
「熊谷市郷土文化会90周年」
5月11日(月)12:00~ FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~第87回 熊谷市郷土文化会90周年 をお届けします。昭和10年に作られた熊谷郷土会 から 郷土文化会として 熊谷の歴史・文化を研究してきた伝統ある会「熊谷市郷土文化会」その歴史や活動、会員の方々の思いを伺いします。大先輩の会です。ここに熊谷市の歴史が詰まっています。ゲストは郷土文化会 会長小池博さん 理事長中村友多佳さん 副理事長 平井加余子さん そして平井隆さん をお迎えしてお話を伺います。どうぞお楽しみに!
以下AInottaによる文字起こしを修正したものです
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷六階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオからお届けします。月曜のお昼は梅林堂提供、やわらか熊谷僕らがつなぐ物語第八十七回「熊谷市郷土文化会九十周年」今日のタイトルはこんな感じです。九十周年ということで歴史ある会のご紹介と、今日のゲストの皆さんのお話を伺いたいと思っております。まずは会長の小池博さんです。こんにちは。
小池 こんにちは。お世話になります。
Navi 小池先生、二回目ということでよろしくお願いします。熊谷市郷土文化会、副会長兼理事長の中村友多佳さんです。こんにちは。
中村 こんにちは。中村ゆたかです。
Navi 中村さんFMクマガヤ二回目という。
中村 はい、そうですね。 今日はよろしくお願いいたします。
Navi お願いいたします。 はい、そして、この番組で三回目になりますけれども、副会長の平井隆さんです。こんにちは。
隆 はい、こんにちは。副会長の平井隆です。
Navi はい、そして今度は、副理事長の平井加余子さんです。こんにちは。
加余子 はい、こんにちは。平井加余子といいます。よろしくお願いします。
Navi 今日は九十周年の歩みということで、お話を進めていきたいと思います。最初に90周年のお話を伺っちゃいたいと思いますので、小池先生、よろしくお願いします。
小池 本会が九十年になります。昨年度、十一月式典をその前後に行っております。その事業も今年行っている一環として今日お招きいただいたのではないかと思うんですが。この九十年の歴史のスタートは、昭和の初期、昭和3年、4年頃からですね、熊谷の文化人達が熊谷の発展を願っている時に、熊谷の歴史のことについてもしっかり振り返って、そこからスタートしていてというような気運が高まっているわけです。そして昭和10年に、この会がスタートして、現在に至ってるということです。初代から三代までは、当時の熊谷市の市長さんが会長になっておりました。 その当時の市長さんっていうのは官選といって、議会で、承認任命されると、それを、国の方へ報告を上げて 内務省の方から、決定されていく、そういう時代だったようですけれども、その人たちが中心になって、郷土文化会の発会をしてきたということです。したがって、事務局は市役所の中にあって、助役さん、あるいは学務担当等がこの会を支えてスタートしてきて、現在九十年に至った。そういうことのようです。
Navi すごい会だったんですね。
中村 そうですね。
Navi 市長さんが会長で、そして市役所に事務局があった。 どんな会なんですかね?この会は、「熊谷市郷土文化会」って言うんですか?最初は、「郷土会」ということですね。
小池 そうですね。「郷土会」という、名称でスタートしたようです。
Navi 官民一体。今、よく官民一体ってよく言うんですけども、スタートはそういう感じだったんですね。
隆 まさに、公指導でもって当然補助金付きでやってました。 今の市史編纂室と、文化財係、教育委員会に社会教育課があって、文化財係があるんですが、それが一体になってるって感じですね。
Navi じゃあ、小池先生は、それから数えて何代の会長を務められたんですか?
小池 その後、会が改編されてきたんですが、現在私は十三代目ということになります。
Navi そうですか。この会、明日が総会ということなんですよ。
中村 そうですね。
Navi 総会の前に、このラジオで威勢をつけてみたいな感じでいこうかなと思っています。小池先生とは実は、ずいぶん前から私、教員だったのでお世話になってたんですけれども、この郷土文化会っていう会は、私も行くと、本当に内容は歴史ですかね、熊谷の一番の歴史を研究してる会ってことでよろしいですか?
小池 今日は、そういうことがご縁になってお招きいただいて、私たちスタッフがですね、郷土文化会の状況、あるいは姿を皆さんにご紹介できて、できれば勧誘していただけるそんな機会になればありがたいなと思ってまいりました。
Navi はい。ということで、九十周年と聞いたので一人ずつちょっと伺っていこうかなと。小池先生、前も聞いたかもしれないんですけども、ご出身の小学校はどちらですか?
小池 私はね、生まれも育ちも熊谷市内。玉井地区、玉井小学校でした。玉井中学校。
Navi そしてずっと、熊谷で。
小池 ずーっと、現在も、ここを生涯の生きる場所とそんなふうにやってきました。
Navi 中学校の理科の先生だったんですよね。そして最後は、あの、市内の小学校の校長先生。
小池 またまそういう
Navi 最後はどちらの学校でしたっけ?先生。
小池 え、最後は熊谷東小学校でした。
Navi はい、東小の校長先生ということでね。もうナンバーワンスクールの校長先生として終わって、その後また、実は理科の会とかでも、私、理科の教員だったんでお世話になったんですけど、郷土文化会に入られたきっかけっていうのはどんなことですか?理科の先生が郷土文化会なんですけど。
小池 そうですよね。私も当時は思いもしなかった。郷土文化会員になって現在に至ってるわけですけども。まあこれは話せばいろいろ長いんですが、三つぐらいの原因があるんですよね。ひとつは先輩から誘われたこと。そのきっかけは、退職後、活動の中で市の教育委員会の、事業のお手伝いをしてまして。会の方々に、ご指導いただく、そういう担当になったもんですから、お願いに行って、それがご縁でした。その他に退職してから、地域の自治会活動をやってたんですが、自治会活動が非常に困難な時代になってました。 新しい人たちと、それから旧住民と、人たちとの価値観や報告のくい違いが明らかになってきて。地域の人たちが「この地域はしょうがないね」って。だから、いがみ合いばかりで。それは、私にとって非常に、残念で悔しいことだったんですね。その役員として、「さあ、地域を再生するにはどうするか」って言った時にですね、やっぱり郷土に誇りが持てないってことは非常に、残念なことですね。子供の頃は自慢にしてた自分の地域だったのが今の人たちは、そうやって、非難をしあってる。で、これを何とかしようかと思った時にですね。やっぱり郷土、自分のふるさとを誇りに思える。あるいはそういう人間関係、これが安心は安全につながるわけですね。そこに気がつきましてね、「あ、郷土文化っていうのは大事なんだな」 これをしっかり理解して、共通の土俵にしながらですね、自分たちの生活を豊かにしていくんだと。それが二つ目でしょうかね。三つ目は入ってくる中にだんだんこう興味が深くなっていって、自分でやることもできるし、新たな仲間が今まで関わりない人たちとの交流が持てたり…これは何よりの喜びでした。そんな経緯があって。二十数年間、ここに在籍してるってことになりましょうか。わかりました。
Navi 理科の先生だけども、それにこだわらず、地域のことって言ったらね、理科の別府沼のことでもお話を伺ったりもしたし、本当にいろんなことがあるんだなっていうのを私も勉強して、小池先生みたいに自分も、地域のことをやっていきたい。私、あの、まだヒヨッコでね、退職したばっかりですからね。ああ、ついていきたいなって思っています。さて、じゃあ今度は中村友多佳さん、出身の小学校はどこですか?
中村 あ、私はエリートコースですよ。 弥生幼稚園、東小学校、富士見中学ですから。すごいですね。それはすごいかもしれない。はい。そして、
Navi あの、地元という、ずっと地元ですか?
中村 そうですね。 地元です。 生まれて七十四年間地元です。
Navi そして、地元で、今お仕事されてるっていうことですかね。
中村 そうですね。自営業をやっておりまして。
Navi どんなお仕事ですか?
中村 私は初めて大学卒業して三菱にいて、オフィスコンピューターの修理をしてたんですけど、 父親が、「後を継げよ」っていうことで、印刷業になったんですけど。
Navi あ、そうなんですね。印刷、中村印刷という印刷屋さんということですね。
中村 あんまり言ってないんですけど。
Navi ああ、そうでしたか。なんかFacebookでいろいろお世話になってます。中村さん、
中村 父親が、初代の理事長をやってたんで、その前にやってたんですけども、私の名前だけ入ってたんですよ。しばらくずっと入っていて、父親が亡くなってから、何年かして役を急にやらされましてね。それがある研修旅行のトイレで、 新井晴次先生っていう先生が、おしっこしながら、「おい、お前が明日から理事長だぞ」「私聞いてませんよ」って言ったら。「いや、もう、決まっちゃったんだからダメだよ」ってことで。その時にちょうど、文化連合の事務局長も、私が欠席の時に「事務局長をやれ」って決まったらしくて。私、民生委員を九年十ヶ月やってたんですけど 忙しくてあと2ヶ月で条例表彰もらえたんですけど全部、断っちゃいました。
Navi 文化連合っていうのは、ラジオ聞きの方わからないかもしれないですけど、こういう会のさらに上でまとめているのが文化連合ですよね。その事務局長もやり、そして親子二代で理事長ということですか?
中村 文化連合はやめましたが、要するに二十四年、五年やってましたかね、事務局長を。
Navi なるほど。じゃあ、お父さんの代から続けてっていう。
中村 父親が、結構考古学とかが好きで石仏とかが好きで、私も一緒に旅行に行って、スコップ持って掘らされたことあるんですよ。 「ここ掘れ、ここ掘れ」って。「ここ掘れ、布目瓦が出てくる。ここから出てきたら」って、こういう話をしていて。そういう中にいたもんですから。絵の先生なんかも、うちがたまり場で、よく遊んでたもんですから、だから環境に恵まれたんですよね。孟母三遷ですよ。
Navi もうぼさんせん?あの、すみません。どういう字を書くんですか?
中村 孟子のお母さんが三ヶ所入れ替わって、しかも最後に図書館のそば行ったら勉強するようになったんですよ。
Navi 勉強になりました。もう本当にすみません。ありがとうございます。
中村 でも、私がスナック街で育ったんで、こんな男になっちゃいましたけど。
Navi 本当にお町の中でということでですね。
小池 はい。今、中村さんは文化連合の事務局長、功績があるんですけど、この文化連合は来年、九十周年を迎えますね。
Navi そちらも九十周年?
小池 はい。私どもはそれよりも早かったり
Navi そこがポイントですね。
小池 そこがポイントです。存在感があるわけです。
中村 もう昨年から郷土文化会は記念事業を始めてますよね。
Navi いやいや、すごいですね。九十周年争いという。さて、じゃあここで、平井館長さん、館長さんって言ったんですけど、石原公民館の館長さんもやられている平井さんなんですけど、改めて小学校はどちらの小学校ですか?
隆 石原小学校です。
Navi ありがとうございます。石原小学校。はい、そして?
隆 荒川中学。
Navi はい。 そして、館長さんは、やっぱり地元でっていうことですよね。
隆 そうです。
Navi そして?市役所に?
隆 市役所に就職しました。
Navi 前もちょっと伺ったんですけど学芸員ですね。
隆 そうです。本来なら関根先生とおんなじように、教職の道を歩むべき人間だったんですががちょっと外れまして。
Navi いえ、外れてないです。
隆 市役所の方に公職っていうか、職を得ましたので
Navi そうですね、図書館とかにも入れられたり、いろんな部署にもおられてっていうことで- この会に入ったきっかけっていうか、
隆 まあ、きっかけも何もない、さっきの話だと、市役所でやってたっていうこともあるし、中身は図書館の役割ですかね。
Navi どういうことですか?
隆 まさにそのきっかけっていうのは、関根さんが図書館って話をしてくれましたが、私の一番最初の、勤務が市立図書館だったんです。そうするとそこでもっていろんなから、なんて言うかな、周りの文化人とか、いろんな方々がいましたので、その方々がみんなこの郷土文化会ってものを背負ってたんですよね。だからそういう影響を受けて、おのずからちょうどもう五十数年前になるんですが、奉職と同時に、この会に入らせていただきました。だからまさに仕事と何か両立してるみたいな形で。だから得る知識でもって仕事も、なんとか加算されているっていう状況でしたね。
Navi いやー、もうブレインというかね。
中村 そうですよね。はい。
Navi そして、平井夫妻の奥様平井加余子さん。小学校はどちらでしょうか?
加余子 はい、私も石原小学校で荒川中学校です。
Navi ほらね、この二人はもう小中一緒でね。
加余子 小中一緒です。
Navi はい。それで、ほんとに仲良くこの二人、そしてすごいブレインがお二人、ご夫婦でっていう。
中村 いつもご一緒ですよ。
Navi うん。 そうなんです。
加余子 そんなことない。 …
Navi 素敵。もう今日も絶対お二人でと思っておりました。
加余子 だからいつも言うんです。二人で一人前。
Navi 違います。 もう本当に何倍も知識が。
中村 そうですね。
加余子 でもね、本当に1+1は3ぐらいになるんです。
Navi そうなれば。ものすごいですよね。 はい。そして助けてもらってます。 平井加余子さんも皆さんご存知だと思うんですけど、市役所で学芸員さんということですね。
加余子 はい。 でも、私が歴史を始めるきっかけになったのは、小池先生の前の代の会長さんの来間平八先生が、中学校一年生と二年生、その多感な時に担任だったんです。それで、1年時には地理を教わって、地理が大好きになって、二年になって歴史を教わったらもっと好きになって、「私は絶対に歴史をやろう」ってその頃に決めたんですね。それで高校行って、大学を受けるにあたって、どこを受けて、受かっても落っこっても歴史のところに行こうと思って日本史だけを受けたんです。
小池 すごい。
加余子 うちの旦那もそうですけれども、第二志望へ行っちゃう時もあるんですよね。
隆 そうなんです。 うちも目標は歴史だったんです。
加余子 でも第二志望が小学校課程だったんで、図画の方へ行っちゃったんですけども。
Navi そうなんですね。
加余子 そう、私は歴史をやってこようと思ったから、歴史だけを受けて、たまたま日本史で入って。私は本当は県の博物館に入りたかったんですけれども。 だけどそれは落っこちてしまって、市で採用になったんですけども、その時に本当は自分の希望では文化財担当になりたかったんですけど、立派な先生がもういらしたんです。 そんなので、図書館で待っているようにといわれて
Navi 待っている? …
加余子 面接の時に言われました。 いずれ図書館じゃなくて博物館ができるから、その時まで待っているようにと。その時、だからもっと勉強してるようにっていうことで図書館に入って、それで図書館のその頃の館長がものすごい人で、野口泰助さんといって、もう郷土史としたらもう最高の人でした。図書館がその頃みんなの集まり場所で、例の日下部朝一郎さんは中央公民館にいたし、あとは角田茂一先生も毎日のように、ちょうど退職なさった次の年ぐらいだったので、見えてたり、熊谷市歌を作った田島一宿さんが見えてたり。
Navi あの、熊谷市歌って前の熊谷市歌ですよね?
加余子 前です。
Navi 大荒川の背光に♪
加余子 そうあの人は、八木橋の角の田島旅館のご主人ですから。図書館の目と鼻の先ですから。毎日のようにあの人を見かけるんですよ。
Navi あの、付け加えておきますが、昔は、熊谷市立図書館は、熊谷寺の近くに
加余子 境内にあったんです。
Navi 境内にあったんですか。
加余子 私は、直実が大好きだったから、それもすごく幸せだったんです。境内で、中が見えるわけです、窓から。
Navi 私、木造の頃の、図書館にも行ったことがあるんですけど、今の人は、多分市立図書館って言ったら多分
加余子 もちろんそうですね。
Navi 駅のこっちの図書館のイメージだと、今お話ししている図書館は、境内にあったんですね。
加余子 はい。 そうですね。
Navi まぶたの裏に 風景が映っている方もね、ラジオをお聴き方がいると思うんですけども、その時から
加余子 ずっと図書館にいましたね。 昭和五十四年に引っ越して、その時に三階に展示室ができるからということで、学芸員が発令されました。 というのは、学芸員の資格がないと物を借りて歩けないんです。 やはり、どこへでも借りに行きますから。
Navi 借りるっていうのは何を借りるの?
加余子 展示をするためにものを借りて歩くことが仕事ですから。
Navi そうですか。
加余子 だから、直実の展覧会で私が手が震えるぐらい緊張したのは、京都の国立博物館の重要文化財の、直実関係の資料、蓮生関係の資料を借りる時、やはり手が震えましたね。でも、そういう仕事をずっとやってこれて、とても幸せな勤務だったんですけど、図書館に三十八年のうちの三十五年間勤めさせていただいていました。 一筋です。
Navi 一筋ですか。この会に入ったきっかけは?
加余子 もうきっかけって、きっかけは、本当に、身近にみんなそういう人たちがいて、それでその頃、角田茂一先生が、熊谷の歴史の講座をやってたんですよ。
Navi そうですか。
加余子 土曜日に。ですから、そこへもう行くようになったら、当たり前のようにもう会員になってしまって、五十数年経ちます。
Navi 五十数年?! そうですか。
加余子 そんなわけです。
Navi いやー、知らない人の名前ばかりが今出てきて、知ってるのはあの来間校長先生というか、石原小の校長だった来間先生なんですけど、それ以外の方もまあすごい、その、いわゆる歴史、この会は
加余子 そうですね、この会の作ったフレームというか、それだったんですね。
Navi 今は平井夫妻がフレームを作ってらっしゃる。
隆 年数だけは、五十数年経ってますんで、一番長い口かもしれません。
Navi でもこの、誰に聞いても「この二人に聞け」と。だから今の市史編さん室の人も、この二人が来ると、「その二人に聞いてください」って
中村 そうですね。言いますよ。
Navi びっくりしました。大井さんとか、「いや、その二人に聞いて」ですよ。
中村 そうですよ。
Navi あの文化財センターの大井さんとか、市史編さん室の蛭間さんとかも、この二人がいると、「おーっ」ていうぐらいのブレーンということで、そこが、ブレーンの方がいらっしゃる郷土文化会。こんなにたくさんお話しちゃったんで、この辺で曲に行きたいと思います。平井館長さん、あのリクエスト曲を。
隆 「人生の並木道」これについては、昭和十年に会ができましたので、その頃流行ってたディック・ミネの「ダイナ」とかっていう歌知ってますか?そのディック・ミネが歌った「人生の並木道」、よろしくお願いします。
Navi はい、お願いします。
【曲 ディック・ミネ「人生の並木道」】
Navi 時刻は十二時二十八分を回りました。梅林堂提供、やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語、第八十七回、熊谷市郷土文化会九十周年をお届けしています。さて、一人一人のご紹介だけで、半分まで行っちゃいましたというぐらいね、皆さんの歴史やそのコンテンツをものすごく持ってらっしゃる皆さんの集まり。私からすると、お一人お一人のすごいその歴史やその知識やそういったものが結集した、私からすると歴史の玉手箱というか、いろんなものが詰まっていて、皆さんからお話聞けばどんどん出てくるという、まあ今聞いても全然足んないですよね、中村さん。
中村 足んないですね。
Navi だからあっという間にここまで来ちゃいましたが、ところで、郷土文化会ってどんなことをやってるんですか?っていう、まあ初期的なことですけどね。どうでしょう?
中村 同じ歴史でも、熊谷市に関わる歴史をっていうのを、私はずーっと心がけて活動の中に入れてたんですけども。もう何年前でしたっけ ガイドブック作ったのが
中村 あ、そうですね。 二〇〇七年。文化連合とその当時、高野さんっていう会長さんがいて、あとは小池博先生の前の前の小池幹衛 先生と、私なんかでいつも集まって、「ガイドボランティア」を立ち上げようって話になって。文化連合承認で、認定証なんかも作りまして。
中村 持ってます。その当時はパソコンがないんで、こういう地図、私が全部手書きなんですよ。 私、あの理数系で、あの製図を私はいつも作りました。
Navi 手書き。すごいですね。
中村 ロットリングで。ここはフィルム貼ったりして。
Navi すごい。
中村 私はそういう当時ですね。先生なんかも、得意でしょうけど。
Navi これは初めてです。
中村 怒られちゃうよ、
Navi このガイドブックを初めて見ました。どこで手に入りますかね、これ。
中村 もう手に入らない。
Navi なんかでも、あの、ISSNの番号までついてますよ、
中村 そうですね。 そうなんですよね。それが全部国会図書館にありますね。すべて、毎年私の方で、送らせてもらってるんですけども。 その番号です。だから、閲覧用と保管用と二冊ずつ、毎年会誌も送っております。
Navi これは今、手元にあるので、ちょっと、私から説明させていただきますと、一言で言うと、非常にまとまった熊谷図鑑、熊谷歴史図鑑ですね、
中村 これ。小さくしないと、カバンに入らないということで、だからかなり、縮小して、文章なんかも削って削って、むだをなくした文章を載せたんですよね。
Navi それはもう一つ一つの項目は書くことはたくさんあると思うんですけど
中村 ええ、そうですね。それを絞って書いてますね。
Navi 中身を見るとですね、スタートは星溪園からスタートして、熊谷寺、高城神社、石上寺、八坂神社と、もう本当に一番大事なところから、いろんな地区に分かれて、まあ、旧熊谷地区ですね。
中村 そうですね。はい。
Navi なんですけども、これを見れば、
中村 皆さんに、熊谷の歴史をわかってほしいために作ったんですよね。
Navi そしてガイドボランティアっていうんですけど、一番後ろにモデルコースっていうのが出ていて。 なんか今は結構流行りがあって、星川ふーらりマップとか、熊谷のなんとかツアーっていうのがあるんですけども、 これが走りですね。このモデルコースとボランティアガイド。
隆 そうですね。はい。
中村 だからボランティア立ち上げて、運動している時に、平井さんなんかがちょうど、今日研修会に行ったんじゃなかったかな?ちょうど担当でワクワク探検隊とか
隆 ですよね。 今でもそうですね。 続いてるのかな?その活動の一つとして、ボランティアガイドによるところのワクワク探検隊って、子供たちを引き連れてっていうか。
中村 うん、そうですね。
Navi じゃあ、郷土文化会初のワクワク探検隊って
隆 そうですね。
Navi 言っていいんですね。なんと多角的な研究組織かと思ったら、まだまだいろんな出版から、それからガイド? どんな感じなんですか?
隆 まさに教育委員会と共催でもって、要するにこの親子連れの人たちを、なんというか、一緒に、市内の名所旧跡を巡るっていうことでもって、例えば夏休み中とか秋休みとかって、そういうのを利用しながら、市内を転々と動いてます。そのガイド役が、私たち、ガイドボランティア。 郷土文化会のガイドボランティアです。
中村 だから、平井さんが教育委員会にいる頃、スタンプラリーっていうのを最初にやりましたね。
隆 やりましたね。
中村 で、こう、ずーっと回って、星川を全部説明して- はい。 …え、スタンプを押していくんですよ。子供たちが喜んで、スタンプを押してくれました。 まさに小池さんみたいにね。
隆 そうですね。
Navi そうでしたか。
中村 はい。懐かしいですよね。一時、入会の大きな原因になったわけですけどもね。
Navi 他にもまだ、研修とか研修旅行とかってあるんですか?あとはどんなことをやるんですか?
隆 一番大きなのが、会誌を毎年毎年発行してるってこと。今回81号になります。
Navi しかもこれ厚いですね。
隆 厚いですよね。続けて、去年、今年と八十号、八十一号として、まさに補助金をもらいながら、分厚い会誌を作りました。記念号です。
Navi この補助金って、この間、市報に出てた補助金ですね。これを使ってらっしゃるってこと?
中村 今回は県の方の、市と県でそれぞれ。
隆 八十号が、市で。八十一号が県の補助をもらってます。
Navi 八十号はもしかしたらちょっと私もあのお手伝いさせていただいたので
中村 あー、そうですね。
Navi 校歌です。 これも永久保存版ですね。
隆 この番組でもやりましたよね。
Navi そうなんです。 新井俊一先生と一緒に
隆 そうそう、新井先生が出てきた。
Navi 市内の校歌の全部が資料としてあって、これは貴重ですよね。
中村 あの廃校になってしまった学校、閉校ですか?閉校になってしまった学校のもの
隆 今回、校歌を補足しました。
Navi 何ですか?どんな感じですか?
隆 小島と星宮小
中村 閉校になるのは、わかってたの。だから、男沼小なんですよ。男沼小さんが閉校になるってわかっていて、私たまたまその時に仕事で行ってたもんですから、「閉校になっちゃっても私もらえるんですかね?」って、校長先生が言ってたんだけど、「ええ、大丈夫ですよ」って。 出したんです。
Navi 会誌すごく厚いんですけど、この九十周年の会誌には、歴史のこととか載ってて、私もちょっと見させていただいたら、まあいろんな歴史が載ってましたよね。
中村 はい。 関根先生がいなければできなかった。
Navi いやいや
隆 それは絶対。
Navi それに加えて、歴史の方でいろんなことをやってるのを、私改めて知りました。
隆 中央のとこ、90周年の歩みや総目録ですか?
Navi そうそう。
中村 そこは加余子さんがいなかったらできなかった。
Navi 今までどんなことやってきたかを、それを見たらすごく勉強になって、すごいまとめてあるじゃないですか。
加余子 これは本当に、私なんかもすごく勉強になりました。 かつての人たち難しいことを調べて書き残してくれたんだなっていうことを本当に感じました。
Navi そこにね、書いてあった中身が、ちゃんと全部、目次が書いてあるじゃないですか。 どんなものがありましたか?ご紹介するとしたら
加余子 ご紹介っていうことではないんですけども、『中央の歴史』っていうのはどんな本でも取り上げられるし、教科書でも何でも教えてくれますよね。
Navi 『中央』っていうのは日本の中央の歴史ですね
加余子 はい。 だけど、ここに書いてあることは、本当にこんな些細なことっていうことまでが皆さん拾って書いてくださっているんです。だから ちょっと具体的に、教えていただくとね、
Navi まあ、些細か些細じゃないかは皆さん聞いてる人が、判断すると思うんですけど、どうでしょう?
加余子 そうですね。とにかく四十四号の大幡特集号なんて本当にすごいんです。もう皆さんがちっちゃなこと、ちっちゃなことを書いてくださって。だから、なんて言うんですかね、「柿沼家の領主はこういう人だったよ」とか、「この大きな石碑が建てられた由来は?」とかね、こういろんな細かいことが今となっては聞けないこと、教えてくださる先人の皆さんがいらっしゃらなくなってしまったけど、書いて残してくださる。私はこれが一番の郷土文化会のこの会誌の役割じゃないかなと思うんです。
Navi だって石碑一つ取ってみても、これなんだろうってときに
加余子 それをそのときに書いてくださってるものがいっぱいあるんです。
中村 加余子さんがこの間、書いてくれた「妻沼のお寿司」 これは大事なんですよ、やっぱり。
加余子 本当ですか? これ、百年フードに指定されたので、妻沼のお寿司と、五家宝を書かせてもらったんですけども。
中村 それ大事ですよ。
加余子 いや、私は自分で勝手に決めてることっていうのは必ず原稿を書く。で、二十年続けて書いてきたんです。それでも、この世界はやっぱり男の人が多いので、私の役割っていうのは何でもない食べ物のこととかね、そういうことが多いんです。だから書き残しておこうと思う、そういうことを二十年やってきました。
Navi 書き残すって言っても、とにかくいろんなジャンルがありますよね。それを知ったんです。例えばどんなもの?
隆 そのいろんなジャンルって中で、まさに一番最初の発言に戻るんですが、郷土会から郷土文化会っていう「文化」っていう言葉が加わりましたね。だから郷土っていうと、俗に言うと歴史学習みたいな歴史っていうイメージを持たれる方が多いと思うんですが、それプラス文化、カルチャーっていうか、全てが、要するに郷土にちなむ全てがあるんですよっていう風に捉える。だから今言った、あの、食物、食べ物の話とか、それからあと地域の、思想とか民俗とかって、普段正史治っていうか、世論では触れないような、本当に事細かな部分まで、拾い上げられるっていう。それがだからこの会の役割っていうか。いいんだと思いますよね。
Navi ささいなっていう言葉があったんですけれども、ささいじゃないと思います。みんな、なんでこうなってんの?これ何?って言った時に、多分原稿を読めればかなり調べられるっていう。
加余子 そういうために書き残しておきたいと思ったんです。それで会員の皆様にも「書いてください」っていうことを盛んに私は言っているんです。「こんなことって、そう思わないで書いてください」って言っています。
Navi それは素晴らしいことですよね。
隆 それがまさにね、何十年経つっていうと、それが一つの地方史の一躍を担う …っていう形に多分なると思うんですよね。
Navi いろんな方の歴史のお話を聞いたんですけども、小池先生、
小池 今、会誌のことが話題になってますけどね。この会誌が、継続をして八十号になるってことは、これは非常に大事なことでした。これがあればこそ、なんか郷土文化会が、今に存在するっていうような、ほんとの値打ちのあるものだったんじゃないかなと思うんですよね。当初は市中心としてということでしたけど、その人たちが、活躍した世界は、後に、今で言うと市史編さん室であるとか、あるいは文化財センターであるとか、あるいは熊谷の部署である図書館の、中であるとか、そういうところに、専門職として、あるいは市がそういう公のところで出してますよね。そこが指針を出しています。それと、毎年ここにもあるんですが、熊谷市史研究、専門的なことはそちらがやって、我々の方は、そこの経験者、平井さんたちも、いてリードしてくれてるんですけど、身近な生活のテーマ。ごくごく自分たちが、経験してきた、あるいは見聞きしてきた、あるいは、地域に伝わる伝説だとか、おとぎ話だとか、時には自分の随想だとか、そういうものを含めてやってる。だから会誌の中には交流の場と言いましょうか、身近なテーマを取り上げてる部分と、専門的に個人で研究してるものと、両方になってます。
Navi なるほど。
小池 特にこの数年は、この会の存続のために委員会組織、五つの専門委員会が担当して、それぞれが活動を展開して活性化してるんですけど、その報告もこの会誌を見ていただくと、よくわかるかなと
Navi この積み上げた、バックナンバーを集めたらものすごいですよね。そしてその情報量とその広さと、人々の智が結集したものっていうのはすごい価値がありますよね。
小池 そうですね。ですから、ぜひ皆さん方に、今回の八十一号、いろんな機会に見ていただけたらと、お声がけていただけたら、提供もできるかなと思ってはいるんですけどね。
Navi はい、ありがとうございます。じゃあこの辺で、また曲に行きたいと思います。じゃあまた、平井館長からご紹介していただきます。
隆 まさにこの会が九十周年を迎えたってことで、その途中の五十周年の時、まさに、昭和六十年に流行ったヒット曲の中から、中森明菜の「ミア・モーレ」。
Navi そうですか。お願いします。
Navi 時刻は十二時四十七分を回りました。やわらか熊谷、僕らがつなぐ物語、第八十七回、熊谷市郷土文化会九十周年をお届けしています。さて、この郷土文化会の会誌、本当に、いろんなことが載っていて、私も退職してまだ三年なんですけども、この会に入れさせていただいたのは、石原小の時に平井館長さんと、平井加余子さんに、石原小150周年の歴史を勉強した時なんです。ほんといろんなことを教えてもらい、歴史を勉強するってなんて素晴らしいこと。眠っている写真とかを掘り起こすと、それを全部、調べてきてくださる。それを人に伝えるとすごく楽しくて。その情報からどんどんいろんな人とつながりができてきて。この番組のルーツはもしかしたらこの郷土文化会なのかもしれません。だって文化ですよね。
中村 そうですね。文化ですね。
Navi レベルは違うんですけど、なんか若い人や先輩方と昔のお話ししたり、今のことをお話ししたりしてるんですけど、歴史のこともしながら、いろんなことをワイワイして、それで人がつながっていく。だからまさに今お話聞いて、やっていたことは郷土文化会。
隆 そうなんですよ。
Navi そうじゃないですか?この番組自体がこの郷土文化会の下の組織でいいかなと。
隆 そうですね。「言葉で伝える文化」ですね。
中村 え、いいこと言うね。
隆 言葉で伝える文化会ですよ。
Navi はい、ありがとうございます。だからこの番組に出た方の内容は全部、文字起こしをして録ってあるんです。その中身は、歴史を勉強してるとか、あと熊谷のことを勉強してると、「熊谷が大好きな人」が集まってくるんですよ、ここに。その中から、まあ例えばこの番組で言うと、石井姉妹というお二人ね、唐﨑さんと戎居さん、郷土文化会に参加してますよね。
隆 昨日も、長慶寺さんで一緒でしたね。
Navi ああいう若い人たちもこれからどんどん参加できるかなって。私は、これから次の世代の人たちと一緒に何ができるかっていうのをいつも真剣に考えてるんですけど。そういうわけで小池先生、いよいよPRの時間になってきました。
隆 一番肝心なことです。
小池 この郷土文化会を、継続してるわけですけれども、この先、将来、九十年続いたものは、やっぱり百年を目指して続けていきたいなと。 しかし、そこにはですね、現実的ないろいろな課題があります。それを一つ一つ克服していかなきゃならないなと思っております。やっぱり会員の高齢化、それから新会員がなかなか、入って来なくなってきてる問題があります。それを解決する方法を、探っているんですが、できることは何でもやろうと。一人一人を頼りにしながら会員を増やして、それで新規者も増やして、仲間を増やして、継続していきたいと思っています。その一環として先ほどちょっと出ました親子体験学習。遠い未来のお話ですが、子供たちにも熊谷の郷土文化、歴史、そういう町のことに興味関心を持ってもらう。そういった活動も展開していきたい。わが子育て案件。
Navi そうですよね。
小池 そういった窓口をこれからもたくさん開きながら、やっていきたいと思っています。、そのためにも、この会誌は継続していきたいし、皆さんに届けたいな、そんなふうに願ってます。気軽にお声がけください。
Navi ありがとうございます。では明日は総会ということで小池先生頑張ってください。
ということで、私もこれから編集委員として一生懸命頑張りたいと思いますので、どうぞ先輩方よろしくお願いいたします。
小池 はい、よろしくお願いします。
Navi 今日は熊谷市郷土文化会会長、小池博さん、そして副会長兼理事長の中村友多佳さん、そして副会長平井隆さん、そして、副理事長の平井加余子さんに来ていただきました。また来てくださいね。
一同 はい。
Navi これからもどうぞよろしくお願いいたします。
一同 お願いします。
Navi 今日はありがとうございました。
一同 ありがとうございました。
Navi 郷土文化会、頑張りましょう。
一同 頑張りましょう。頑張りまーす。