2024年12月23日(月)12:00~12:54 梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~
ゲスト 熊谷市立三尻小学校 校長 長谷川雅夫さん 元校長 新井俊一さん
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。月曜の昼は梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~。今日は第12回ということですね。「知れば知るほど好きになる、みんなで学ぼう三尻学」というテーマでお送りしたいと思います。ゲストはなんと現役の校長先生です。紹介しますね。今日は三尻学ということで熊谷市立三尻小学校校長長谷川雅夫先生に来ていただきました。こんにちは
長谷川 こんにちは。はい。長谷川です。パーソナリティの関根達郎先生とは同級生です。
Navi ということで今日は三尻小学校の子供たちも学校で聞いているんですか?
長谷川 はい。給食の準備そして給食を食べながら聞いています。
Navi 「三尻小のみなさん、校長先生が出てますよ!聞こえてますか?」ということでもう1人、こちらはですね、以前も出ていただきました。埼玉県の退職校長会の会長さん、そして三尻小学校の元校長先生新井俊一先生です。
新井 こんにちは新井です。私は子供の頃 三尻小に通っていて、定年間際まで校長をやっておりました。少し三尻小のことに関心を持っている新井です。よろしくお願いします。
Navi ということですね。長谷川校長先生を深掘りしちゃうんですけれども、長谷川校長先生出身の小学校はどこですか。
長谷川 熊谷西小学校出身です。これ関根達郎先生と一緒です。
Navi 熊谷西小学校出身と、そして今日来ていただいた元校長の新井俊一先生はそのときの音楽の先生でしたね。熊谷西小におられたんですよね。新井先生。
新井 そうです。私は関根くんを教えたんですが、いいことあったかどうかは、、、
Navi 私のことはいいんです。今日は、三尻小学校で子供たちも聞いているということで、三尻学を中心にしていきたいと思います。では、長谷川校長先生、三尻学ってそもそも何なんでしょうかね。
長谷川 そうですね。熊谷市長の小林哲也市長さんはですね、「知れば知るほど好きになる。町は知れば知るほど好きになる」と常々おっしゃってるんですが、やはり三尻小について子供たちが深く理解をすることで、三尻小を好きに、また、それが熊谷を大好きになっていく。そういったことに繋がるかなということで、三尻小だけではなく、三尻地区にまつわるいろんなことを、子供たちが学べるようにまとめるというか、研究してきてそれを子供たちも授業で学べるようにしています。それを総称して三尻学と言っています。
Navi なるほど長谷川校長先生、今日できたてホヤホヤの副読本をちょっと今、手にしているんですけれども、これは素晴らしい本ができあがりましたね。
長谷川 ありがとうございます。
Navi 子供たちはまだこれは手にしてないんですね。
長谷川 そうですね。データでは見たり、聞いたりしてますけれども三尻っ子のためのやさしい副読本に三尻学というのを作ってみました。
Navi はい。ラジオを聞いている方には、ちょっと副読本ってちょっとわかりづらいんですけど、副読本っていうのは、そもそもどんなもんですか?
長谷川 三尻小学校150年の歴史、多くの学校が150周年を迎えていろんな行事をしたんですが、本校も同じくいろんな行事をしました。大体100周年までは記念誌があるんですが、その後でまとめていなかったので、その後の50年も含めて150年をまたまとめたものが前半です。その後に三尻地区にも、何か不思議だとかいろんなことがありますので、そういったことをまとめて合わせて意識について学んでほしいということで冊子にしています。
Navi これは、ただの記念誌じゃないですね。振り仮名が振ってあったり、副読本ってやっぱり教科書みたいな感じでよろしいですよね。
長谷川 そうですね。
Navi 記念誌っていうと大人向けなんですけど、これは完全に子供向けですね。
長谷川 これをきっかけにしながら子供たちがさらに深く学んでいってくれるといいな、そんなふうに思って作っています
Navi 長谷川校長先生から三尻小学校の皆さんへのプレゼントですね。素晴らしいものが出来上がりましたね
長谷川 そういう出ていただけると嬉しいですね。
Navi 本当にこれは素晴らしいなと思っています。これを聞いてる保護者の皆さんがいたらですけど、これは素晴らしいものができてます。保護者の皆さんや卒業生が見てもこれは本当に欲しくなる本だなというふうに思っています難しくなくて、非常にわかりやすくて写真もすごくたくさん使って貴重な写真もありますね
長谷川 いろんな方からご提供いただいた写真、それから学校にもわずかなんですけど、残っていた写真等を入れながら、作ってみました。
Navi これ市長さんも欲しいと思いますが
長谷川 直接お届けに伺いたいと考えています。
Navi いいものが出来上がりましたよ。行事、150周年記念になんかやられたんですね。行事っていうか
新井 私も呼ばれてましたが、何か見事な演出で驚きましたよ。
Navi なんか、参加した人がいうのが一番ですよね。さくらめいとでやられたんですね。
長谷川 学区にさくらめいとがありますので、新型コロナが、5類に入ったということで、入場制限を緩和して、皆さんお呼びして、盛大に式典することができたので、本当に良かったなと思っております。
Navi その中で三尻っ子宣言とか、市長さんも来ていただいたとか、150周年ソングもできたみたいですね。
長谷川 はい。熊谷市出身の森圭一郎さん。妻沼の出身のシンガーソングライターです。森さんに曲を作っていただきました。
Navi どんな曲だったんですか
長谷川 未来へという曲で、副題を未知と書いてみしりと
Navi ありがとうございます。最初早速聞いてもらいます。
長谷川 歌詞には三尻という言葉は入っていないんですけれども、三尻の風景を思い浮かべるような、そんな歌詞になってます。森さんが直接学校や地域を回りながら、イメージし、曲を作ってくださって、はい。なかなかいい曲ができたと思っております。
Navi それではここでお届けしたいと思います。熊谷市立三尻小学校150周年記念ソング未来へ未知 作詞・作曲歌 森圭一郎さんということでお届けしたいと思います。
【曲 森圭一郎 未来へ ~未知~】
Navi 時刻は12時13分を回りました。AZクマガヤ6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りしております。梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~第12回は、「知れば知るほど好きになる。みんなで学ぼう三尻学」をお届けしています。今日はゲストに、熊谷市立三尻小学校の現在の校長先生長谷川雅夫先生、そして元校長先生の新井俊一先生に来ていただいてます。よろしくお願いいたします。
長谷川 お願いします。
Navi 今日の今の曲について校長先生は何か、子供たちに伝えたいことがありますか?
Navi 曲を作ってくださったのは森圭一郎さんといいます。皆さん知っていますか。森圭一郎さん。妻沼町出身のシンガーソングライターコンサートとかに行った方もいらっしゃるかと思いますが、実は16歳のときにバイクの事故で、車椅子の生活を余儀なくされてしまったんです。森さんがこの150周年の記念式典の前の年に来てくれて、コロナでなかなかいろんなことができない中で、体育館でトーク&ライブをして、してくださいました。そのときに、自由に歩けていたときの自分と今の自分を比べると、今の方が100万倍幸せなんだ。そんなふうにおっしゃってたんです。自分には音楽がある。好きなことができているんだ。うん。音楽を通してたくさんの人に出会ってきた。そうしたら、幸せになった。自分の気持ちを伝えていく。何かあったら1人で抱え込まずに誰かに相談する。自分の思うままに生きる。何でもチャレンジしてみる。そんなふうに子供たちにエールを送ってくださいました。本当に森さんは気さくな方です。とってもいい青年です。実は、小学生のときに私、妻沼小の教員ということでサッカーを教えてたんです。学校でサッカーチームがあったので、自分の学年の子供だったんですけども、本当にすばしっこくって笑顔いっぱい愛嬌のある本当にかわいい子でした。その頃から運動能力も長けているし、人懐こい、そういった性格は今でも変わらないんですけども本当に今回この縁でまた記念ソングを作ってくださいってことでお願いしたら、二つ返事で喜んで作ってくれました。本校の合言葉が「笑顔いっぱい、感謝いっぱい 感動いっぱい、」これが道小学校の合言葉なんですけども、「それを先生、思いっきり入れようよ。」そんなふうに言ってくれましたしまた、目を閉じると、今も思い出す。その後は、近くに太平洋セメントがあったり、隣に三ケ尻八幡神社があったりとか、そういった風景を、また校庭に大きなシンボルツリーのイチョウがある。そういうのを子供たちが思い出してくれるように作ったよっていうふうに言ってくれました。そんなふうにして出来た曲なので、今でも下校時にですね、この音楽を流しながら毎日子供たちも聞いて大切にしています。
Navi新井先生やっぱり音楽って大事ですね。
新井 私は長谷川先生と重なってましたっけ。森圭一郎さんがどういう出会いしていたのかなと思ったら、意外な出会いなんですね。なんか学校での縁っていうのは、とても大事にしたいなと思っていますね
Navi だから音楽って人と人を繋ぐものかなと思います。新井先生の前で言うのはちょっとあれかもしれないですけど音楽は共通して、音だったり歌だったりっていうと、言葉も、すごくいいものなんだなと思いました。
長谷川 何かできるのかなっていうのをすごく感じてます。
Navi さあ、そんなわけで三尻小学校の150年の歴史っていうことを長谷川校長先生と新井先生と一緒に進めていきます。ページをめくると150年の歴史で学校ができる前とか学制発布って言うんだけど、三ケ尻小学校の開校ってのあります。三尻小学校じゃなくて三ケ尻小学校、新井先生これご存知ですか?
新井 三ヶ尻小学校、文字で書いたのを見ると難しいんですけど、何回も変わってるんですよ。私が一番面白いなと思ったのは、戦後の話と思いますが、三尻っていう村ができるときに、拾六間と新堀新田村と三ケ尻村があったんです。大きさからいくと三ケ尻村が一番大きかった。ですけども、先輩方のある話によると、新しい村の名前を三ケ尻村にしようっていうのには、吸収合併されたような形になったんで、何かいい知恵はないかなってみんなで考えて、三つの村が一緒になって、尻というのは観音山のことを指しているようなんですね。だから三つの村が一緒になって、まだどこからもみても山が見える、そういうものっていうことでどうだろうっていうことでシャンシャンとなった。だからよく年配の方は、私が校長で赴任したとき、「あんたが三ケ尻小学校の校長か」って言われたんですが、それはかなり前の話なんですね。そういう歴史があるようです。
Navi なるほど三ケ尻小学校っていう三ケ尻っていうところは、あったっていう感じですね。
長谷川 私も初めて三尻の校長になったときに、あるいは子供のときもそうですね。三つの尻ってなんだ?なんだかちょっと何か変な名前なんて思ったことも実はあるんですね。今、新井先生がおっしゃったように、三ケ尻、拾六間、新堀新田という三つの村が1889年合併して一つの村になったと三ケ尻の「みか」ってどういう意味があるのっていうとですね、三ケ尻の「みか」に意味はあるんです。
Navi 数字じゃないんですか?
長谷川 甕(かめ)水がめとかの甕ですね。甕という字が、変換するといろいろ出てくるんですけども、その甕の読み方として「みか」という読み方があるんだそうです。先ほどお話の出た三ケ尻の観音山、この間山は甕を反対にしてひっくり返したような形で、それが動物の尻に似ているということから、甕の尻、してそれが三ケ尻になったと考えられて、諸説あるということなんですが、そういうことで三ケ尻という名前がついて、明治6年に本校は開校しています。三ケ尻にある幸安寺を仮校舎として開校しました。
Navi 三尻小学校の皆さん知ってましたか。知ってますよね。勉強してると思うんですけど、幸安寺のお話も書いてありますね。それでずっと歴史が進んでいくということなんですけれども校舎が増えてきたりとか、それから校舎のの火災っていうのがあったんですね。これを見ると、いろんな歴史が載っていて三尻小、子供の数が一番多かったときって、すごいですね1084名もいたんですね。
長谷川 そうですね、昭和46年に最高の1084名。この後580名に、その次の年には減ってるんですが、1000超えて、教室も狭く、なかなか子供たちが安心して勉強できる状況ではないっていうことで籠原小学校が分離してできたということですね。籠原小学校の元三尻小学校からの別れたっていうことだと思って一緒に勉強してたわけですよね。ですから今でも中学校になったときには三尻小と籠原小2つの小学校が、三尻中学校に行って、また一緒に勉強できるので、良かったなと思っています。
Navi 歴史の中でいろいろ出てくるんですけども新井先生、三尻小学校の校歌にまつわることお話をちょっとお聞かせいただきたいんですが
新井 三尻小の校歌は、作詞は綱島憲次先生という埼玉県の教育長さんが作られたということで、それから作曲の方は私が大学時代、恩師でもある折山俊也先生に作っていただいたんですがこの歌はですね、他の学校とちょっと違う洒落た部分があります。私、在職中はこんな話したことなかったんですけども、小学生の皆さんも聞いておられるということですが、ちょっと口ずさんでいますね。
♪うららかな ひかりながれる ひろいのに すっきり立ったがっこうは ぼくらのかよう 三尻小 今日も楽しくまなぼうよ ♪ ここがしゃれた部分なんです。普通は三尻小 でもう終わっちゃうんですが 今日も楽しく学ぼうよが続いてるっていうことなので、折山先生は、音楽用語ではそういうのをね、偽終止、にせの終止ですが、私は三尻小にいるときにとてもいい歌だなと思って、いつも口ずさんだりしてました。
Navi 郷土文化会で新井先生が熊谷市内の校歌の研究をしていて三尻小だけがこのしゃれたの歌だったということでよろしいですかね。
新井 熊谷市内のいろんな校歌に自然とか川とかあるんですが、目の前に山がある学校は三尻以外ないんですよね。観音山、目の前というかすぐ近くに大きな工場な、最近はどっかにもあるかもしれませんが、太平洋セメントさんですか、そういうのがあるのも三尻小だけなので、その二つが入ってきているというのと、それから後ほど長谷川校長先生からも話があると思うんですが、三尻は熊谷市で一番最初に水道ができたのです。命の泉という歌詞がありますが。実は三尻は泉が湧くのではなく、水が不便だったんです。それで水道ができたんです。観音山を水道タンクにして三尻地区内だけ初めて水道ができたのも、私の子供時代です。今はどうかわかりませんが、学校帰りにあるところへ行くと水がチョロチョロ湧き出しているようなところもあったということで、校歌では命の泉って出てますが、そういうところでもありました。
Navi そうですか。どうですか先生はい。
長谷川 泉は実は台地の上にあります。深谷から繋がって続いてくる櫛引台地という扇状地、とも言われてるんですけども、熊谷扇状地ですから、この高台にあるので、標高はですね、約50mです。はい。三尻小学校の標高50mで観音山は30mぐらいの山で、標高80mちょっとなんですね。はい高台にあるので、地下水の水脈が深いんですね。ですから、一般の家庭はなかなか昔は井戸を掘っても出ないっていうことで、浅い井戸では水が出ないので、水に苦労されていたというところでしたね
新井 そうですね
長谷川 台地は台地でもはずれの方にあるので、水が湧き出てくる場所があるんです。遊水地があるんですね。今はなかなか水が昔のように豊かとは聞いてはいないんですが、まだ地区内には水が出てるお宅があったりとか、観音山の方の子供の頃、清水っていう地区があります。
新井 そうですね。大清水小清水という、そういった小字もあって水が出るという清水がずっとあったんですね。
長谷川 歴史的なことを言うと、渡辺崋山という江戸時代の武士でもあり、その人が三尻を訪れて、調査したとその中にも、訪瓺禄って言うんですけどね。その中にも清水っていうあの絵がありました。そのところを書いた絵が、残ってるっていうことで、水が豊かなところもあるし、水がなかなか出なくて不便をしてるとこもあったっていう、そういうところですね。
Navi いやそういったことも水との関係ということで、こちらの副読本にはちゃんと書いてありますね。小学生の皆さんはですね改めて勉強してみるといいし、どこに清水があったりとかっていうのを探ってみるっていうのを、いい勉強ですね。勉強するとまた楽しいことがわかるかなっていう気がしています。さてここで、また曲に行きたいと思います。新井先生、三尻にまつわる歌があるということでご紹介いただけますか?
新井 私が三尻小に赴任したとき、その年に、熊谷PTA連合会のPTAコーラスの集いを三尻小のPTAが引き受けることになって、しかも今までは各学校の体育館でやってたんですが、いろんな不都合があるということで、なんとさくらめいとで始まるっていうことになって、私も何かPTAのためにできないかなと思って作ったのがこれからおかけする。「母のコスモス」というオリジナル曲です。
Navi 知ってる方がいたらですね貴重ですよね。ではお聞きいただけたらと思います。三尻小PTAコーラスで「母のコスモス」お届けします。
【 オリジナル 母のコスモス】
Navi 時刻は12時32分を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りしております。梅林堂提供、やわらか熊谷僕らがつなぐ物語 第12回、知れば知るほど好きになるみんなで学ぼう三尻学ということで今日は、三尻小学校の校長先生 長谷川先生、そして元校長先生の新井先生に来ていただいてます。さてここで、お便りをいただいておりますので紹介したいと思います。まずは、6年生です。ラジオネーム しいさんから「校長先生はいつも明るくて三尻のことを大切に思ってくれています。」ということです。それからラジオネーム翔太郎さん、「校長先生がDIYが得意で優しいです」と、DIYやるんですか。
長谷川 はい、大好きです
Navi 何をつくるんですか。
長谷川 いろんなものを作ってるのですけど、例えばこの間ですね。子供の机がもうなかなか数が足りなかったので、古い机を、ちょっといただいてきて、天板を逆にして、ヤスリをかけてニス塗ってっていうふうにお金はお金をかけずにやっぱり
Navi そうですか。そういうDIYですね。学校のためで、自分のためではないということですね。
長谷川 はい。
Navi それからですね今度はラジオネームゆうたさんから、三尻小学校の先生について、「先生たちが優しく勉強を教えてくれるということです」。校長先生、良かったですね、
長谷川 大いによかったです。
Navi あとラジオネーム詩織さんからですね、「先生たちはいつも私達をまとめてくれたり支えたりする。温かい。」そんなそうですね。
長谷川 はい。最高です。
Navi 先生方からもいただいてますね。ラジオネーム清子さん。「長谷川校長先生はいつも元気ではつらつとしている校長先生です。子供たちにも職員にも優しく、ときには厳しく、いつでも本気で寄り添ってくださる。長谷川校長先生、三尻小学校の伝統や誇りを私達職員がしっかり受け継ぎ、持っていきます。これからも優しくしてね」優しくしてだそうです。
長谷川 はい、頑張ってください。優しくしていきます。
Navi それから教頭先生からいただいてます。「長谷川校長先生は、学校教育目標、今の全力で生き、未来を拓く見知りこの育成を具現化していくために、日々子供たちと触れ合い、保護者、地域の方の相談や悩みを真摯に受けとめながら学級経営をされています」と、すごいですね、さすが教頭先生。伊佐山教頭先生なんか聞いたことある名字ですけど
長谷川 私は伊佐山先生のお父さんに教わってました。今はその息子にね、教頭として支えてもらってます。
Navi そういうことですね。まだあります。実はですね。新井先生にも手紙が来ています。三尻小学校のよりとし先生からいただいてます。「大変ご無沙汰しております。私は現在、三尻小学校に勤務しております。実は三尻小学校、私の母校であり、母校に勤務させていただけますことは大変幸せなことだと思っており、感慨深いものがあります。さて、およそ30年前、新井先生が三尻小学校の校長先生いらしたとき、私は別府小学校に勤務しておりました。その当時熊谷市では、海浜学校という海に関する学習を大洗町で学ぶ機会がありました。たまたま同じ日、同じ日のほぼ同じ時刻に三尻小と別府小が大洗の海岸で一緒に学習することになりました。そのときに児童を引率していた新井校長先生が子供たちに大変優しく丁寧に指導している姿や、同じ引率されていた先生方と楽しく談笑されている姿を拝見させていただき、なんて穏やかで優しい校長先生でいらっしゃるのだろう。こんな素敵な校長先生とご一緒に勤務できたら幸せだろうと思いました。残念ながらご一緒することは叶いませんでしたが、この日の思い出は今も忘れることができません」ということです。みなさんからお便りをいただいておりますが、何か子供たちも含めてです。歴史の勉強は何か、続きがありますか。
長谷川 三尻小学校の歴史ですよね。三尻小学校のすぐ裏に、三ケ尻八幡神社というところがあります。この八幡神社といえば、本校は、11月の28、29日と修学旅行に行ってきました。鎌倉への修学旅行で、鎌倉といえば、鶴岡八幡宮こことの関係がですねとても深いんです。実は、宝物殿八幡宮の宝物殿にはですね、頼朝が書いた寄進状という、そういった所が展示してあります。何かというと、頼朝が三ケ尻村を鶴岡八幡宮に寄進した。寄付した。その書状があったんですね。その中に三ケ尻村武蔵国、幡羅郡、三ヶ尻村と 頼朝の字で書いてあるんですもうそのときからの三ヶ尻そして鎌倉との関係ということで、歴史的にすごいところなんだな、と思ったところなんです。
Navi 八幡宮と三ケ尻八幡神社っていうその八幡がやっぱり同じなんですね。
長谷川 もっと言うとですね前九年の役っていうのをご存知でしょうか?
Navi 小学生は難しいかも
長谷川 そうですね。はいなかなか歴史の教科書にも出てきてるのかどうかなんですが、源頼朝の祖先に源頼義と、義家という親子が平安時代の末期ですね。東北地方、奥州への戦があったんです。奥州の武士を成敗するためにこの八幡神社にお参りをしたとそういったいわれがあるということでこっからの繋がりなんですね。そのときのね、面白いのは、拾六間っていうのはその頃の名前かも知れない。16軒うちがあったのか館を作ったそうですね。要は頼義、義家の家来が宿泊するための、兵舎を建てたってこれが拾六間っていう一間っていうのは1m80ぐらいですかね。はい。それが16個分、何メートルなんでしょうか。はい、それくらいの長さの兵舎を作ったか、または 16軒の兵舎を作ったとどっちから来てるかわからないんだけども、そこに兵舎を作ったのでそこから拾六間という名前がついたのか
Navi 今でも拾六間っていう住所がありますもんね。なるほど。そういう謂れがあったということなんですね。
長谷川 今ほら倒れちゃったけれども、八幡宮の大銀杏ね。三尻でとれたお米の藁で、しめ縄を作っていたということもあります。今、本物の木がないからわからないけど、3代将軍の実朝を暗殺したと言われているその大銀杏が平成22年 前日からの雨で地盤が緩み、強風で倒れてしまった。うん。それは今、孫のイチョウの木は大きく育ってきているんですけど、その前までついてたしめ縄は三尻でつくってたんです。
Navi 綱はわらでできてますよね。
長谷川 でもそのしめ縄奉納してるのが八幡神社なんですね。
Navi そうだったんですか
長谷川 神様の田んぼそこに田植えをして稲刈りをし、それで作ったしめ縄なんだってことです。
新井 それを運ぶのに一緒にお手伝いをしなきゃなんないから、郵便ってわけにいかないので、観光バスにまずしめ縄ずっと入れて、その隙間にあの理事の方々がのって一緒に行ったんです。
長谷川 そのことが書いてある書類は今は、複製品なんですけども、宝物殿で誰でも見られます。
Navi この副読本にはたくさんの歴史が詰まってる感じがしますね。さあここで、曲に行きたいと思います。今の子供たち聞いてるかなと思うんですけれども、「地球賛歌」っていう音楽会の時の歌ですね。
長谷川 そうですね。市内の音楽会、さくらめいとで4年生が三尻小の代表で歌ってきました。
Navi はいではちょっと聞いていただけますか 地球賛歌
【曲 地球賛歌】
Navi時刻は12時46分を回りました。やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語、知れば知るほど好きになる、みんなで学ぼう三尻学を届けしています。さて時間もあっという間にもう終わりそうな感じなんですけども、何かまだ副読本三尻学ありますか?
新井 私が校長のときに三尻小の文化財文化的なもので一番価値のあるものは、これだよっていうふうに先輩の校長先生から教えていただいたのが、校長室にある「進徳修業」という4文字の額なんですね。これは有名な中村不折という、画家が書いたんです。中村不折は日本盛とか信州一味噌とか、それからなんと吾輩は猫であるのイラストを描いた方です。そのことがきっかけで、長谷川校長先生との縁が深くなったっていうことです。
長谷川 新井先生からある日電話があったんです。「校長室にすごいお宝があるんだけど知ってるかい」って言われてその存在はしていたんですけれども、「進徳修業」っていう文字はわかっていたんですけど、新井先生からお伺いしてはすごい人が書いたんだ。各市内の小学校中学校、それぞれいろんな所があると思うんです。その所の意味っていうのは自分が勤めたときに全然考えないできたので、この話を新井先生から聞いた話をみんなに伝えていかないと、その話がわかんなくなっちゃうなっていうことでみんなに紹介しているところです。この中村不折という人が三尻の南側に昔住んでいたことがあるのです、中村不折の義理のお父さんがお願いして、三尻小学校のために書を書いてくれっていうことで、残っているっていうことです。
新井 他にも不折さんが書いている中村屋とか、新宿中村屋の文字です。
Navi いやこれ三尻小のお宝っていう感じですかね。
長谷川 そうですね為書と言って三尻小学校のためにと書いてあるので、三尻小学校にとって貴重です。
Navi まだ副読本の内容は、ちょっとしかやっていないです。まだまだいっぱいお宝じゃないですけどいろんなお話がここに載ってます。三尻小の皆さんはこれをよく勉強してね、それから三尻地区の方々、そして卒業生の方々もこういう歴史とか、三尻小の三尻地区の歴史って、改めてすごくあるんだなっていうのを感じられると思います。本当にまだちょっとだけですよね。これからもっと深まるというか、どうですか。
長谷川 興味を持っていただいた方は、子供でなくて結構ですので、校長室にお出かけいただいて、お話できるといいなと思います。
Navi はいということでラジオを聞いている卒業生でも興味を持った方は三尻小学校に問い合わせということになります。本当にもうあっという間に時間なっちゃいますよね。
新井 私ももう1回三尻を訪ねてみたいと思います。ありがとうございました。
Navi 三尻地区、これから何かいろいろ調べて面白くなりそうですね。
長谷川 そんな機会ありがとうございました。頑張りました
Navi というわけで、やわらか熊谷ぼくらがつなぐ物語 今日は、三尻学について三尻小学校校長、長谷川雅夫先生そして元校長新井俊一先生に来ていただきました。ありがとうございました。
一同 ありがとうございました
Navi また、来てください。
一同 ぜひ呼んでください。