2月24日(月)12:00~

2024年3月 マンガ『直実・蓮生物語』が刊行され、熊谷市内の小中学生に13000部配布された。

熊谷次郎直実公といえば熊谷市を代表する偉人!

その生涯は、前半は武士として源平の戦いに明け暮れ、獅子奮迅の活躍をし、平家の武将で息子と同じくらいの若い武将を討った。

しかし、様々な思いが交錯し、武士をやめ、後半は法然上人の元、仏門に入った。

法力坊蓮生としての後半の人生はもこのマンガに描かれている。

マンガで小中学生にもわかるように作られたものだが、市内にすんでいる大人にも読んでもらい、直実公、蓮生坊について知ってほしい。

直実公・蓮生坊のことといったらこの人!

熊谷市立熊谷図書館 副館長 大井教寛さんをゲストに、直実公トークを展開します。

文字起こし
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。月曜のお昼は梅林堂提供やわらか熊谷僕らがつなぐ物語 第21回「直実蓮生成物語」です。今日は熊谷市立熊谷図書館の大井教寛さんに来ていただきました。こんにちは。
大井 こんにちは、お世話になります。
Navi 大井さんは図書館の副館長兼美術・郷土係ということですね。今日、直実蓮生物語っていうのは、熊谷次郎直実公のマンガのお話ということで、昨年の3月に熊谷市立熊谷図書館の方で作ったということでよろしいですか。
大井 はい。あのマンガ『直実・蓮生物語』は1万6000冊刷りました。市内の小中学生全員に配るということで、1万3000冊が配られてまだ販売分があります。
Navi その漫画を作っていただいて、私がまだ学校にいた頃に、見たんですけど、本当によくできててわかりやすくて、素晴らしいです。
大井 ありがとうございます。
Navi それで大井さんには以前からいろいろお世話になりました。学校でも、子どもたちが熊谷次郎郎直実公のことはやっぱりよく知っていた方がいいということで、子供たちと一緒に紙芝居を作ったときに、完成前にちょっとチェックしていただきました。
大井 ちょっと拝見させていただいて、
Navi そういうところからのご縁で、本当にお世話になって、誰に聞いても直実公のことだったら「大井さんに!」と言いますね。
大井 いえいえ、
Navi 大井さんに来ていただいて、直実公トーク・蓮生坊トークができたらいいなっていうふうに思っています。まず初めに大井さんは、どちらのご出身ですか。
大井 生まれは三重県の方だったので、父親の仕事の関係で、小学校2年生のときに、熊谷に引っ越してきて、ずっとそこから熊谷なので、ほぼ熊谷っ子って言えば熊谷っ子です。
Navi なるほどそうでしたか。小学校は三尻小ですか?
大井 そうです。三尻小、三尻中です。
Navi なるほど、大井さん現在は熊谷市立熊谷図書館ということなんですけれども。最初から熊谷に就職ですか?
大井 そうですね。就職が平成8年で、最初、今の図書館の、美術・郷土係の部署に1年配属されまして、そのとき今、さくらめいとのところに、第2期工事で博物館をつくる予定があって、それを私がたまたま市報で見て、そこに就職するかということで熊谷市に就職しまして、最初の1年は博物館に行くっていう人員だったんですけど、ちょうどバブルが崩壊しまして、どうもお金がなくなってきたよっていう話がでてきて、その年の中で「異動になるかもね」っていう話で教育委員会の中にいるかと思ったら、4年間ちょっと税金を集めてこいと、今でいう納税課と4年間いまして、その後、まちづくりの関係の都市計画課2年、6年間 市の庁舎の中にいました。平成15年に今の図書館の美術・郷土係に戻ってきて、もう20数年になります。
Navi そうですか。いろいろ行政の仕事を見てきたのですね。元々大学とかで研究されたのですか?
大井 そうです。大学で文学部の日本史学科に行って、中世史を専攻してましたのでゼミの方も中世で卒論も中世で書きました。
Navi なるほど仕事としては、学芸員ですね?
大井 はい、立場としては学芸員という形で就職というか、熊谷市が学芸員採用がないので、事務職採用しかないんです。資格を持っていて、この仕事がやりたいですという希望で、今、図書館の方にいるんですけど、市役所の中では、行政職に就いていて、学芸員資格持ってる人間がまだ何人かいるので、そういう人間にこちらに回ってきてくれるといいなと思っています。
Navi そうですか。いろいろな場所を経験してきましたが、きちっと戻るべきところに戻れたのですね。
大井 それがよかったんですけど
Navi 市立図書館っていうと、学芸員という枠がなかったとしても、図書館で博物館的な企画展とかやってらっしゃるんですよね。
大井 図書館の3階に博物館施設・美術館施設があるのをご存知ではない方が、結構まだいらっしゃって、そこで常設展示と企画展を年4回、あと各種講座を、年間で13コマから15コマ開催はしているんですけど、そのための資格として学芸員資格が必要ということになってます。
Navi 本当はさくらめいと隣にできるはずだった博物館ですけど、
大井 今の芝生の駐車場のあたりですね。設計図もできてたんですけど、凍結という形になってしまいました。
Navi どうでしたか。
大井 残念ですね。今後、計画的には何となくあるので、個別施設計画というのが熊谷市にあります。文化施設をどうするっていう話の中で、もう多分ホームページとかにも公開になってるので、見られると思うんですけど、博物館施設美術館施設を作るという形にはなってます。
Navi 待ち遠しいというか、それができたらいいですよね。本当に熊谷にそういうのがあったらって思ってたんですけど一応機能としては市立図書館ですね。
大井 そうですね。今の機能としては市立図書館の3階の美術郷土資料展示室が機能してるって感じです。
Navi 今まで大井さんにはFMクマガヤにも出演していただいていたと聞きました。、今日は4回目っていうふうに伺った。
大井 多分4回目だと思うんですけど
Navi いろんな話題であったんで、私は直実蓮生もやってらっしゃったと思うんですけど
大井 まだ、ガッツリ直実蓮生さんの話はしてないかも知れないですね。
Navi そうですか。良かったです。本当にラジオ聞いてらっしゃる方々は、どのくらい直実公とか蓮生坊について知ってるかっていうと、本当にいろいろだと思うんです。今日は小中学生に配布されたマンガ『直実蓮生物語』のあたりから、お話を伺えればと思っています。では、曲に、行きたいと思います。くるりのリバーということですけど、これ何かありますか。
大井 くるりは、前からちょっと好きで、聞き始めたのは、最近なんですけど、やっぱり何なんでしょうね。ボーカルの岸田さんの声が結構好きなので、車の中でもしょっちゅうかけてるんです。
Navi なるほど。ではお届けします。くるりでリバー
【曲 くるり リバー】
Navi 時刻は12時12分を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りしています。月曜のお昼は 梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~ 第21回「直実蓮生物語」ということで、熊谷市立熊谷図書館の副館長の大井さんに、今日は来ていただいてます。
大井 よろしくお願いします。
Navi さて今日の題名になりますけれども、『マンガ直実蓮生物語』が出されて、小中学生全員に配られたということですけども、私は読んでて、すごくわかりやすくて、しかも、凝縮されているという。すごく素晴らしいなと思っていますが、どういう経緯で作られたか、ちょっと教えていただけますか。
大井 私自身も、実は直実さんのマンガを作りたいなと常々思っていたんです。特にお坊さんの蓮生さんになった後のお話っていうのが、結構たくさん逸話があるにもかかわらず、皆さんがご存知ではないのです。平家物語で敦盛を討つ場面は皆さんご存知なだけに、何とかならないかなといろいろ思っていました。今の市長さんが当選されて、すぐ4月の図書館の企画展をご覧になられて、そのときにちょっと市長さんとお話してるときに、すぐ「俺は直実のマンガ作りたいんだ」という話を市長さんからポンといただきまして、私もマンガというと、財政から予算がつかないんじゃないかなっていう一抹の不安があって、なかなか切り出せなかったんです。それでも市長さんが言ってくれたので、市長さんに「全然作れますよ」という話をその場でして、そしたら市長さんは続けて「俺は蓮生さんをフューチャーしたい。それを取り上げたマンガを作ってくれ」と「武士の時代はもうみんな知ってるんだから、お坊さんの時代で何かできないか」って言われて、「できますよ。大丈夫です」って話をして、「そういう流れで進めてくれ」っていうふうにぱっと言われたんですよね。
Navi なるほど。ラジオをお聞きの方にちょっと、お伝えすると、熊谷次郎直実公っていう有名な武士がいて、熊谷駅の北口に銅像があるんです。武士の格好したあれが直実公だっていうことは皆さんご存知ですけども、先ほどから出ている蓮生というのは、
大井 お坊さんになったあとの名前です。
Navi だから、人生の途中からお坊さんになった後も、たくさんいろんな逸話があるということですよね。蓮生といえば、「直実節」っていうのは小学生の多くが踊って有名なんで、そのときには、「直実節」の中に「その名も熊谷蓮生坊(れんしょうぼう)」というのがあります。そこでは「れんしょうぼう」といっていますが、「れんせいぼう」なんですか?
大井 そうですね。ちょっとこれラジオなんで 皆さんにお見せできないんですけど、重要文化財になっている古文書がありまして、そこに直実さん自筆の古文書があるんです。そこに自分のことをなんて書いてあるかっていうのを読んだとき、自分のことを「れんせい」ってカナ文字で書いてるんです。「れんせい」って書いてるってことは、「れんしょう」じゃないっていうなんです。実は京都のお寺さん、浄土宗系のお寺のかたは皆さん「れんせい」って言ってるんです。どこかに根拠があるはずだろうなと思って調べたら、それがあったので、「れんしょう」じゃなくて「れんせい」っていうことがわかったのです。「れんしょう」って言われることも、謂れがあって、実は同じ時代に武士からお坊さんになったのが宇都宮頼綱という人物がいまして、その人物も法然上人のところでお坊さんになってるんです。その人物も「蓮」に「生きる」って書いて「れんしょう」って読むんです。同じ時代に同じ漢字で読み方が違う人が2人いたのです。それがしかも 宇都宮氏の方が少し長生きをするんです。それなのでおそらく、読み方がかぶってしまったんだろうなと私は思ってるんです。それで「れんしょう」の方が流布してしまっている。ただ京都の方はきちんと使い分けてます。宇都宮さんは「れんしょう」さん、熊谷さんは「れんせい」さんです。
Navi だから、そういういろいろある中で直実節は「れんしょうぼう」というふうになってしまっているということでよろしいですか。
大井 歌舞伎も「れんしょうぼう」になっています。その辺りはもう言い伝えの中で、そうなってしまっていることなので、それはもうしょうがないかなとは思います。
Navi お寺も「れんせい寺」っていうのもありますし、「れんしょう寺」もあります。ここのところをやはりきちっと「れんせい」っていうふうになっています。
大井 熊谷寺さんのご住職様も「れんせい」さんっていっていますので、
Navi なるほど改めて直実節では「れんしょうぼう」と言われてるけど「れんせい」さんということですね。
大井 そうですね。
Navi 蓮生さんの後半の人生のお話っていうのはどうやって見つけてくるのですか?
大井 熊谷市文化連合という団体があるんですけども、文化連合さんでも過去に作った本があったりして、その本の元になってるのは鎌倉時代に出来た絵巻物であったりとか、あとは「平家物語」であるとか、あとは蓮生さんが建てたとされるいろんなお寺さんに伝わっている寺の縁起ですね、あと由緒とかそういったものにいろんな伝説が書かれておりまして、その伝説を引っ張ってきてマンガにしています。
Navi なるほど いわゆるその書物というかは、たくさんあってしかも幅が広いのですね。それらを、今回集約したっていうことなんですけども、主にトピックスで言うと、直実公が生まれたときの話は出てきますよね。それからあとは、例の頼朝を助けた話、源平の戦い。
大井 はいはいありますよね。敦盛を討つ話。
Navi それから、源平の戦いに行って、
大井 そうですね今回のマンガは、一応市長さんからも話があって、「10エピソードぐらいにまとめてくれ」と。ただお坊さんの方の話を中心にしたい、その辺は任せると言われたので
Navi 割合はどのくらいですか?
大井 割合は武士の話を3で、お坊さんの話を7という形にして
Navi だいぶ蓮生さんに重きを置いて
大井 そうですね。蓮生さんに重きを置いて今回は作りました。
Navi エピソードっていうのを私も読ませていただいたりすると、本当に、こんなにいろんなことがあったんだと。
大井 そうなんですよ。平家物語の一の谷の合戦は、皆さんよくご存知で、駅前の銅像もあって、ただ本当にお坊さんの話こんなにあるのっていうのが、私も最初いろいろな本を読んだときに、これ面白い人だなと思ったので、これ何とかならないかなっていうのはずっと思っておりました。
Navi そのお坊さんになった理由は、よく一番言われるのは息子さんのような歳の敦盛を打ってしまってっていうんですけどそれ以外にも諸説あったりするんですよね。
大井 お坊さんになったっていう理由とすると大きく分けて二つあるんですけど、おじさんの久下直光という人物がいて、ちょうど領地が接してましたので、当然その境界争いというのが生じてしまう、それを頼朝の面前で御前裁判という形で直実さんと久下直光さんが裁判してるときに、直実さんがやっぱり朴訥で、なかなか自分の主張を伝えられなくてイライラして、証拠の文書を全部投げ捨てて、頼朝の面前から飛び出して、髻(もとどり)を切ってしまうと、出家するんだというのが『『吾妻鏡』』という1300年頃に鎌倉幕府が編纂した書物に書かれてるんです。それが一つともう一つは『平家物語』で 敦盛の首を討って無常を感じたという理由ですね。現在では『吾妻鏡』はちょっと記事の内容に、いろいろ間違いとか、入るべき場所じゃない場所に、その記事が入ってたりとかっていうのがわかってきましたので、『平家物語』の方が面白いかなということが言われています。
Navi なるほど、そういう性格のことっていうのは、朴訥(ぼくとつ)っていう。
大井 そうですね。武士ですから、荒々しい性格で、また先ほど申し上げた 実質の古文書の方も全部仮名書きで漢字はほとんど書けない。
Navi そうなんですか。
大井 そのあたりはもう、武士としての性格が表れてるのですけど、
Navi なんかこのマンガにも出てるこのエピソードの中には、性格が現れてるものが書いてそれがすごく人間味があって
大井 そうですね。
Navi 何かいわゆる聖人君主とかそういうんじゃなくて、蓮生さんのその性格っていうのがうかがわれるものがたくさんあるなと思って、エピソードの中で一つご紹介していただけるとありがたいです。
大井 その性格となると、月の輪殿の話っていうのがありまして、関白だった九条兼実の邸宅で法然上人のお付きとしていくんですけども。そうすると、法然上人と九条兼実が部屋の中でお話をしていて、蓮生さんはお付きの人なんで、縁側に座ってると、なかなか2人の話がごにょごにょとしか聞こえない。そこで「浄土の世ならば、こんな不平等なことはないのに!」と大声で叫ぶんですけど、この大声で叫ぶのはいらいらしていて、話が聞けないんで叫んじゃうんですけど。それを聞きつけて、九条兼実が部屋の中に招き入れてくれて、話を聞くことができた。そのエピソードの中で、あの当時、鎌倉時代初めは階級社会だったのに、お坊さんの世界も階級社会、武士の世界も階級社会ですけど、そこで不平等、平等ということを叫んだっていうのが絵巻の中に書かれていて、これは結構画期的なことで、前に今東京大学の教授の本郷和人さんに熊谷に来ていただいてご講演いただいた時にもその話をされていて、平等っていう意識を叫んだのがひょっとすると、蓮生が最初かなっていうお話もされてたんです。たまたまイライラして叫んじゃったっていうことなんですが、それが意識の中に出てくる気がします
Navi 確かに昔の時代に平等っていう、
大井 そうなんですよね。
Navi 鎌倉時代ですよね。
大井 それが武士でありながら、頼朝もそんな意識は持っていたらしいんですけど、そこのところが結構、直実蓮生さんとすると、その性格を表しているところかなという気はしてます。
Navi 2人のお話が聞きたかったっていうことなんでしょうね。
大井 いらいらして叫んじゃったんですけど
Navi なんか性格というかねすごく聞きたいんだっていう気持ちの強さというか、
大井 そうですね。
Navi 漫画を見てるとそういったエピソードはたくさん出ていて、あともう一つは私はここで聞きたいのは、口から何かが出てくるんですよね。
大井 十念質入れのエピソードがありまして、
Navi これはちょっと私もびっくりして、この話は子供たちに知ってもらいたいと思いました。
大井 十念質入、ちょうど蓮生が京都で修行していて、熊谷のお母さんがいましたので、親孝行するために戻ってくるわけなんですけど、その途中で普通に馬に乗ってしまうと、西の方に背中を向けることになってしまう。京都から熊谷に戻ってきます。それで西の方には浄土宗の教えですと阿弥陀如来様がいる。阿弥陀様に背中を向けるのは非常に失礼だということを蓮生が感じまして、馬の背に鞍を反対に乗せて、西を拝みながら東海道を帰ってくる。
Navi バックで帰ってきたのですね。
大井 そうですね。馬は東へ向かうけど、蓮生は西を向いてるっていう形で帰ってくるんですね。これ「東行逆馬」っていう故事なんですけど、戻ってきているうちに途中で山賊に襲われてしまう。蓮生さん、元は武士ですから倒すのはわけないんですけど、お坊さんなんで、お金を全部あげてしまう。旅のお金が尽きたのが大体今の静岡県の藤枝のあたりで尽きてしまって、藤枝の宿場の長者さんに、「お金を貸してください」ということを言うわけです。そうすると長者さんも、みすぼらしいお坊さんが突然来て「金を返せ」と言われると
Navi だって身ぐるみ剥がれたということですね。お金あげちゃってます
大井 長者さんも、とんでもないと思いつつも、何かを質に入れてくださればお金を貸します
Navi 質屋さんの質草ということですね。だって物はもうないわけですね。
大井 そうすると、蓮生さんが、質を入れましょうということで、「南無阿弥陀仏」と唱えると、蓮生さんの口から、小さい黄金色の阿弥陀様がふわっと出てきまして、その長者さんが口の中に入っていくと、南無阿弥陀仏を10回唱えて10体の阿弥陀様が蓮生の口から飛び出してきて、長者さんのお腹に入る。長者さんもたまげまして、蓮生さんは「10体の阿弥陀様を質に入れましたので、お金を貸してください」といったのです。これが「十念質入」っていう話なんですけど、
Navi イリュージョンみたいですね。
大井 そういう伝承が残ってます。それでお金を借りて、熊谷戻って親孝行した後に、今度また藤枝の宿に帰ってきて、質に入れてますからはいお金を返して質種を取り戻さなきゃいけない。藤枝へ行って長者さんのところへ「質草を返してください」と。「南無阿弥陀仏」と唱えると、長者さんの口から今度、阿弥陀様が出てきて、蓮生さんの口の中に入る。「南無阿弥陀仏」と9回唱えて9体の阿弥陀様が蓮生さんの元に返って、そこで長者さんが「一体私にください」っていうことを言うわけです。これはすごいお坊さんだっていうことで、「わかりましたその一体は差し上げます」ということでお金を返して質草を取り戻して、その故事が元となって、今藤枝に蓮生寺(れんしょうじ)っていうお寺さんが実際に建ってます。その蓮生寺さんの背後には大きい蓮の池がありまして、私も行ったことあるんですが、シーズンになると、蓮の花が咲いてすごく綺麗な場所なんです。それは蓮生寺 「蓮」に「生」きる寺って書くんですが、いろんな蓮生さんにまつわる木像とか刀とかが、宝物として祀られてるお寺さんも実際にあるっていうことです。
Navi 本当にイリュージョンのようなお話ですけどもでも何か当時、そういう大きな
大井 何かしらあったんだとは思います。実際その現在のご住職さんも熊谷さんという方なんですけど。途中で浄土真宗に宗旨変えされてますけど、元々は浄土宗のお寺としてできてますので、何かしらのエピソードがあって、お寺さんができるっていうことです。ですので今回のマンガの中にも蓮生関連地図というのを載せたんですけど、全国いろんなところにお寺さんが建っています。
Navi お寺が建つぐらいなんだから、さっきの話が全然何もなくて、口から出てくるなんて科学的にあり得ないから何が起きたんだろうなって考えちゃうんですけれども、これはどういう解釈ですか
大井 本当に阿弥陀様が出てきたかどうかちょっとわからないんですけど、おそらく念仏を唱えたっていうことはあるのかもしれません。修行中の身ですから。ただそれが長者さんにとって印象としてどう残ったのかっていうことなんだとは思うんですよ。それくらい何か真剣なとか、そういう雰囲気があったのかもしれないですね。
Navi そうですね。そこがすごくロマンというか
大井 そうですね。伝説とまではいえないが、お寺さんが実際建っているので。全くない話だとまでは言い切れないかなと私も思ってるんですけど、何らかのことがあったんで、お寺が建つ。阿弥陀様が出てきたのはどうかとは思いますが、蓮生さんと何かがあって、お寺ができるってことですね。
Navi 最初にお金を貸してくれって言ってみすぼらしい格好って言っちゃあれですけど、身ぐるみ剥がれた後からそこから逆転するわけですよね。
大井 信仰心の厚さが、そのまま伝説として残ってるってことなんだと思うんですけど。
Navi その話がそのマンガに描かれていて、しかも絵で口から阿弥陀様が出てるものを全部再現していますね。
大井 そのあたりはあのマンガを編集してくださった上尾の会社なんですけど、その会社のマンガのイラストレーターの方といろいろやり取りしながら「これ口から出てきてるんだからね、出てきてるように描いてね」っていうやり取りをして、「出てきてるように線引いてね」っていうのがこちらで注文つけたりとかしながら作らせてもらったんですけど、
Navi じゃそれは絵巻きみたいなものっていうのはなくてっていう感じですね。
大井 それはもう本当に藤枝の蓮生寺さんに伝わっている話ですよね。
Navi だから、そうやって再現するマンガっていうのは大事な作品になってますね
大井 蓮生寺(れんしょうじ)さんは、蓮生さんが亡くなった600回忌の法要を江戸時代に行ってるんですよ。
Navi 600回忌を江戸時代に?
大井 江戸時代に蓮生寺(れんしょうじ)さんで行ってる記録がきちんと残ってますので、それだけずっとその伝説が伝わってたっていうことなんですよね。
Navi そうですよね、600年前のことをきちっとやってしかもそのお寺がちゃんと建っていて600回忌ってことはいろんな方々がまたそこでイベントとかをやって、それぐらい尊敬されているということですね。すごいいいことですね。
大井 地元に根付いてる。人間っていうことですね。
Navi そういうエピソードがさっき言ったようにね、お寺っていうか、坊さんになった後のエピソード7個もあるということでそのうちの一つが先ほどの「十念質入」、それからさっきの九条さんのはお話
大井 月の輪殿の話ですね。
Navi そういうことも入ってるってことですね。ではここで曲を挟みたいと思います。はっぴーえんどで 風をあつめて はっぴーえんど渋いですね
大井 結構CMでよく使われてる名曲なので耳にしたことが結構あったので、はい今回
Navi はい。ではお届けします。ハッピーエンドで風をあつめて、
【曲 はっぴーえんど 風をあつめて】
Navi 時刻は12時38分を回りました。梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~第21回直実蓮生物語をお届けています。今日は熊谷市立熊谷図書館の大井さんに来ていただいてますが、大井さんはいろんなことを今、研究してらっしゃると思うんですけど、一番重きを置いてるのは直実蓮生ですか?
大井 そうですね、中世です。私大学のときは、戦国時代をやってたんですけど、熊谷に就職して「熊谷家文書」っていう重要文化財の古文書255点がありますんで、これを中心にちょっと熊谷のことをやっていこうかなと。今は鎌倉時代の初め、平安時代の終わり、そのぐらいを中心にやってます。
Navi その古文書っていうのと、どこに、
大井 今は、それこそ直実公の子孫の方がお持ちで、今、山口県文書館の方に寄託 預けられているっていう形になってます。
Navi そちらのたくさんの資料を今、紐解いてきているという状況ですか。いやあ本当にずいぶん前からというよりは、 大井さんがかなり紐解き始めたっていうことですね
大井 そうですね。広島県の安芸国の三入庄(みいりのしょう)関係の研究ってのは、結構あったんですけど熊谷にいた頃の研究ってなかなかなくて、私もいろいろ見ていく中で、何本かしか論文なかったんで、ちょっとやっていかなくちゃな、熊谷の人間が直実やらなくてどうするんだと、それで始めた頃に、茨城大の高橋修先生っていう方が熊谷出身の方なんですけど、その方も市史編纂室の編纂委員に入っていただいて、高橋先生と話しながら、ちょっと熊谷やっていこうよいうところです。
Navi ほぼほぼもう解明できてるけどまだまだ
大井 まだまだ伝説がたくさんあるので、この後の市史でちょっと、本を作っていかなきゃいけない。
Navi それでも大方この漫画の中に入れられたということですか。
大井 はい。
Navi あともう1個だけちょっとエピソードをご紹介はいしていただきたいのが、最後のところ、私すごく衝撃的だった。亡くなるときの話。自分でこの日に亡くなりますよって言って亡くなる。
大井 いわゆる「予告往生」の話ですね。
Navi それを見たときに、もうびっくりしました。これは何だろうと思いましたけど、これはどんなお話ですか。
大井 これは絵巻物で知恩院さんがお持ちの「法然上人行状絵図」という48巻の絵巻物の中の27巻目が蓮生さんが出家してからなくなるまでを描いているんですけど、亡くなるときに、「建永2年1207年の2月8日に、私は亡くなる」という立て札を村岡の宿場に立てたら
Navi 村岡って吉岡地区の?
大井 そうですね。今の河川敷の中に多分あったんだろうと思うんですけど、その宿場に立て札を立てるんですね2月4日に私は死ぬと、一大イベントになります。皆さんわらわらと集まってきて、蓮生さんが出てきて、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱え始めると、お経が途中でピタッと止んで、蓮生さんが、目を開けまして「阿弥陀様のお告げだ、私は今日死なない、と今度の9月4日に死ぬのでまた集まってこい」と言ってその場を去るんです。
Navi 大胆な
大井 皆さん、集まってきたみんなも「なんだ」って言って散るわけですけど、今度9月4日になったときにまた蓮生が現れて、みんながわらわら集まってきて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とを唱え始めると、だんだんその声が小さくなっていって、西の空から紫色の雲が来て、一条の光が蓮生に差し込んで、蓮生の魂が浄土往生を遂げたというエピソードが絵巻物の中に書かれてるわけですけど
Navi そちらは何かイリュージョンっていうによっては大変申し訳ないお話で、ただ紫色の雲とか一条の光とか、本当に何の根拠もなく、そういうことはないじゃないですか。
大井 そうですね。
Navi きっと何かあったんですよね。
大井 そうですね
Navi 病気だとかじゃないんですよね。
大井 死期を悟ったということなので、老衰なのか病気なのか、その辺わからないんですけど、それだけ信仰心が厚いというところを描きたかったのかなと思います。蓮生さんが亡くなった場所って、実は京都で亡くなったっていう『吾妻鏡』の説と先ほど申し上げた知恩院さんの絵巻物の熊谷の村岡で亡くなってという2つあって、ただ駒沢大学の林譲先生がいろいろ紐解いてくれまして、「多分村岡でなくなった説でいいだろう」という論文書かれていて、私も熊谷の人間なので村岡で亡くなった方がいいかなっていうところもあります。
Navi そうですよね。このエピソードを見ると、これはむしろ前半もすごいドラマチックですけど、後半がさらにまたドラマチックなんですよね。
大井 お坊さんのエピソードが山ほどあるので、私、蓮生さんの話をするときに、最後いつも言うんですけど、大河ドラマにならないかなと思っていて、NHKラジオとちょっと組んだときにディレクターの方に話したんですけど、ちょうど滝沢くんの鎌倉時代の話の大河ドラマやってた時代だったので「ちょっと今かぶってますね」って言われてしまって。
Navi いやーそうですか
大井 直実さんがいて、周りは頼朝がいて義経がいて義仲もいて後白河もいて法然もいる。エピソードが山ほどあって、これはできないことはないのかなって思っていて。
Navi 1年持ちますね。余裕で
大井 1年もつという気はしていて、それなんで、最後そんな話をさせていただきました。
Navi そうでしたか、大井さんから大河ドラマの話が出るとは思いました。びっくりなんですけども、私からそういうことってできないんですか?みたいな話をしようと思ったら、そういうことはもう既にされていたのですね。
大井 そうですね。ちょっと考えてっていうかNHKさんが動いてくれないとなのですが、できないことはない。と思っています。
Navi もう歌舞伎にもなってますし。ちょっとマンガから外れちゃうかもしれないのですけど、織田信長の人生50年も
大井 あれも「敦盛」ですからね。
Navi だから、いろんな時代っていうか、いわゆる鎌倉時代に生きた人だと思うんですけど、その次の時代まで
大井 そうですね。
Navi いわゆるその逸話は残ってるので、それがやっぱりなんか直実公の魂って繋がっていたり、それから先ほど最後の信仰心ですか。何かこれからの時代にぴったりのような気がして、
大井 時代を超えてずっと皆さんに愛された存在ではあると思いますね。
Navi 一発逆転で大河ドラマになったら夢のようですね。
大井 面白いですね。脚本を、書いてくれる人がいないと。一度ですね、森村誠一先生に話をしたことがあるんですよ。
Navi すごい。
大井 ただ森村先生が、そのときまだ歴史系のところに気がいってなかったときだったんで、「そうか、そういう話もあるね」ぐらいで収まっちゃったんで、森村先生が直実の何か本を書いてくだされば、脚本がそれになったかなっていう気がします。
Navi もう夢のような話ですね。
大井 ちょっと残念だったんですが、、、
Navi 熊谷ドリームここで聞けると思いませんでした。いや、森村誠一先生といえばもう。
大井 そうですね。
Navi オール熊谷でいける感じです。
大井 それで高橋先生が監修すれば、問題ないなと思ったんです。
Navi あれですね主役も熊谷出身の
大井 いますよね。相島さんですか?
Navi はい。いやそれは熊谷ドリームですね。びっくりしました。だから先ほどのマンガは、なるべく多くの人に知っていただきたい。
大井 そうですね。
Navi 私もマンガを手にとった時、子供たちには「よく読んで」っていうことを言ったし、先生たちにも「読んで!」て言ったんですけども、と実際の話をすると持ち帰って、家でしまっちゃってるという話が多いです。
大井 本当は読んでいただいて、私も学校からいろいろ話があるかなと思ったんですけど、なかなか今なくて、やっぱり博学連携というのはよく言われているので、博物館と学校が連携して共同の事柄を学び、そういうようなことは非常に重要なのかなとは思っております。いつでも準備はできているので、話があればいつでもまいります。
Navi やっぱりマンガを読むだけじゃなくて、このマンガについていろいろやっぱりお話していただいて、1時間の授業でも十分伝わります。だから私も学校の先生に、このマンガできたから、授業してねっていうお願いしました。子供たちが細かく直実公や蓮生坊について話ができたらクマガヤ人としては一番いいですよね。何してないと子供たちは、駅のところにある銅像で止まっちゃいますよね。
大井 そうなんですよね。
Navi あと、にゃおざねくんは、
大井 そうですね。
Navi にゃおざねくんは、やっぱり直実さんからきていますがけっこう知られていないのです。
大井 そうですね。もじった形なんですよね。
Navi そこの関連も、子供たちからするとわからない。それぐらい熊谷で直実公ってどういう人って言ったときに、子供たち全員がお話できたらいいと思います。
大井 そうですね。
Navi ずっと私もそう思っていて、学校の先生に授業をやってもらいたいです。でも本物の授業とかっていったらこの一番の教材がマンガ『直実蓮生物語』だと、感じています。改めて今日も、この後、大井さんには市民活動支援センター14時からでお話しいただきますけどいろんな方々とも、もう1回このマンガを見ていただきたいです。それから広く子供たちや先生方にお話が伝わる事業ができたらなと思うんですよ。
大井 そうですね。
Navi もし、これをお聞きの市内の小・中学校の校長先生いましたら
大井 そうですね。
Navi いつでも大井さんに講話をお願いしてください。日程調整して、組みますので、これから私が取り組んでいきたいなと。大井さんもこれからぜひぜひ熊谷ドリームの話を皆さんと一緒に実現していきたいですね。そして直実公、蓮生坊について一緒に学んでいったらいいなっていうふうに思っています。それから、ニュースがあるということで、
大井 はい。漫画はシリーズになってまして、実は今年度、市史編纂室で同じようなマンガ「斎藤別当実盛と妻沼聖天山」を今製作中です。これも小中学生全員に配ることになっています。来年度も引き続き、マンガを作っていくことになってます。
Navi まだこのマンガを見たことがないっていう方はぜひ手に取って、
大井 はい。
Navi 見ていただきたいと思います。これどこで手に入るんでしょう。
大井 熊谷市立熊谷図書館の3階の展示室でも販売してますし、八木橋の須原屋さんでも販売してます。一冊500円です。
Navi これは500円以上の価値は、十分ありますね。いろいろものがぎっしり詰まっています。それぐらい素晴らしい教材ですので、ご興味ある方は、須原屋さんとか熊谷市立熊谷図書館に行ってみて、ぜひ手に取ってみていただけたらと思います。私からのおすすめです。
大井 ありがとうございます。
Navi これからも大井さんと熊谷学ということで、一緒に、お仕事ができたらなと思っています。今日は本当にあっという間の時間になっちゃったんですけれども、『直実蓮生物語』ということで、熊谷市立熊谷図書館の大井教寛さんに来ていただきました。今日はありがとうございました。また来てください。
大井  ありがとうございました。