
9月21日(月)梅林堂提供『やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~』
第108回「ナンシージェーンと熊谷東小」をお届けします。
みなさんはナンシージェーンという青い目の人形を知っていますか?
戦争前にアメリカから送られた友好のための人形です。
熊谷東小にはナンシールームという教室もあります。
そして、ナンシージェーンの人形も大切にされています。
ナンシージェーンのお話から、熊谷東小学校の歴史、卒業した先輩方、そして、熊谷東小の今をお届けします。
ゲストは熊谷東小学校 校長 吉野富夫先生です。
どうぞお楽しみに!
熊谷東小についての思い出のお便りもお待ちしています。
以下 AInottaによる文字起こしを修正したのものです。
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから、お送りします。月曜のお昼は、梅林堂提供「やわらかくまがやぼくらがつなぐ物語」第108回。今日は「ナンシー・ジェーンと熊谷東小」という題でお届けします。今日、台風とか来る前と心配な中をゲストは熊谷東小学校第39代校長先生、吉野富夫さんに来ていただきました。こんにちは。
吉野 こんにちは。
Navi お世話になります。
吉野 はい、よろしくお願いします。
Navi すいません、今日は台風の中、来ていただいて。
吉野 いえいえ。
Navi 吉野先生、教員としてやっていた時から大変お世話になりました。
吉野 いえいえ、こちらこそ。
Navi もう長い付き合いですよね。
吉野 はい、そうですね。
Navi 熊谷に異動してきてから、多分ずっと吉野先生と交流してたような気がするんですけど。
吉野 そうですね。
Navi 今日は吉野先生のことを紹介したり、あとは、熊谷東小学校ということなので、東小学校の卒業生にもたくさん聞いてますので。結構面白い情報が出てきますのでね、ぜひ楽しんでいただけたらと思います。さて、吉野富夫先生、出身はどちらの小学校でしたっけ?
吉野 深谷の大寄小学校です。
Navi 中学校は
吉野 大寄中学校に入学したんですが、私が中学2年の時に深谷中学校に統合されまして、卒業は深谷中学校になります。
Navi 深谷中ということでね。そのあと教員になって、最初のスタートは小学校ですか?
吉野 はい、そうです。
Navi ということはですよ、あの倍率のものすごい時代に受かったってことですね。
吉野 そうなるんでしょうかね。
Navi すごい倍率だったんですよ。小学校の教員の倍率が高くて、私はすこし倍率低い中学校スタートだったんです。あの時小学校受かる人ってすごい優秀な方でスタートはどこでしょう?
吉野 はい、深谷の常盤小学校がスタートでした。
Navi それから、次はどちらに来られました?
吉野 熊谷に異動しました。熊谷に異動するにあたって、やはり同年代の若い教員の方が熊谷に勤めている友人たちが「熊谷は楽しい楽しい」ってあまりにも言うんです。
Navi 本当ですか?
吉野 例えばスポーツ大会がたくさんあるとかですね。
Navi はいはい、ありました。
吉野 当時教員の大会ありましたよね。
Navi ありました。
吉野 もうそれが楽しいんだっていうのを散々聞かされて、じゃあ次は熊谷に行こうかと。
Navi お!よくいらしてくださいました。
吉野 で、異動して友達はみんな深谷に異動になった。
Navi そうだったんですか。でも、スポーツ大会は楽しかったんじゃないですか?
吉野 そうですね。
Navi 昔、ソフトボールがあったりあとバレーボール。
吉野 はい
Navi あと卓球。もう一年中スポーツやって、それがまあ教員のそのチームワークとかを作ってたというか。
吉野 そうですね。当時そういう時間が持てたっていうか。そういう繋がり強かったですよね。
Navi そうですよね。それでよく学校同士で戦って
吉野 はい、練習試合もしました。
Navi あ、練習試合もしました。だからそういう時にも、吉野さんの学校とやったりとか、小学校スタートは
吉野 奈良小スタートで次は熊谷南小学校です。
Navi はい。そして?
吉野 石原小学校。
Navi そう、石原小 そのあとは北部教育事務所でその次はどうしたんですか?
吉野 教頭として、新堀小学校。
Navi 新堀小、はい。
吉野 江南南小。それからまた今度石原小
Navi 石原小に来ていただいて。
吉野 で、その後、校長として久下小。
Navi はい、久下小。
吉野 そして、熊谷東小。
Navi 吉野さんが奈良小にいる時、私が石原小で、そのときパソコン通信でね。
吉野 そうでした。
Navi インターネットがない時代に、授業の子供たちの感想をやりとりとかして送ってね。すごく刺激になりました、あの時。
吉野 とても楽しかったですね。
Navi 楽しかったです。子供たちの発表したこととか、なんか授業の感想とかを、交流するだけで、あんなに子供たちが活性化する。今で言えばインターネットのそういう交流とかと近いですよね。
吉野 そうですね。学校でとどめないで。子供の発信を外部に広げることで、生き生きとやり取りしましたよね。
Navi だから今もいろんなところで交流してますけども、今は本当に普通にできるんだろうけども、あの頃から、可能性っていうかは吉野さんとやってて、本当に楽しかったなっていうふうに思って。
吉野 はい、楽しかったです。
Navi はい。そして今、こちらの席に来ていただいて、今日はたくさんいろんなお話を聞ければと思っています。さて、第39代熊谷東小学校の校長先生ということなんですけども、今日一番のメインスタートからナンシー・ジェーンということなんですけども。熊谷東小学校の大きな特徴の一つとして、このナンシー・ジェーンという人形がいるということなんですけども。 これはどういうお話なんでしょうか?
吉野 まあ、私が説明してもいいんですけども、東小にナンシー・ジェーンが来たのはいつだと思いますか?
Navi えーっとですね。最近勉強しました。1927年です。
吉野 そうですね。
Navi あ、よかった。
吉野 昭和2年の3月ですね。
Navi はい。あー昭和2年。
吉野 これを言い出したのは誰でしょう?
Navi えーと、日本人ですか?外国人ですか?
吉野 それは。外国人の方は誰でしょう?
Navi あ、すいません。ラジオお聞きの東小出身の方知ってますか?はい、教えてください。誰か教えてください。わかりません。すいません。
吉野 意地悪く質問しましたけども。
Navi 大丈夫です。
吉野 シドニー・ギューリック博士 ですね。この方はキリスト教の宣教師であって、日本にも長く、20年近く滞在して、教師として英語を教えたりもしてました。大変親日家の方ですね。その方がアメリカの景気が悪くなって、排日運動がおきて、そういう動きの中で、「仲良くしなくちゃいけないじゃないか」っていうので、この人形を通した親善、交流っていうのを、考えまして。その時に渋沢栄一とも旧知の仲だったので、話が進んで当時の文部省が、協力体制を整えて人形の交流が始まったということです。その中にこのナンシーがいたんですけども。このナンシーと一緒に日本に来たのは、資料ではいろいろあったんですが、最終的には11970個体が日本に送られてきたということなんですね。ただ、今現在残って確認できているのは216体ということで、まだきっとあるかもしれませんが、現在はっきりしているのがその数ということでした。それで、日米の親善を目的としたこの人形のやり取りが始まったわけです。ナンシー・ジェーンについてということで。送ってくれたのは、発案者はシドニー・ギューリック博士なんですが、アメリカの世界児童親善会、それからアメリカ全土の小学校、幼稚園、そういうアメリカの人たちの思いを受けての人形の交流となりました。
Navi なるほど。渋沢栄一さんも絡んでるっていうことで、やっぱりアメリカ側から先に、話が来たっていうことなんですね。 本当に平和って大事だなって思って喧嘩し始めちゃうとどうなの?ってそこを止めようとしたのが、この人形の交流っていうことでよろしいですか?
吉野 はい、そうですね。それとシドニー・ギューリック博士は日本のひな祭り、三月にひな祭りがあるので、それになんとか間に合わせたいっていう思いがありました。ですから、親善人形大使の第1弾は約800体なんですけど、文部省に昭和2年の1月に届けられてます。
それを受けて、受け入れ体制を渋沢栄一翁が整えまして、日本国際児童親善協会を組織されました。そして、東京の五大百貨店で「青い目の人形展」を開催したところ、大変な賑わい、受け入れで大歓迎だったそうです。昭和2年の3月3日に、青山の青年館で盛大な歓迎会が催されてます。この時、渋沢栄一翁は八十八歳の時でした。これを受けまして、いただいたので、まあ、「そのお返しをどうしようか」っていろいろ議論されたようです。その中で「答礼人形」といって
Navi 答礼人形は、「答える」っていう字に礼儀の「礼」で答礼っていうことですね。
吉野 はい、そうですね。この人形を、答礼人形としてアメリカ各州へ、送ろうではないかという動きになりました。 当時の日本からしたら豪華な美術品並みの扱いで一生懸命作られたということが記録に残ってます。それで送り出すにあたって、送別会が各地で開かれたそうです。
Navi 日本から人形が行くから別れの会をやったんですね。
吉野 そうなんです。ここ埼玉も「ミス埼玉」その「ミス埼玉」もですね、名前が付けられて。それで送り出したってことです。
Navi 「ミス埼玉」っていう名前か何かで人形があったってことですね。
吉野 ミス埼玉なんですが、そこに「秩父峰タマ子」という名前がちゃんとつけられています。
Navi 秩父峰タマ子。
吉野 これも昭和2年の10月14日に埼玉会館で、歓送会が送られました。
Navi 埼玉会館もなんか100周年とかって言ってませんかね?だからちょうど新しい方ですよね。なんか百年。
吉野 これにはやっぱり人形を贈られた学校の児童、それぞれが58000人近いんだそうですけど、お金を寄付して、それでこの答礼人形を送ったっていう記録が残ってる。
Navi 日本側もやっぱりそれに応えて、平和を願ってというか、もらったから、じゃあお返ししましょうっていうこと。この答礼人形というのは、なんかちょっと大きめの人形?
吉野 はい、大きいですね。ナンシーよりもずっと大きくて。
Navi ナンシーはどのくらいの大きさですか?
吉野 高さが40センチぐらい。 だけど答礼人形は?1Mぐらい。
Navi じゃあもうちっちゃい子供と同じくらいの高さの人形を送り返したってことですね。
吉野 大変しっかりして、この答礼人形はメンテナンスのために一回里帰りをしてます。
Navi メンテナンスね。
吉野 アメリカから帰ってきて、全部直してまた送った。
Navi あー、そうですか。
吉野 そういうやり取りもこの後おこないます。
Navi ちょっと質問していいですか? なんか最近このことについて調べたら、熊谷東小だけじゃなくて西小にも来たっていう、情報があったんですよ。Wikipediaに書いてあったんですけど、でもWikipediaだからなんか証拠がないなって思ってたら、なんか証拠があるみたいですね。
吉野 そうなんです。当時日本に届けられたアメリカからのこの青い目の人形は、各県に分配されたんですね。熊谷にも三体来た記録がありました。
Navi 三体?
吉野 はい。 そのうちの一個が熊谷東小、それから熊谷西小。 もう一つあったらしいんですけど、この辺はまだはっきりしないんですね。
Navi ある情報によると 石原小だって言うんですけど、今までの調べた石原小の資料になかったんでね。でも、ちゃんとこれを調べたいと思います。
吉野 これを受け入れた時もですね、ちゃんと記念写真が残ってました。これ東小に残ってるんですが。「大里郡教育会人形受領会」というのが催されました。 そこに実は参加した熊谷西小学校の竹田やすこさんが、その当時、書いた作文が残っていて
Navi なんと!
吉野 本人がお持ちだったんですね。それを持っていたんですけども、実は東小学校で、後にナンシーが見つかったという、記事を聞いたこの竹田さんがですね、「ぜひ見たい」というので、お友達の方と東小に訪れてくれたそうです。その時に、持ってきていただいたのが当時の、作文なんですね。
Navi そうですか。ちょっと 紹介してもらってよろしいですか?
吉野 はい、もちろん。
Navi ちょっと、この作文は西小にも、人形が来たということを、示す証拠みたいな感じですよね。
吉野 はい、そうなんです。
Navi お願いします。
吉野 竹田やすこさんが3年1組の時に書いたものです。「昭和二年四月十四日、お人形さんのこと」という題名で書いてます。
「私は昨日、オカダさんと六年、五年、四年、二年の人とで、アメリカのお人形さんを迎えに行きました。行ってみましたら、お人形さんがたくさん飾ってありました。お人形さんはアメリカのお人形さんばかしではなく、日本のお人形さんも飾ってありました。アメリカのお人形さんが着る洋服が、夏着るのと冬着るのと春着るのがみんな揃っています。幾人かのお人形さんは、手紙を持っている人も、お金を持っている人もいます。お金を持っているのは、99銭も持っています。お人形さんが広い海を越えてくる時に、人がたくさん、送ってくれたということでした。アメリカのお人形さんをどうしても日本に一番に送ってくれたかというと、日本は昔からひな祭りがあったから、お雛様と一緒に飾るようによこしたそうです。終わり。」
という風に、こういう作文を当時書いてくれたんです。
Navi すごい。これは西小にもあったと。名前とか?西小出身なんですけど、一切この話知らなくて。まあ、知ってる方もいらっしゃるかもしれないんですけどもね。すごい貴重な資料でしたね。すごい勉強になりました。嬉しくなっちゃいました。ありがとうございます。
さて、まだまだね、このナンシーにまつわる話ではいっぱいありまして何でこのナンシーが見つかったか。これも結構話題になりますよね東小学校で。そもそも結構処分されたり、敵国の人形だからっていって捨てられたりとか、そういうふうになって減っていったってことなんですけど、東小学校今もありますよね、校長室に。
吉野 はい、大切に飾っております。
Navi 今でもありますけど、なんでこれ見つかったかっていうのをご存知ですか?
吉野 はい。こういうふうにして残したという記録はないんですけども、当時、先生たち、取材等したその記録からわかるんですけども、中島迪武先生という方がいらっしゃいます。
Navi この方は「やさしい熊谷の歴史」とかを書いてらっしゃる先生で、私も名前見たことあって、すごい有名な方です。
吉野 中島先生に、取材をして、渋沢栄一に関することでまとめた教員がいるんですけども、その取材メモからわかったことなんですが、中島先生はこういうふうに言ってます。「人形をもらった時は、高塚校長先生が朝礼で『親善のため』なんだという紹介をしてくれたそうです。そして、木造校舎の玄関に飾ってお祝いをし、後に校長室に飾った。」昭和十年に赤い屋根の校舎ができたので、そこに運び込んだそうです。もう移動されてるわけです。ただですね、時代も時代になってきました。昭和13年の5月に大掃除をしたのです。当時ですんで、邪魔だから捨ててもいいんじゃないかっていう、そういうふうに職員の間で話題になったそうなんですが、まあそこはですね、この中島先生が、ガラスケースから出して、紙に包んで、当時、用務員室(宿直室)というのがありました。その部屋の天袋の中に、私がしまったという証言もあります。
Navi そうですか。
吉野 中島先生は昭和十年に転勤したので、ここまでの記憶は、証言でいただいてます。 後に昭和48年、時間が経ちました。昭和48年6月2日に大掃除をしてたんだそうです。 宿直室の奥のところから出てきた。当時教員でいた2人の先生からの証言があります。 宿直室の大改造で大掃除をしていた安藤ひろたか先生が見つけた。それから、空襲の時は熊谷西小の教員であった鈴木すみ江さんも、「 私が人形を見つけました」という、取材の時にお答えいただいているそうです。
Navi そうですか。昭和48年って私が小学校3年生の時ですね。だから100周年とかやってる頃なんですよ、多分。私の同級生も今日、放送を聞いてると思うんですけど、なんかその時に、なんかいろんな会を、見つかった時に会をやったり、歌を歌ったりとか「青い目の人形の歌」を歌ったりっていうのを、聞いてたんで、じゃあ見つかった時にすごく大さわぎになったんですね。
吉野 そうですね。当時の新聞もですね、ちゃんと、資料に残っていまして、写真入りで、ナンシー・ジェーンと一緒に人形の花子が収まっている写真付きの記事が見つかりました。『押入れで発見!』という見出しで出ています。
Navi で、その後は、ずっと保管されてるっていうか、大事にされてるっていうか、そういうことだったんですかね。
吉野 そうですね。大切にされてきたんですけども、熊谷東小学校には、広い多目的室がありまして、そこはナンシー・ルームという名前がついてます。その部屋ができた時には、ナンシーもそこに飾ってました。子供たちの目にふれて親しみを持ってもらうためにっていうような、そういう思いで、展示もしてたようです。
Navi はい。私も実は一年だけ東小学校に行ってたことがあって、その前に私の中学時代の同級生が、「青い目の人形の歌」を歌った話とかも出てて、次の代の人たちですかね、FMクマガヤの、宇野さんとか中野さんに聞いたら、みんな卒業生なんですけど、なんかどっかに置いてあったと。だから、ナンシールームっていうのがなかった時代にも、置いてあって、「ちょっと、古い人形があったんで怖かった」っていうふうに言ってたんですよ。、自分が東小に行った時に、校長先生をやられた鴨田先生、ラジオ聞いてると思いますけれども、その時に、実はナンシージェーンだけじゃなくて、「花子っていう人形もいるんだよ」って教えてもらっちゃって、「えっ?」と思って、じゃあナンシージェーンだけじゃないんだ。でもその時ナンシールームには、ナンシージェーンが、飾ってあって、ガラスケースに入ってて。花子は別に見せてもらって、「あれ? じゃあ、花子は一体何だろう」っていう感じなんですよ。 これは知ってますか?
吉野 現在はナンシーと花子は一緒に飾られているんですけど、ナンシーがきたときどうやら一緒にいたらしいんです。なぜかというと大里郡の受け取りの会をしたとき、竹田さんがさっきの作文でいった受け取りに言った会の写真があってそこには青い目の人形と日本人形が一緒に飾ってあってその人形が花子なんだろうなと思います。東小には木造のしっかりしたケースがありまして。そこにはちゃんと二体収まるスペースになってます。 それから、日本とアメリカの国旗が手作りなんですけども飾ってあるんですね。それから、この2体セットで、飾るっていう当時のそういう気持ちで保存されてたんだろうなっていうのがわかります。
Navi なるほど。なんか、途中で一体になっちゃったところで、「ハナコさんも一緒にした方がいいよ」っていう職員の方もいらっしゃってね。まあ今はまた一緒になったりとか、歴史の中で、大事にはされてるんだけど、花子さんが出たり入ったりもしたり、ナンシージェーンが、ナンシールームにいたり、今は校長室にいたりするということですね。すごい大事な、本当にこう、百年の歴史をずっと見てきたっていうのがナンシー。でも途中は押し入れの中でじっと結構長い時間いたっていうことですよ。捨てられそうだったのを捨てられなかったっていうのも大きかった?西小に送られていたとしても西小学校、残念ながら空襲で燃えてしまったんで、多分わかんないですけど、もうなかった。私、西小の時にその人形の話は全く知らなくて、まあ教員になってから、東小学校の話を聞いて、「ああ、そうか」って思ったんですけど、そういう長い歴史の中で、いろんな方々が、ナンシーのことについては大事にしてきた。東小学校にとっては本当にシンボルのような人形ですよね。
吉野 そうですね。やっぱり戦争の最中ですから、敵国、まあ当時ですと敵国のものですので、大切にしようっていう、そういう空気はなかったと思うんです。その中でしっかり宿直室のところで保管されたのは良かったなって思いますね。
Navi そうですよね。本当に先生方に聞くと、やっぱりナンシージェーンの話をされて、東小に代々残っていると。東小にはまだいろんな文化がありますけれども、その中でもやっぱりナンシージェーンですかね。まあこれからもずっとずっと大事にしていくし、多分今日東小の子供たちも聞いていると思いますけども、やっぱり改めて皆さんと考えていくっていうのは素晴らしいことですよね。あとは何かニュースがありますか?
吉野 ナンシージェーンと、花子のように、埼玉県内は12体人形が残っていまして、同じように日本人形と一緒に、展示されている学校が他にもあるんです。ですから、やっぱり当時から一緒に日本人形と、いっしょに仲良く展示してたんだろなと思います。そういう気持ちを当時の人たちが思った中にあの歌がありましたよね。その歌はナンシー・ジェーンが来る前にも発表されて、人気の曲になってたわけですね。それと重なって、それから新聞記事も「青い目の人形」ということで、新聞記事にしたりしたので、送られた人形は「青い目の人形」っていうので広く認識されてる。そういう経緯があるなと思います。
Navi はい。ということで、じゃあ曲にいってみますか? では、「青い目の人形」をお届けします。
【曲 童謡 青い目の人形】
Navi 時刻は12時28分を回りました。梅林堂提供、やわらか熊谷、僕らがつなぐ物語、第108回、ナンシー・ジェーンと熊谷東小について、今日お届けしています。ゲストは39代校長、吉野富夫さんですけども、ここで、卒業生2人に今日は特別にスタジオに入っていただきました。じゃあ卒業生!
宇野 はい、卒業生の宇野元秀です。
中野 はい、同じく卒業生です。中野豊子です。
Navi ということで、お二人に特別にね、今日は入ってもらったんですけども。 東小の思い出っていうと何ですか?
宇野 東小の自慢とか? 東小はやっぱりあれじゃないですかね。二宮金次郎が夜中走り出すっていうのが。
Navi これ先生どうですか?今こういう話ありますか?
吉野 今は校庭の隅でおとなしく立ってますね。
宇野 もう噂になって テレビが来ましたもん。
Navi 本当ですか?
宇野 はい、来ました。
Navi 本当に走ったんですかね?
宇野 で、ずーっと待ってて、二宮金次郎像の前で、確か稲川淳二さんだったと思うんですけど、最終的に「今日は走りませんでした」っていう。
Navi それで番組として成り立ったと。
宇野 だからびっくりしましたね。あ、それでいいんだって。
Navi でも今でもね、ありますよね。
吉野 今あります。
Navi 西側ですよね。 あの辺にミツバチが巣を作って 大変だったんですよ。今はないですよね。
吉野 今も蜂が飛んでるんで。
Navi やっぱり?
吉野 ミツバチが巣を作って。
宇野 危ないね。
Navi でも ミツバチの巣っていいじゃないですかね。スズメバチよりね。
宇野 でも危ないですよね。これ。
中野 危ない。 はい。
Navi 中野さん、何か思い出は?
中野 私は、あの近くに住んでいたので、昔の木造の赤い屋根の校舎が壊されて、近代的な校舎になってから、間もなく入学したんですけれども、やっぱり自慢というと、図書館が校舎の中にも図書室ではなくて、まあ別館としてすごく素敵な図書館があった。
Navi 多分ちょうどね、今、二宮金次郎のあった辺りの西側にあったんですよ。
中野 確かにそうですね。ちょっと遊具が今は。
宇野 そうですね。
中野 道沿いというか。
Navi そうですね。道路沿いのところに。 ステンドグラスがあってね、すごいモダンだったんですよね。
中野 そうですね。入ると 私も空気が違うと感じました。
Navi 私も西小出身なんですけど、東小にちょっと行く機会があって、うわ、ここすごいなと思った。あと、赤い屋根の校舎はやっぱり印象的。木造の綺麗だったですよね。あとは何かありますか?あとは? なんか校歌のなんか。
宇野 それに喋らせたいんですね。
Navi はい、そうですね。 この後校歌流しますけれども、校歌のなんかね、子供たちがなんか歌ってたので。
中野 でもまずね、校歌の歌詞が自慢だったんですよ。
宇野 あの日の出ね。
中野 東だからね。 最初に日が当たってくるのが東小学校っていう。
Navi なんで東小学校?
宇野 西小に対してのなんかこう。
中野 日いづる国みたいな。
宇野 そうそう。そうイメージが。
Navi これ聞いてる人みんな喜んでます。絶対東小学校。
中野 東と西のね、ちょっとバトルじゃないんですけれども、競争心っていうのはやっぱりあったんですけど。
宇野 多分、あの、まあ他の小学校の卒業されてる方も歌える人は多いと思うんですけど、圧倒的に東小学校卒業生は歌えると思いますね、校歌がね。
中野 そうですね。
宇野 ♪朝日はのぼる、東の味噌ラーメンで覚えたんですよね。
Navi それでいいですか?
吉野 どうですかね。
宇野 多分みんな味噌ラーメンだったって思ってる人が結構いると思いますね。
中野 うん、私も歌いました。
宇野 味噌ラーメンだったでしょ?
中野 そうそう。
宇野 それ引き継いできましたからね。
吉野 今聞かないんですけど。
Navi 聞かないです。私も聞いたことない。
中野 出だしは本当に未だに、やっぱり学校の先生方もそうですけど、なんかオリジナルTシャツとか作ると後ろに。
吉野 あ、そうですね。
宇野 味噌ラーメンって?
中野 いや違う。 朝日はのぼる。
Navi だから朝日はのぼるっていうポロシャツ作りました。
吉野 そういえば。 今でも着てますよ。
Navi 今でも着てる?
吉野 着てますよね。朝日はのぼる。
中野 成績表みたいのもやっぱり名前が朝日はのぼるっていう
宇野 うそ!そうでしたっけ?
Navi 今はそうです。
中野 私たちの時はあの通知表。通知表。 まじめな名前でしたけど。
Navi 今は「朝日はのぼる」っていう通知表です。 すごくかっこいいですよね。
宇野 かっこいいですね。着たいTシャツとか。
Navi ポロシャツですよね。
宇野 ポロシャツか。欲しいですね。
Navi しかも色は紺色です。
宇野 へえ。
Navi 紺と言えば。
宇野 やっぱ東小は帽子。
中野 そうだそうだ。帽子。
宇野 通学帽、紺。他みんなね、黄色とかヘルメットの中、洒落たね。
中野 そう、ちょっと黄色が子供っぽいっていうか、まあ黄色い傘とか安全靴みたいな。
Navi だから、もう本当にこれを聞いてると他の小学校、東小は 素敵な帽子。そうですね。
吉野 これもですね、どうして紺帽子になったのかっていうのは、ちょうど150周年記念の時に、えーと、いろいろ調べていただいて、卒業生から。お話を聞くと、当時修学旅行に行くにあたって、決まった帽子がない。やっぱりなんか作った方がいいんじゃないかっていう風に盛り上がったそうです。いろんなデザインを募集して色も検討した結果、いろんな赤いベレー帽タイプだとか、そういうのもいろいろ。
中野 ああ、それもある意味おしゃれだね。
吉野 アイデア出てたらしいんですが、今の紺帽子は形もちょっと変わってるんですね。カーブが独特なんですね。そのあの形と色に決まったっていうのを聞きました。
Navi 東小の帽子は、ほんと 特色があって、なんかすごいなって思いました。西小学校当時まだ帽子がなくて、好きな帽子をかぶってたんですけど、東小はみんなお揃いで。あとなんか名札が緑色のなんかフェルトにくっついてて。今は違うらしいですけどね。
吉野 今は普通のですね。
宇野 昔は周りは縫い付けてたのが、東小だけは着脱可能な安全ピンでね、取り外し可能だから。
Navi 本当に多分東小学校の特色っていうと、もう次から次へと皆さんこうやって言ってきて。西小も負けないでいきたいんですけどね。あとは卒業生ですよね。校長先生。
吉野 そうですね。森村誠一さん。
中野 はい。自慢の先輩。
吉野 はい。校長室にはいただいた手紙も掲示してあります。それから俳優の相島さん。
宇野 はい。 相島一之さん お世話になってます。
吉野 あと、ダンプ松本さんですね。
宇野 ダンプさんもね、お越しいただいてます。
吉野 あ、そうですか。
宇野 ダンプさん、でも小学校の時会いました。それこそテレビで母校を訪ねるっていうんで、ダンプ松本さんが東小に来て、私が初めてテレビに出たのもダンプ松本さん。
吉野 あのメイクでいらしたんですか?
中野 メイクは普通でしたね。
吉野 あ、そうですか。
中野 でも確かにね、宇野さんのちょっと前に、まあ私卒業してますけれども、ちょうど女子プロレス、クラッシュギャルズとか、ダンプ松本さん、ブル中野さんとか、その辺りがすごく人気があったので、もうすごいスーパースターが
宇野 すっごい人気者でした。もうキャーキャー、ワーワーワーワー。
Navi はい。 他にもいますよね。中野さんは知ってますか?
中野 スポーツ選手とか?最近、まあ、古賀選手。 水泳の それから、 私はバレーボールをやってたので。
Navi おー、バレーボールだったんですか?
中野 バレーボール、富士見中にそのまま進みました。バレー部だったんですけど。
Navi えー、バレー部だったの? 私もバレー部でした。
中野 鈴木洋美選手
宇野 同級生
吉野 校長室には 実は鈴木洋美さんと当時の小池博校長が一緒に写っている写真とボールが飾っています。実は今 旧姓鈴木洋美さんですが今実は東小の保護者になっていただきまして
今度6年生が熊谷女子高校のバレー部と埼玉県の豊かな交流事業でソフトバレーボールを教えてもらう体験授業で一緒にでていただきます。 とても楽しみにしてます。
宇野 料理も得意なんですよね。ヒロミさんね。よくなんかお弁当とかね。 なんかいい感じでフェイスブックに上げて。 あ、そうですか。 はい。
Navi いや、卒業生、今聞いてみてもたくさんの方が出てくるし、まあ、そうやって今もね、盛り上がってきてるっていうことで、なんかこのナンシー・ジェーンの講談が。
吉野 あ、そうなんです。講談師の神田あおいさんって方が学校の方にお連絡いただきまして、ナンシー・ジェーン、実際に青い目の人形が残っているっていうのを聞いたんで、ぜひ、見たいというので、えー、それであの学校に来ていただきました。そこでお話しする中で、やっぱり以前から渋沢栄一翁の講談をずっと熱心にされてる方です。その中でやっぱり、えーと、ナンシー・ジェーンもそうですけど、答礼人形、日本からアメリカへっていう、そういうやりとりをもって大切なものを講談として、一生懸命熱心にされてるかたなんで。「せっかくでしたら、東小の子供たちにもお話してもらえませんか?」って言ったら、快くお受けいただけました。1月に今度設定しますので。これは子供たちだけではもったいないので、保護者や地域の方にもぜひお越しいただいて講談を聞いていただけたらなと思っているところです。ご案内はしていきたいと思いますが。
Navi いいなあ、東小。
中野 いいでしょう。 地域の方もっておっしゃってたので、やっぱりそれで学校と地域が繋がっていくのってすごいいいですよね。
Navi はい、楽しみですね。まだまだいっぱいありますけれども。卒業生どうですか?まだ思い出といえばなんかもうないですか?
宇野 いっぱいあるけど、ちょっとラジオじゃ話せない。
Navi 今日聞いている人と、まあもう一度東小学校はいい学校だなって、皆さんと時間になったらいいなというふうに思いますし、また連休明けにも東小学校スタートしますけれどもね、皆さんと盛り上がっていく東小学校を応援したいなっていう気持ちでいっぱいです。 なんか宇野さん、中野さん、急に呼んでしまったんですけど、今日はありがとうございます。
宇野 こちらこそありがとうございます。
中野 それこそ宇野さんも卒業生でこういうラジオを立ち上げて有名人だ。
Navi 失礼いたしました。
宇野 じゃあ言っちゃうと、音楽部って今あれかな、ないんですかね?東小。昔その吉村正美先生っていう方がいた時は、鍵盤ハーモニカとかアコーディオンとかシンセサイザーを使ってクラシックをやるっていう音楽部があって、それで私は音楽に目覚めて、その何年後、その卒業して十年経ったところにデビューしてるんですよ。
Navi 小学校が原点で東小が原点。
宇野 そう、東小がなかったら、吉村先生との出会いがなかったら、音楽を生業にすることはなかったので、本当に東小ならびに吉村先生に大変感謝してます。
Navi 東小なんかね、これからもまだまだね、いろんなものを生み出していくんじゃないかということで、校長先生、まだまだ仕掛けていっていただければと思いますけども。
吉野 はい。
Navi ということで、ここで、いよいよ!
宇野 味噌ラーメン。
Navi 東小学校校歌お届けします。歌いますか?
宇野 じゃあ皆さん聞いてる人も一緒に歌いましょう。
Navi では、東小学校校歌お届けします。
【曲 東小校歌】
Navi 時刻は12時43分を回りました。梅林堂提供、やわらか熊谷、僕らがつなぐ物語、第108回、ナンシー・ジェーンと熊谷東小学校をお届けしています。さて、熊谷東小学校、私も本当に一年だけお世話になったんですけれども、その時、すごく思ったのは、東小学校ってやっぱり、西小とは雰囲気がちょっと違うなって。よく熊谷の学習院とかいう人もいるんですけど、なんかシャキッとした雰囲気で当時、校長先生が、礼をするときに「起立、礼、着席」って言わないでやりましょうっていうのを言ってて、「うわー」と思って、本当にできるんかなと思ってたら、子供たちが「起立」って言って立って、目と目を見てこう黙って礼をするんですよ。へーと思って。もしかして今もやってますか
吉野 はい今もやってます。
Navi えー、そうですか。 結構、あの、他の学校では「起立、礼、着席」とかね、群馬県では「起立、注目、礼」とかって号令かけてやるんですよ。でも東小学校は号令かけないんですよ。起立は言っていますか?
吉野 いや、前に教員の方が立ったら、立って。そして合わせて礼をします。
Navi 先生が礼をする時のその間合いで礼をする。一年から六年まで?
吉野 はい。
Navi まだこれが続いてるってことなんですね。
吉野 そうですね
Navi それを見た時に「わぁすごいな」と思って、ドキドキしちゃって。その時は教務主任で、入学式で1年生には「礼をしましょう」って言ったんですよ。朝会の時に、壇上で校長先生が礼をすると、みんなが黙ってシーンとした中で礼をして、「うわぁすごい」って思いました。それも一つの今の東小学校の自慢というか、すごいところだなと思うんですけども。まあ他にもなんかいろいろありますよね。
吉野 そうですね。保護者の力っていうのもとても大きいなっていうの一つあります。例えば保護者の方、やっぱりいろいろな社会で活躍している方の力を借りるというので、例えばクラブで指導してもらったり、特別授業を組んだり。先日は、防災士をやられている水沼様が市の職員でもあるんですけれども、防災についての特別授業をしてくれました。私たちが話すだけでなく実際に実感できる体験を子供達がするそれは大事にして計画を組んでいます。
Navi 私が知っているのは熊谷総合病院の授業をみさせていただきました。びっくりしました。総合病院となりですよね。
吉野 昨年度、PTA会長の北さんがですね、総合病院の方で出前授業で協力してもらえるということで、お願いをしたんです。子供たちが、腹腔鏡手術の、遠隔の手術モデルの疑似体験できるものを持ち込んでいただいたりですね、それから応急手当の方法だとか、実際の看護師さんや理学療法士さんの直接のやりとりで、「あ、病院にもこういう、それぞれの仕事があるのか」と。やっぱり興味を持った子はたくさんいます。外部人材という点でも、本当にありがたいなと思って。
Navi 連携してうらやましいなって思いました。隣が総合病院で、どんどんそういう交流ができたりとか。あとニュージーランドのなんか学生が来ちゃってますか?
吉野 はい。熊谷女子高校とすごく連携させてもらっていて、熊谷女子高校では隔年で、ニュージーランドにホームステイする受け入れるというのを行っています。ニュージーランドから、ホームステイで受け入れている年には、東小学校にも交流ということで、ニュージーランドの文化を知るためゲームだとか、歌だとか、六年生と交流します。今年もニュージーランドの交流会を本校では設定してまして、大変楽しみにしております。
Navi 私も見させていただいて「いいなー」って思って「羨ましいなー」って思ったんですよね。そういう外部人材の授業ってほかにありますか?
吉野 これは新しい授業なんですけど、東京海上日動さんからお話しいただいて、実施することできるんですけども、DAPというドライブレコーダーで急ブレーキ等の動きを全部データベース化されているので、それを本校の学区の危険箇所として、マップに落としてくれてそこから、ここは危ない注意しなければいけない交差点だとか、そういう部分を全部見える化できます。そこでどういうふうに気をつけたら交通安全に適しているのか。それを今度一年生に特別授業していただきます。
Navi 東小学校は、地域の方もスクールガードの方も、すごいみんな結束してね、すごい熱心じゃないですか。
吉野 はい。
Navi その地域の人のルームみたいのもあったりとか、もう本当にすごいなっていうのを感じて、お世話になったなっていう気持ちがあります。さあ、ここで、お便りいただいてます。ラジオネーム アンクルチーズ好きさんからいただきました。
「皆様こんにちは。『青い眼の人形の唄』校歌共に懐かしく聞かせていただきました。先ほど東小の校庭の西側にあった図書館のお話をされていましたが、私の記憶が確かならば、トーテムポールもあったような気がするのですが、間違っていたらすみません」
私も見たことがあります。こういう本当に卒業生の方からお便りをいただきました。
吉野 ありがたいですね。
Navi もう本当に東小三昧のお話になったんですけども、どうですか?これから、どういう感じで東小学校進んでいきますかね?
吉野 やはりこれからは子供たちが自分の力をどんなところでも発揮できる。そのためには世界をやっぱり学校にとどめるんじゃなくて、もっと開いて、広く社会と繋がって、自分で目指す方向に進んでいける、そんな子供たちに育ってほしいなと思ってます。
Navi そのために、まあいろんな豊かな経験だったり、それからまあ伝統文化とか、そういうところを大事にして、東小学校には歴史もありますけども、いろんなものが、まあまだまだこれから可能性としてね、残っていますし、出て行った卒業生がまた、活躍して学校を盛り上げてくれるっていうことだと思うんですけれども。吉野校長先生、いろいろ学校ですから忙しいこともあると思うんですけども、体にはお気をつけて。
吉野 はい。
Navi 頑張っていただけたらと思いますけども。
吉野 ありがとうございます。
Navi 今日は、熊谷東小学校、ナンシージェーンの新しい話もありましたが、これを機にまた皆さんと熊谷東小学校を通じた会話が広がってくれて、卒業生の皆さんがまたお手伝いしてくれたらありがたいですよね。
吉野 そうですね。
Navi ということで、今日は、第39代校長吉野富夫先生に来ていただきました。今日はありがとうございました。
吉野 はい、ありがとうございました。
Navi また来てください。
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