。楷書といえば、一番活字に近いというか、本当に、読みやすい、崩してないっていうのが楷書ですよね。さて、二つ目は今度は「漁夫の辞」っていうのがありました。今度は、書いた文っていうのは、なんていうか、折ってある紙に書いてあるってやつですよね。
渡辺 漁夫の辞っていうのは、 作った人は中国の屈原という有名な人が作ったもので、これも有名な文章なんで 『古文新法』の中に出ているんです。 これも教科書の中にありますよ。
Navi これも教科書に出てる じゃあ、もう本当に教科書の中から作品書いているということなんですね。
渡辺 これは、折り帖と言いますけども、あ、それに描いた現物を持ってきました。
Navi これは、実物、展覧会の会場で、皆さんに見ていただくもの 本物を今お持ち いただいたということですね。折り帖っていうのは、パタパタパタパタと折ってある作品で、コンパクトになってますけども、これ広げると大きくなるという。
渡辺 そうですね。
Navi その他は額に入った作品が多いということ
渡辺 そうです。
Navi これは額じゃなくて、パタパタパタパタとアコーディオンみたいに広がる。これが二つでワンセットということ
渡辺 これは全部で210字書いてありますから。
Navi これも先生、なんか途中で間違ったら大変な作品ですよね、
渡辺 これ。 やり直しがきかない。うーん、普通の画仙紙に書くのなら、いわば途中で 「あ、失敗したな」と思ったら、紙を取り替えて新たに書き直しするっていうこともできますけれども、これは途中で失敗して書き直そうと思ったら、この 折り手本の一冊全部ダメにしちゃって、新しいの使わなきゃいけないでしょう。こりゃ大変だから、もう本当に失敗しないように緊張、キンチョーで蚊取り線香みたいな気持ちで。
Navi また出ましたね。
渡辺 また冗談が出た。
Navi 出ました
渡辺 出ました。緊張の蚊取り線香。
Navi 今はあまり聞いてないと思うんですけど、まあ高校時代は、みんな緊張の蚊取り線香でわかると思うんですけどね。さて、先ほど言ったように、「一発目から勝負しろ」とこれがまさにその渾身の作品を書いていく先生の姿勢なのかなっていうのを、改めて何回も練習してなんとかじゃないってことですよね。 さて、他にも作品がたくさんありますので、ちょっと見て いきたいと思うんですけども。ちょっとたくさんあるんで全部紹介したいところなんですが、その8番にある 『原爆行』っていう作品は、これがまた気になる作品なんですけども、「原爆行」って原爆に行くっていう行田の行って書いて、作者は土屋竹雨さんでいいんですか?この文章を書いた人は。
渡辺 これは原爆が米軍によって投下されましたよね。 広島に落とされて三日後に長崎に落とされた。その状況があまりにも悲惨であるということで、当時、漢学者で漢詩を作るのに上手な土屋竹雨という方が この詩を作ったのです。詩は全部で140字あります。これはもう読んでみると、原爆の恐ろしさ。悲劇、そういうものが、漢詩で書いてあるけれども、読んでみると手に取るように感じられる表現された詩ですね。
Navi これは私も思ったんですけど、扁額といって、その額に入っている作品なんだと思うんですけども。 書っていうと、字の形とかいうのもそうですが、これ、中の言葉もすごいメッセージとして、作品として仕上がってるっていうことでよろしいですか?
渡辺 はい。これも楷書だから、普通に気取らないで、普通に書いた楷書なんですけどね。今まで話のあったものと同じぐらい、やっぱり一字は一円玉ぐらいの大きさの文字でしたね。
Navi これは漢詩で、日本の方が、原爆の悲惨さを書いた文章を作品にしたという。私も今、あの、DVDの作品を見せていただいてるんですけど、本当に綺麗な、読みやすい文字でまあ、ただ漢詩なんで、あの、ちょっと見ると読めないんですけれども、下し文がこちらの方にあるので、これを見るとやっぱり、悲惨な状況っていうのを詩にしたものを先生が、改めて作品にしたということなんですね。
渡辺 はい、そうですね。これは展覧会の会期中においでになった方には、出品目録をお渡ししますから、その中に、全文をわかりやすく読み下せるものを印刷して作ってありますから、これをさし上げますので、お見えになった方は、そこでよく見ていただけると私は嬉しいです。
Navi 字の形というよりは、全体的にメッセージ性もあるというのが、これは渡辺先生の作品として、今までやっぱりこれも、高校生の時にはあまり、わからなかった先生の強い思いをすごく感じられた作品だなと。それで今度は10番。これちょっと面白そうなんだけど。酒に鬼って書いてある作品があるんですけど、これ何て読むんですか?
渡辺 これは「酒の鬼」さっきの「酒」「鬼」という漢字二字が題になっておりますけど、中国で言うと「チュウグイ」と言うんですよ。鬼というのは恐ろしいものという日本人の感覚があるけども、中国人は恐ろしいことばかりじゃなくて、ちょっとユーモラスも込めたものも、この字を使っておりますね。これは、七言絶句という詩の形式で、私が漢詩を作ったものなんです。
Navi 先生が漢詩を作った。 でも最初は、国語の先生として就職して、書道も教えていたということなので、やっぱり漢詩、そして、中国、今もそうですけど、日中友好のことをいろいろやって、先生は授業中も中国語でちらっとお話ししたりするんですけど、これ漢詩を先生が作られたってことなんですね。
渡辺 内容は面白いことなんですよ。 古い友人三人が酒屋で酒樽の前に座ってみると、その飲みっぷりたるや、長い鯨がガブガブと飲んでいるようだった。酒屋のおやじさんは驚いて顔色もなくなってしまっているが、当人たち三人は、「俺たちゃ呑んべえだよ。そうだ、そうだ、そうだ」という内容なんで笑っちゃいますよね。
Navi あの作品を見ると漢字がずらっとやっぱり七言絶句だから、七文字ずつずーっと並んでいて、ちょっと見るとわかんないですけど、その意味がわかると、これはまたすごい楽しいのと、あとこの作品にはイラストが、先生、イラストが入ってますよ。顔が三人の男の子というか、男の人というか、なんか 人間の顔が入ってますよ。これもいいんですか?こういう作品。これはすごい楽しすぎて。
渡辺 まあ私の遊びですね。三人の酒好き男の顔ですね。これもすごく楽しくて。
Navi これじゃあ、『酒鬼』っていうこの作品も、もし覚えてたらラジオ聞いてこられた方もぜひこれも見ていただいて。しかも漢詩できちっと作品としても、収まっていて素敵だなって思っちゃう。でも内容はすごくユーモラスというか、何でしょう。楽しいというか、そういう作品ですね。
渡辺 これは中国語で読んでみると 「ラオポンサンウェイソウトゥンテンインルーチャンキンシーパイチュアン」「シチュー・シーチャンクイ・チンクウ・スー・オウメン・チュウクイ・ランランラン」
Navi ランランラン。
渡辺 うん。ランという字が三つ並んでるでしょ? これ「然り」という字ですよね。 だから、現代語訳にすると「そうだ、そうだ、そうだ」という意味になりますね。
Navi ランランラン、然り然り然りは、「そうだ、そうだ、そうだ」っていう意味なんですね。
渡辺 自分たちで喜んで「そうだ、そうだ、そうだ」って、ふざけて遊んでるっていう、そんな雰囲気です。
Navi なるほどそこまで聞くと、やっぱりこの作品がどんどんどんどん面白いっていうか、その魅力的というかにそう感じる。パッと見るとやっぱりこのイラストが目を引くんですけど、その言葉もやっぱりすごく。
渡辺 これ小さい作品です。ほんと小さいものです。
Navi そうですか。綺麗な額に、入ってますよね、そして、これは結構有名な、今度の作品になりますけど、「枕草子」の一節ですね。これも教科書にも出ていて、有名な「春は明けぼの、ようよう白くなりゆく山際」。これも作品にあるということですね。
渡辺 そうですよね。これは冒頭の部分ですかね。
Navi それからですね、どんな作品があるかというと和歌。
渡辺 はい、和歌。
Navi これは、かな作品になりますか?
渡辺 はい、そうです。
Navi 漢字の作品、楷書の作品。楷書っていうのはきちっとした、一番読みやすい、崩してない。それから行書があって、そして和歌、かなの作品もあるわけですよね。これは有名なものを全部集めた感じですかね。
渡辺 これは、和歌を四つ作品作りましたけれども、みんな小さい作品です。私は若い時は漢字ばかりの作品書いておりましたんで、ただ歳を取ってくると、こんな大きい漢字作品ばっかし書いてられなく、体力的にもう無理になるかもしれないから、やはり必ず小さい作品も書けるようにしておかなきゃいけないかなという風に思って、大体四十代の終わりぐらいから、かなの練習に重点を置いて書き始めたわけなんで。だから、かなの勉強をしはじめてからまだ四十年ぐらいしか経っていない。
Navi いや、四十年経ってますけど。
渡辺 あんまり自信がないから、大きい作品は書けなくなってる。小さい作品ばかり書いたんで。
Navi そうでしたか。
渡辺 かなの作品はね、四十年ぐらい勉強したからって、ものにならないんですよ。
Navi そうですか。
渡辺 だから、恥ずかしい。
Navi そうですか。いや、もう深すぎて、さて、そういった俳句の作品もあり、そしていよいよこの十四番、この『人間はなんと愚かな生き物だろう』という作品。これはなんかすごいなと思ったんですけど、これは私が読みます。いいですか?
渡辺 はい
Navi 「私が高校三年生の時、担任教師、井原康雄先生は広島高等師範学校在学中に、市内で原爆投下に見舞われた。倒壊した駅舎の下敷きになったが、奇跡的に助かった。しかし、先生の体は放射能に侵され、戦後は休学、復学を繰り返し、三年遅れて卒業されたと聞いている。
先生は健康を回復された後も、後遺症に怯えながら教壇に就かれた。先生はご自身の被爆体験を短歌に詠まれ、勤務のかたわら整理されて、後年、『原爆歌集』を出版された。収められた歌の数は一千余首にも及んでいる。いずれの歌も臨場感があふれ原爆の怖さ、悲惨さが読者の胸に迫るものばかりだ。あれから八十年近く経た今も地球上には紛争は絶えず、核兵器使用の声すら遠くから聞こえてくる。人間はなんと愚かな生き物だろう。」2024年作と。これが先生の書いた文章なんですね。
渡辺 はい。私が大変お世話になった恩師の先生のことを書いたわけなんで、この文章は自分で作った文章を作品に変えたわけです。
Navi これは漢詩ではないんですよね。
渡辺 そうですね。うーん、和文の散文ですよね。
Navi いやー、すごい。なんていうか、先生の作った文章、先生の担任の先生のことを書いたことを作品にしたということですね。 しかも2024年って結構最近ですよね。
渡辺 そうですね。二年前ね。
Navi これを書かれた心境っていうのはどんなんでしょうか?
渡辺 いやー、もうお亡くなりになられたから、生きてらしたらお目にかかれるといいんですけども、もうお目にかかれないのは残念ですよね。
Navi ほんとこの作品、先ほどからずっと言ってるんですけど、文字の作品とかってよく書道展であるんですけども、メッセージがいろいろある。とにかくいろんな分野から先生が 今回のこの書道展には出してるんだなっていうのを、改めて目録を見て、感じて、そして実際の作品も見ても、パッと見ると「わぁ、すごい作品だな」と思うんですけど、もっともっと知ると、いろんなものが伝わってくるなっていうのをすごく感じたんですけども。全部をご紹介することはできなかったんですけども、この書展は「夏炉冬扇」っていうふうに先生はおっしゃってますが、非常に渡辺先生の世界が出てるので、改めて高校の時に知らなかったいろんなことを、改めて教えてくださる空間になってるんじゃないかなと思うんですけど、この展覧会っていうのは卒業生の皆さんが計画されたって聞いたんですけど。
渡辺 卒業生の皆さんがありがたいことには本当によく協力してくださるの。今回の案内状のはがきの印刷も、卒業生の方が引き受けてくれて。きれいな図案を添えた案内はがきができまして、ほんと嬉しかったですね。展示についても、やっぱり、卒業生の方が「うん、いいよ」「絶対に行きます」って、気持ちよく言ってくれて、「おお、私は本当に幸せ者だな」と思ってる。
Navi そうですか。今回写真のDVDもあって、これで見られるっていうのはいいですね。
渡辺 うん。このDVDを作るにあたってもカメラマンは卒業生の人で、しっかりした熊谷の有名な写真屋さんが 献身的に作ってくれてるんで。
Navi 熊谷の方ですね。先輩です。私の本当に先輩に当たる方で。
渡辺 ある作家が「九十歳、何がめでたい?」なんていう本を書いたことがありますけども、私は九十歳になって本当にありがたいことばっかりなんで、今、大変幸せな思いの中でこの仕事を進めさせてもらってます。
Navi そうですか。ほんとに楽しみです。「夏炉冬扇の書展」という渡辺これじん先生の展覧会が行われます。さて、ここでまた曲に行きたいと思います。先生、次の曲は何でしょう?
渡辺 はい。坂本九の
Navi なんでこれ?
渡辺 私が大好きなんです。
Navi あ、そうですか。
渡辺 あなたも好きでしょ?
Navi はい、好きです。ということで、坂本九、『上を向いて歩こう』をお届けします。
【曲 坂本九 上を向いて歩こう】
Navi 時刻は12時48分を回りました。梅林堂提供、やわらか熊谷僕らがつなぐ物語第91回、渡辺これじん先生の夏炉冬扇の書展をお届けしています。さて、ここでお便りをいただきました。ラジオネーム あかあんどんさんからいただきました。
「こんにちは。本土に戻り80年。すさまじい人生ですね。貴重なお話ありがとうございます。青木丹左衛門先生が大連から戻られ、京都の学校に行ったことを話されたことを思い出します」
ということで、これ、熊谷高校関係者ですね。
渡辺 早速そういうのを聞かせてくれるなんて、本当にありがたいね。
Navi 聞いてて、こういうお話、それから先生の語り口を多分本当に久しぶりに聞いた方はですね、もうジーンとして、色んなことを、思い出してるのかなって思うんですけれども。先ほど戻られたって言うんですけど、先生はしばらくその日中友好とか中国語とかっていうのを本当に進めてはずっといらっしゃってたっていうことですよね?
渡辺 そうですね。私は、教員生活の中で、あくまでも現場主義で生徒と一緒に歩もうというふうに考えておりましたから。管理職への道を考えなかったので、結局その分を何か。退職後も余力になるものを持ちたいなという風に考えたのが、40代の初めぐらいで、その頃はぶつぶつNHKのラジオ講座を聞きながら中国語を独学して勉強すると同時に1972年に日中友好回復されたので、それを機会に、埼玉県日中友好協会に入りまして。そこでだんだんと深入りしていきましてね。 退職後も20年間、中央公民館で中国語講座を運営しましたよ。 幸いなことに、立派な中国の先生が講師になってくださったので助かりました。
Navi 先生、あっという間に最後の時間になっちゃったんですけども、今回、この書展に、皆さんに、来ていただくってこともあるんですけども、改めて、今回作品を数多く見る中でも、出てたんですけども、先生が伝えたいこと、ラジオを聞きの方もそうですけど、聞いてる方に、伝えたいことはどんなことですかね?
渡辺 伝えたいこと?
Navi そうですよ。
渡辺 あ、そんな難しいことはないんだけれども。やっぱり私は、人間、誰も最も大切なことっていうのは平和であってほしいということですね。 うーん。 平和でなければもうダメですよ。だから、今、私は本当に皆さんから温かく、お接していただいて、幸せな生活を送っているので、ただ願うことは。戦争だけはしないで、平和な世界で日本は進んでほしいと。それだけですね。書はこの後、楽しみながらぼつぼつやればいいかなと思いつつ。それからもう一つは、やっぱり、目があんまり衰えない間は本は読んでいきたいですね。
Navi そうですか。先生、まだまだお元気なので、これからも、どうぞ楽しいお話を聞かせていただけたらと思います。
渡辺 いやー、そんなことはできるかどうかわかりませんけれども、あなたに会えるのは楽しいです。
Navi ありがとうございます。
渡辺 ありがとうございます。
Navi はい。ということで、最後に告知になりますけれども、6月24日から28日まで、熊谷市立図書館一階市民ギャラリーで、渡辺先生、渡辺継斎先生の書展が行われます。ぜひ、あの、こちらの方に足を運んでいただいて今日お話ししたようなものを実際見ていただけたらと思います。今日は渡辺是仁先生、渡辺継斎先生、そして皆さんには有名な渡辺これじん先生に今日は来ていただきました。
渡辺 今日はありがとうございました。 達郎くん、ありがとうございました。
Navi ありがとうございます。必ず行きます。
渡辺 はい、ありがとうございます。