
さて 8月4日のFMクマガヤ やわらか熊谷は?
「大我井神社の火祭り」
妻沼小の隣の大我井神社で行われる火祭り
火祭りと言えばこの方 田島初男さん
火祭りの前には音楽イベント
火起こし 雅楽 花火 そして 大きな炎
見所満載のこのお祭りをご紹介します どうぞお楽しみに!
見たことがない方は是非一度
第44回大我井神社火祭り
AInottaによる文字起こしを人間が修正
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤyzコンサルティングスタジオからお送りします。月曜のお昼は、梅林堂提供 やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 今日は第44回ということで、大我井神社の火祭りということでゲストは大我井神社総代長の田島初男先生です。こんにちは。
田島 はい、こんにちは田島でございます。今日はよろしくお願いいたします。
Navi よろしくお願いしますということで。田島初男先生って言ったんですけども、学校の先生でしたよね。もう一つの肩書で言うと元妻沼小学校長ですよね。
田島 そうですね。最後妻沼小学校で卒業しました。入学も妻沼小学校。
Navi ということは出身も妻沼小学校だったんですね。そして中学校はどうだったんですか?
田島 今はなくなってしまいましたけれども、妻沼中学校っていうのが、妻沼消防署のところにあったんですよね。消防署からの和藤さん食堂の、あそこ一帯が妻沼中学校だったんです。その後、別れて東中、西中としてという形になった。
Navi そうでしたか、じゃあ、本当に出身の小学校で最後、校長で終わられたということですね。
田島 そうですね。本当にありがたいことですね。なかなか妻沼の学校に勤めてなかったですからね。ずっと旧熊谷市とか深谷市だったですから最後は妻沼にお世話になったってことでは、大変ありがたく思ってます。
Navi そうだったんですか。田島先生は中学校の先生だったんですよね。教科は?
田島 社会科ですね。
Navi じゃあ、いろんなことに詳しいのは社会の先生だったからなんですね。
田島 うーん、まあ、いくらかねえ、歴史的なものはね、興味がありましたのでね。
Navi 社会の先生だったら、それは一番詳しく、今日はいろんなことをお聞きできるなっていうふうに思っています。また公民館のなんかあれやってましたか?
田島 公民館でなくてね。私は、教育センター。当時あのまだ北教育センターで管理職を対象にした研修を担当しておりまして、、、
Navi 実は私は管理職になる前に、北教育センターっていうのはまだ深谷にあった頃ですよね。ずいぶん前なんだと思うんですけど、でも最近のような気がしています。教官が田島先生でした。その時からなんか覚えていただいていて、声かけていただきうれしかったです。
田島 印象に残ってますよ。あの優秀な生徒さん。中期研修っていうのはあの管理職将来管理職になる人を対象に行った研修で、関根さんは大変優秀でありましたが、
Navi 恥ずかしい、あの何にも知らなかった時にいろいろ教えていただいたのは、田島初男先生でした。今、こういうご一緒しているということは私にとってはですね、なんか夢のような気がして今日本当に来ていただいてありがとうございます。
田島 そうですね。そういうご縁で呼んでいただいてね、大変ありがたく思っています。
Navi そして熊谷市で文化功労者表彰ということですね。
田島 あ、そうですね、これ70歳の時だったでしょうかね。
Navi だから長きにわたってこの教育、熊谷市・妻沼町に貢献されてきたということなんですけれども、もう1個肩書がありますよね。「ミュージシャン」
田島 まあ、これはサイトビジネス的なものなんですけどね。
Navi サイドビジネスになってるんですね。もうでも趣味の領域を絶対超えてますよね。
田島 老後を楽しんでいるとそういうところでしょうかね。
Navi いつごろから楽器とかされたんですか?
田島 楽器は皆さんもそうだったと思うんですけどね。私、中学校教員だったもんですから、赴任した折に、学級の歌っていうのを当時みんな作ったんですよ。各クラスでね。その楽曲の歌を演奏する時に、私にあのギターちょっとやってましたので、ギターを持っていきましてね、学級で生徒と一緒に歌うそんなところから始まりましたね。ただ、途中でねえ、忙しくなってしまいましてね、楽器は離れてしまいまして、あとは退職してからになります。その間はやってなかったですね。やってる時間がなかったですかね。
Navi そうですよね、やっぱり、校長先生とかやってる時は、あんまりギターとか弾けないですよね。
田島 そうですね。あとは行政が長かったもので、熊谷市の教育委員会だとか、県の教育委員会におった時はギターなんてそんなもんは、やる暇はなかったですね。
Navi そうでしたよね、それで退職されてからは本格的に「じゃあやってみよう」と
田島 そうですね。あの退職した折に呼ばれましてね。あの青木先生っていうのが私の前に妻沼小の校長さんだったから、
Navi なんかウクレレとかやってた先生ですね。
田島 そうなんです。その方が「ギター、やるんだろう」って言うから、「ああ、少しやります」って言ったら、「じゃ来ないかい」って言われましてね。その時は妻沼中央公民館だったんですね。そこでね「アフターファイブ」っていうバンドで今もやってますけどね。「アフターファイブ」というバンドがありまして、その一員となってスタートしたのが、退職後初めてのことなんですね。
Navi ああ、そうですか。現在はなんかちょっと4つのバンドって聞いたんですが、4つのバンドあるんですか?
田島 あっ、そうですね。えー1つは先ほど言いました「アフターファイブ」 それから本格的なバンドでいうと「懐メロタイムマシーン」これはユーチューブに上がってます。「懐メロ音楽隊タイムマシーン」と打っていただければ出てきますので、
Navi なるほど、またYouTubeで聴けるということ。
田島 またこのバンドは他のバンドもそうなんですけども、呼んでいただければ、もう無料ではせ参じますから
Navi どっかに来て演奏してくれるという
田島 そうですね。主に年齢が年齢ですので、あの昔の懐メロの曲が多いですね。
Navi このチラシを見ると、「いい日旅立ち?」
田島 そうですね。ですから多いのは福祉施設だとか、地域のイベントそういうところで演奏をさせてもらってますね。
Navi あの本当にやっぱりミュージシャンですね。
田島 まあ、そこまではいかないんですけどね。楽しみながら皆さんにも楽しんでいただきたい。そんなことでやらせてもらっています。
Navi 素晴らしいですね。
田島 ぜひお声がけいただければ参ります。
Nav 一番そのプロに近いのが、「懐メロタイムマシーン」としてあと、まだ2つあって、
田島 あとは先ほど言いました。「アフターファイブ」とそれから館林の方で、「オーケーズ」いうのをやってましてね。あとは「ファイブサウンズ」っていうこれはハワイアンを中心に、
Navi ハワイアン!ハワイアンじゃないやつは、この曲を見るとこう流行りの曲というか、ポップス?
田島 今で言えばポップス、昔の言葉で言えば、歌謡曲。
Navi 歌謡曲か!そうですね、
田島 歌謡曲なんですね、まあ、いろんなジャンルの音楽を一緒に演奏しますんで、Jpopっていう形で今まとめられてますか。
Navi そうですか。じゃあ、田島先生のやってる楽器はなんですか。
田島 楽器は身長があるもんですから、「お前はベースやれ」って言われまして。まあ、当初はギターだったんですけどね。ギターが何本もいましてね。ベースがいないんでやってほしいということを言われて
Navi 大事ですよね。
田島 ベースは地味な楽器なんですけどね。音としては結構目立つんですよね。ポイントになるあの楽器だと思うんですね。
Navi ギターだけと ギターにベースギターがあるので、全然違いますね。
田島 そうですね。だから、この「懐メロタイムマシーン」はギター、それから。キーボード、キーボードも二段でやっています。それからドラムですね。ボーカルがいて
Navi そしてPAの方も一緒にくっついてると
田島 そうですね。素晴らしいユニットです。これはお小遣いをいただきながら。やらせてもらってます。スポンサーがついてます。
Navi スポンサーですか?やっぱプロですね。ミュージシャンということでいいですね。
田島 これが一番本格的ですかね?私が一番素人なんでね、大変なんですよ。他の方は、皆さんみんな専門にこれまでやってきてますからね。
Navi そういう方と一緒にやってるだけでプロということになりますね。
田島 大変ですよ。まあでも楽しみながらこれが若さの秘訣かな。
Navi あの田島先生、あの失礼ですけど、お年はいくつになりました?
田島 えっとねえ、退職後まもなく30年でございますから 79です。
Navi おお素晴らしいですね、そうでしたか。
田島 いつのまにか自分でもね、そんなに言ってないつもりだったんですけど、あの若さの秘密をちょっと明かしましょうか?実は63歳教育センターで関根先生と一緒にお世話になってたその後、坂戸にあります女子栄養大学。こちらの方に「来てほしい」と言われて
Navi 大学の先生やってたんですね。
田島 そうです、そう言われまして講師から、最後は客員教授っていう肩書きをいただいたんですけどね。そこに若さの秘密があると思うんです。「女子大です。」学生は22歳3年生は23歳4年生、この3年、4年生を毎年繰り返してもらい持たせてもらいました。教員を目指している学生さんなんです。常に若い人が、目の前にいるということで元気が出まして一生懸命やらせてもらいましたね。
Navi そうですか。
田島 まあ真面目だったですよ学生は、採用試験が始まりますとね。もう論文を見たり、それから面接の練習をしたり、毎日8時頃まで夜は見てましたね。
Navi それは教員養成を一生懸命やってくださっていたということですね。
田島 そうですね。
Navi もう今、本当に今学校の先生のなり手不足になっちゃってっていうところで、本当に長い間じゃ教員養成をされてきたという。
田島 そうですね。10年やらせてもらいましたね。
Navi 今は客員教授という肩書はまだあるわけですね。
田島 あのそれはあの肩書きだけで、
Navi 失礼いたしました紹介しないで、だから、田島初男先生こそ、いろんなことをやられているという先輩ですね。私は田島先生をめざしているのかもしれません。正直、いろんなことミュージシャンの話を中心に聞いちゃいましたけれども、今日は最初にお話しした大我井神社の総代長というところから、火祭りですね。大我井神社、そして火祭りのお話を、これから聞いていけたらと思います。ではその前にここでリクエスト曲の方をかけたいと思います。ちょっと紹介していただいてよろしいですか?
田島 このリクエスト曲は、演奏もするんですけども、加山雄三さんの「お嫁においで」です。よろしくお願いします。
Navi ではお届けします。
【曲 加山雄三 お嫁においで】
Navi 時刻は12時17分を回りました。87.6メガヘルツFMクマガヤ やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語 梅林堂の提供でお送りしております。今日は、大我井神社の火祭りということで田島先生、大我井神社の火祭りっていうのは、先に言っちゃうと8月27日の夜でよろしいですか
田島 そうですね。8月27日神事が始まるのは、7時半からですけどね。その前にあの付け祭りがありまして、和太鼓とバンド演奏ですね。それが終わりますと。7時半から神事が始まる。
Navi なるほど、じゃあもう本格的なのは7時半。でも、7時に来ていれば間違いないってことですね。そうですね、私結構早くあのいっちゃって、ついついあのあちこちキョロキョロしていますが、この火祭りが8月27日に行われるんですけれども、順番から言うと、どこでやるのかっていうところから、あのラジオをお聞きの方にお伝えできればと思ってるんですけども、大我井神社を知らない方もたくさんいらっしゃるんです。場所は何て言えばいいですかね?
田島 そうですね。妻沼の聖天様。国宝になりました妻沼の聖天様のすぐ東になります。
Navi 妻沼小学校のすぐ南ですね。本当にすぐ近くにありますよね。
田島 あの辺一帯が「大我井の森」と言われていました。聖天様から含めて大我井神社も含めてね。大きな森になってたんです。これはあのちょうど利根川が、当時は今のように土手があって1本で流れていたわけじゃなくて、分流っていうか、いろいろ分かれて流れてたんですね。大雨が降るたびに溢れて、その土を運んできてできた沖積台地。あそこは標高38メートルであの辺では一番高い。
Navi なるほど熊谷は標高30メートルっていうでしょう。だから8メートル高い。
田島 そうなんですよ。ですから、そこへ聖天様が祀られたと。この火祭りのもとになっている大我井神社も、元は聖天様と一緒に祀られている。
Navi 昔はその昔は神社もお寺も合祀っていうか同じ場所にあったっていう。
田島 今の聖天様はね、正式に言うと今、聖天堂、明治から聖天堂になってました。それまでは聖天宮。日光の東照宮と同じです。あの日光の東照宮は権源造ですよね。あれと全く同じ作り方です。あの彫刻も後でお話しましたけど、素晴らしい彫刻ですよ、そこに一緒に祭られていたのです。その火祭りのもとになる富士浅間神社は、もっとずっと後になります。
Navi それで法律が変わって、「神社と寺は別にしましょう」っていうふうになったんですよね。
田島 「神仏分離令」」それで別れることになりましたね。
Navi それは大体、明治ぐらいになったそうですね。
田島 あの明治元年ですよね。それで「分かれなさい」と命令が出たんですね。
Navi そこで大我井神社は、大きいに 我が 井戸の井と書いて、大我井(おおがい)という
田島 これはね、「大我井の森」って、昔から言われてたんですね。じゃあ別れるについて。この神社の名前をどうしようということになりまして。大我井の森にはある神社だってことで、大我井っていう名前を付けるとそういうことなんです。
Navi 私も田島先生の5代あとくらいに妻沼小学校の校長をやらせていただいて。妻沼小学校に行って「大我井様の火祭りっていうのがあるんだよ」と言われました。それまで全然知らなくて。音楽の先生に勧められたんですよ。なぜかというと、そこに行くと火祭りもすごいんだけど、「本物の雅楽の演奏が聴ける。篳篥(ひちりき)とか笙(しょう)の生演奏が聴けるんだよ、ぜひ行ってみて!」って言われて、妻沼小の近くだからって言われてその年すぐ行って見たら、本当に素晴らしかった。
田島 妻沼小学校の子供たちが火祭りに関心を持っていただいてね。「地域の勉強を!一緒にやろう」やっていただいき元を作っていただいたのが関根校長さんだったんです。
Navi そうでしたっけ?
田島 そうですね、それまではね、そんなにかかわりはなかったんですよね。関根先生があの火祭りについて、「じゃあ、一緒に勉強しましょう」ということで、子供たちに投げかけていただいてね。で、聖天様と一緒に勉強ね、子供たちにしていただく、そういう環境が整ったということでね、私はありがたかったなあ。
Navi あ、そうでしたっけ、いやいや 私は一回見て「これはすごい!」と思って、もうとにかくいろんな人に知らせたいとか、あと子供たちに聞いたら、まあ知ってる子は知ってるし、知らない子は「え?行ってない」って言うから、こんな近くでこんな素晴らしいお祭りがあるっていうのはもったいないと思いました。それで今日はですね、このラジオを聴いてる方にも「伝えたい」というのが一番強い思いなんですけれども、この話の中に入っちゃうんですけど、大我井神社の中にもう一つ「富士浅間神社」っていうのがあるんですよね。これがこの火祭りに関する神社ですか。
田島 そうですね。じゃあそこ、ちょっとお話ししましょうか。あのねがいでは、先ほどお話ししたように、あの!明治に聖天様から当時はあの聖天宮(しょうでんぐう)と呼んでました。ですから宮ですから神社なんですね。
Navi ああ、そうか、
田島 ちょっと聖天様についてお話ししますと、明治以前は今、石の門が立ってますけども、あそこに鳥居が立ってたんです。新編武蔵風土記に出てくる絵の中には、鳥居が立ってるんですね。本堂には今の大我井神社と同じように「千木・鰹木」あの屋根の上に千木・鰹木って魚のカツオの形したようなのが上に並んでいるとこれはあの日光東照宮はじめ伊勢神宮もみんなそうですね。ですから聖天様は聖天宮だったんですね。そこにあの大我井神社に祀られている神様であるイザナギ・イザナミノミコと日本の国をお作りになった神様だよね。この神様が一緒に聖天様に祀られていたのですよ。本当はね、あの大我井神社のもとにそのイザナギイザナミノミコトを祀った神社の方が聖天様より古いんですよ。そこにあの斎藤別当実盛公が歓喜天を祀って聖天堂。聖天宮ができたわけですね。それでそれでの中で一緒に今度は祀られると。その神社の方が神社のもとになる神様とその聖天様のもとになる仏様は一緒に祀られる。これはずっとやってきたわけですね。明治までに、そこで別れたわけで、別れて今度は聖天宮から。純粋なお寺になりますから「聖天堂」という名前になるわけです。宮の方は大我井神社の方が別れたわけですね。そんないきさつがあるんですよね。
Navi そして富士浅間神社 山がありますけど。
田島 じゃあそこもお話しましょうか?あの「富士浅間神社」っていうのは、これは明治21年2月にあそこにお山が作られたんです。これは大我井神社とは別だったんです。関東地方には「富士浅間神社」っていうのは500いくつかあるんですよね。この対象は「富士山」です。
Navi あの字で言うと富士は富士山、浅間は「あさま」って書くんですね。浅間山の浅間って書いて「せんげん」
田島 これは全然矛盾しないんです。あの浅間というのは「火を噴く山」っていう意味ですから。浅間山も火を吹いてるわけでね。私の子供の頃は、まあ、1ヶ月に一回ぐらい噴火してましたから、火山灰が飛んできましたから。
Navi ああそうですか。
田島 火を噴く山っていうふうに理解してもらえれば、
Navi 富士の火を吹く山、その神社と
田島 そうです。だから一番のもとになる神社は、富士山の元に浅間神社がありますね。それが分社化してみんな関東地方に
Navi それが大我井神社の中にということですか?
田島 そうですね、
Navi だから山になっていてですね、その山があの火を噴く山っていう通り仕掛け花火がね、まあ、あの火祭りの時、華々しくあるんじゃないですか?
田島 あれはね、それをイメージしてるんですねえ。火を噴く山にイメージしてね。あそこは仕掛けてちょっとね。ナイアガラの滝って
Navi あのだから普段は小さな静かな山なのに、あの日だけは華しく、こうしてまあそうですね。びっくりしました。うん、まあ、火祭りのその主に行われているその場、その仕掛け花火の場所は「富士浅間神社」というところです。
田島 そうですね。だから一番の元は「富士吉田の火祭り」これが元です。
Navi そうですか
田島 なぜね、あちこちにこの山が作られたか、ちょっとお話しましょうか。これはね、当時あのこの富士講っていう富士山をあがめる、火を吹く山富士山をあがめること昔から火は信仰の対象ですからね。生活にも欠かせないですし、また雷が落ちれば、火事が起こりますし、だから「畏敬の念」というか恐れ敬う対象で火は、その象徴が富士山だったでええ。昔の人は江戸時代からこの「富士講」っていうのがありまして。富士山へみんな行ったんですね。あの上りにね。だけど、考えてみてもらうと分かるように、元気な人しかいけないわけですよね。しかも女人禁制だったんですから、昔はそうだったんですかね?みんなそうだったでしょう。ねで、女人禁制でお年寄りは登れない、じゃあどうしたらいいかって「じゃあ近くに、富士山を作っちゃえばいいじゃないか」と。
Navi なるほど
田島 それで、お山を作って、これ関東地方にまでも500ちょっと残ってます。その中でもこの大我井神社のねえ小山はね、一番大きいお山ですね
Navi かなりいろんなことがつながって来ました。
田島 そこではあの近くに富士山があれば、ちっちゃな富士山があれば、女人禁制でもなく、お年寄りもみんなあの登って拝むことができる。そういうことなんですね。
Navi なるほど
田島 そういうことであちこちにね、できたんですけども
Navi、ということで「大我井神社の神庭で、富士浅間神社の火祭りが行われます」って書いてあるのは、そうですね。
田島 そうですね、
Navi ということで、本当にあのこの火祭り、それからまあ、大我井神社のことについても、今初めて知ったことがいっぱいあって、いつも教えていただいて、またいろんな人に伝えたくなっちゃいますけどね。というわけですね。火祭りの場所までやってきたところなんですけれども、火祭りの大枠っていうか、あの私の方でちょっと、初めて来る人にプログラムを伝えたいんですけど、夕方あたりから皆さんこの準備を進めてました。あの先ほど言った神事の前につけ祭りっていうのがあると。
田島 和太鼓とね、その後、バンドがあの総代長自らやりますけど
Navi 和太鼓のその演奏と、それから「懐メロタイムマシーン」がやるんですか?
田島 そうじゃなくて「アフターファイブ」というバンドがステージをやって神社でやります。それがつけ祭りです。
Navi ああ、素敵ですね。毎年ですか?その前の年は?
田島 前の時はハワイアン、
Navi そうでした。私、聞きました。本当にいつも火祭りの前に、田島先生が演奏しているのを見て「あ、いいな」って思って、じゃあ、それが付け祭りで神事は7時半からということで、
田島 そうですよね、神事が始まる。宮司さんを先頭に並びまして
Navi そしてずっと入っていくと火祭りですから、大事な火を起こす 火おこしの儀、火おこしを本当にやるんです。これがまず私はびっくりしました。火おこしの儀っていうのは、火おこしの木と道具で起こすわけですよね。
田島 摩擦でね。独楽で。
Navi 独楽とひもを組み合わせたやつで、宮司さんというか。神主さんが何人で火を起こして、これがドキドキしますね。
田島 乾燥してる日は、すぐ着くんですけどね。湿ってる日は、なかなかつかなくてね、汗をかいちゃうんですよね。
Navi 今まで見たんですけど、つかないから、「じゃあ、なんか違うので、つけちゃおう」っていうことはなかったですね。
田島 それをやっちゃうとね、それはやっぱり神様にささげるもんですからね。汗びっしょりで
Navi 本当にこれは真剣な行事で、その時に篳篥(ひちりき)とか笙(しょう)とかあれですよね。雅楽を流しています。それは音源じゃなくて生演奏なんですよね。
田島 音源はね、あの本物の音源の場合もありますし、年によってこれは違うんですよ。
Navi そうですか、ただ音源を流すという形もあるんですか?
田島 あるんですよ。
Navi でも、私が見た時はもうほぼ生演奏でした 本物を聞いたのは音楽の先生のおかげです。それと真剣な火起こしの儀を夢中で見てても、燃えた時、火が出た時はもう
田島 周りの皆さん拍手してくれる。
Navi でも、まずそれを見るだけでも、まず小学生にはいいなと思いまして。その後ですね、今度はあの浅間神社の方に火を持っていきますね。
田島 そうですね。巫女さんが、
Navi そこでまたお祈りしていただくんですよね。
田島 そうですね、
Navi そこにあのいろんな家内安全とかっていうのも申し込みして、お札でそのお札を申し込むとね、あの名前、全部読んでくれるんですね。これも、ありがたいなと思って。私、お願いしていくんですけど、そこでお祈りをして、
田島 あの薪の中にみんな差し込んで、
Navi そして火がつくんですけども、このお祭りが終わる頃になると、いよいよあの仕掛け花火ですか?ありますよね。
田島 仕掛け花火の前にちょっとあるんです。ぜひお話ししていたいことがあります。今はお話ししたように白と赤の装束で、冠をかぶった巫女さん、これがあの代々妻沼小学校のお子さんにお願いしてるんですよ、4名なんですけどね。今年もお願いしましてね、快く受けてもらいましてね、あの衣装はなかなかいいんですよ、こんなところでいっちゃあれなんですが、結構高いんですけどね。でもあれを着てもらってもいい記念になったってということで、
Navi 一生に一回だけですね。あそこのところで、もう本当に綺麗なあの4人の小学6年生の巫女さんが来て「あーきれい」って思いました。
田島 そうですね、だから火起こしをして、それを1本のたいまつに移して、それを拝殿前では4人の巫女さんのたいまつに移すわけですね。それをもって宮司さんを先頭に2回ほどは神庭の周りを回ってもらって、山の一番上にかがり火のように、そこに火をつけてもらう。そこから本格的な神事が始まると。
Navi で、そこからですね。仕掛け花火と打ち上げ花火あ、そうですね、
田島 打ち上げ花火はあの薪の方に火がついてから、上がります。
Navi なるほどじゃあ先に仕掛け花火、スケールが大きく、あんな近くで仕掛け花火を見ることないじゃないですか。普通 橋とか遠くで見ますよね。
田島 近くで見るから迫力がありますね。
Navi びっくりしました。それがまずあの見どころというところなんですけど、巫女さんは4人であのキャンプファイヤーじゃないですけど、あの真ん中に火をつけます。あれなんて言うんですか?
田島 薪ですね。あれがね。かなりの本数ですよ。
Navi すっごい本数の木が組んであってね。
田島 2つありますが、組むのは結構難しいんです。
Navi 見てて難しそうです。あの積み木を積むより難しいですよね。綺麗な木を積んであって、これも、燃やしちゃうわけですからね。そこに点火ですね。ものすごい火の勢いがあれもびっくりしました。
田島 そうなんですよ、あれが大変なんですよね。結構あの火の粉が上がるでしょう?これ、妻沼消防団の方が、来てくれて、火をつける前に近所の屋根の上に、水をまいて準備をして 山にも水をまいてもらってね。ほら、火の粉が落ちますからね、何かあったら大変ですから。
Navi そうだったんですか
田島 火をつけてあれ全部燃やしちゃうとね。神事じゃなくなっちゃうんですよね。「途中で消す」火の様子を見ながら消防団の方々が消すわけです。この加減が大事です。その薪が意味あるんです。分かります?
Navi わかります。持ち帰らせていただきました。「これ持ち帰るんだよ」って言われて、お守りですか?
田島 そう。家内安全から身体健全、それから火難・盗難除け、燃えた燃え残りの木を1本でも2本でも持っていっていただいて、昔は屋根の上に置いたんですよね。屋根の上に置いたんですけど、今は皆さん、玄関先に置いてもらってますね。
Navi 私もあのもらったやつは玄関先に置いています。
田島 あれ、結構ね、あの持って帰ってもらいますので、あの結構片付いちゃうんですよね。
Navi そこまでね、そこに持ち帰るところまでは、やっぱりなんかお祭りかな?せっかくだったら最後まで行って、そのまま守りを持って帰るというのが、火祭りの風景なのかな?
田島 そうなんですよ、そして火が燃え盛るでしょう。最高潮で花火上がって、最高潮に達した火の燃えかす燃えた残りの薪が残るわけですね。その頃になると、もう全体がお静かになるわけですね。神庭がね、そのギャップって言いますかね、これをぜひ味わってほしい。
Navi そうですよね。現場に行かないとわからないですよ。今も丁寧に説明していただいたんですけどもね。まさにそれがもう火祭りが始まってから終わるまでという。それまでも準備とかいろいろあると思うんですけど、じゃあ、ここであのリクエスト曲をいただきたいと思います。2曲目はあのカントリーローンで。では、オリビアニュートンジョン カントリーロードをお届けします。
【曲 カントリーロード オリビアニュートンジョン】
Navi 時刻は12時46分を回りました。柔らか熊谷僕らがつなぐ物語。第44回大我井神社の火祭りということで、大我井神社の総代長田島初男先生と一緒にお届けしていますが、もう来週再来週月末、
田島 そうですね。
Navi 今月ですね。あの先ほどのあのカントリーロードなんでカントリーロードあのリクエストされたんですか?
田島 これはね、あのよく演奏する曲なんですね。私のバンドでね、まあ、カントリーも好きなんですよ。カントリーも好きでハワイアンも好きですし、このカントリーからハワイアンが生まれているわけですから。
Navi 火祭りでは今日のゲストで来ていただいている田島先生のバンドも演奏してくださるということですね。ぜひそれも見に来ていただいて、ぜひ楽しんでいただくということなんですが。火祭りあと何かあのキッチンカウンターが来てるってききましたが、、
田島 あのね、協力していただいてキッチンカー今年は2台来てくれる、キッチンカーが見えますとね、子供さんが止まってくれるでしょう。子供さんが止まってくれると親御さん。おじいちゃん、おばあちゃんはみんな皆さん連れてきてくれるんですよね。子供さんの力が大きいんですね。それから火祭りを、盛り上げていただく意味でもね。大変ありがたく思っています。、
Navi 本当に妻沼の大我井神社っていうところで、近くの人は知ってても、私も妻沼に行くまで知らなくて。だから熊谷とか行田の人も知ってもらってね。ちょっと興味があったら、ぜひこちらに足を運んでいそうですね。
田島 あの行田の火祭り、そこの古墳のところでやってますよね。あれも火祭りもいいですけどね。、これ、あのこの大我井神社の富士浅間神社の火祭りもぜひ来てください。
Navi 皆さんには足を運んでいただけたら、一度見て私はとりこになりました。打ち上げ花火をこんな近くで見られて、それから仕掛け花火も見られて。そして火起こしからその薪の火のすごいところと、そして、お土産まで、そして田島先生の演奏を聞ける。
田島 いやいや、それはおかずですから。
Navi 子供たちには妻沼小学校にいる時は火祭りのことはみんな調べてもらいたかったので、地元ですからね。妻沼だけじゃなくて、熊谷全体で知っていただいきたいです。なんか、熊谷市でも、皆さんにお知らせするっていう話があるみたいですね。
田島 そうですね。市の広報広聴課からも、取材に来ていただけるということですのでね。ぜひ皆さんに広く知っていただけたら、
Navi あのやった後に「こういうのやったんです」っていうのを見るのも大事ですが、今日の放送はやった後より「やる前にやる」というのがポイントです。
田島 ありがたいです。
Navi だからね、これを聞いて来てください。SNSにも出したら、「これ行きたかったですけど」ってコメントがあって「これからやるんですよ」ってちゃんと伝えてありますので、8月27日水曜日の夜ですよね。これは日にち限定なんですね。
田島 限定です。
Navi 曜日じゃなくて8月27日
田島 ずっとこの日です。
Navi 私も8月下旬というのを覚えてます。ポスターがね、
田島 ポスターというかこれポスターじゃないですね。ちっちゃいこれはね、あのチラシで富くじの引き換え券を兼ねてます。なんとこれを持っていっていただくとね。富くじが引ける。
Navi 富くじ?くじもあるんですよね。
田島 一等はブリジストンの自転車が当たりますので、
Navi ああ、すばらしい、これはじゃあ事前に引換券としてくじがひけるのですね。
田島 そうですね、あの街の皆さんに、企業だとか商店さん、皆さん景品を出していただいて協力いただいたんですよ、お祭りっていうことですね。
Navi もうとにかく見どころ満載です。大我井神社はものすごく大きいわけじゃないんですけど、人がいっぱいになりますもんね。もっともっと、いろんな人に見てもらってほしいです。あともう1つあのなんかあの先ほどから出ている「懐メロタイムマシーン」のコンサートがあるんですね。ちょっとぜひ告知をお願いします。
田島 これは10周年記念のコンサートになります。9月28日午後からですね。妻沼中央公民館で行いますので、ぜひ足を運んでいただけたらありがたく思います。よろしくどうぞ
Navi ということであの私もこの、チラシを見たのでは、ぜひちょっと応援していきたいなと思います。
田島 ありがとうございます。
Navi その前にまず8月27日に、夜7時ですかね。7時から7時半ぐらいからところで。妻沼小学校南側聖天様の東側の大我井神社の火祭り是非是非来てください。そして田島先生 最後に何か一言どうぞ
田島 この火祭りに加えまして、大我井神社では御朱印の発行を始めましたので、求めていただければとそんなふうに思いますが、
Navi 御朱印この日もできるんですね。
田島 大丈夫です。富士浅間神社と大我井神社と両方の御朱印がいただけますので、ぜひよろしくお願いいたします。
Navi ということで 8月27日火祭り、ぜひぜひお越しいただけたらと思います。今日は大我井神社の総代長 田島初男さんに来ていただきました。今日はありがとうございました。、
田島 どうも大変お世話になりました。
Navi 先生!また来てください。
田島 ありがとうございます。