
5月12日(月)12:00~12:54 FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷 ~僕らがつなぐ物語~は?ゲストに内野謙さんをお迎えします。
内野謙さんは いつでもエンターティナー人を楽しませてくれる素敵な存在です。内野さんのシャンソンを一度聞いてみてください。かならずや魅了されるはずです。小学校時代からの幼馴染の内野謙さんとのトーク何がでてくるか?どうぞお楽しみに!
AI nottaによる文字起こし一部修正
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。月曜のお昼は梅林堂提供やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語をお届けします。さあ今日はですね、第32回ということでタイトルは「熊谷が生んだシャンソン歌手内野謙さん」ということで、ゲストにシャンソン歌手の内野謙さんに来ていただきました。
内野 こんにちは
Navi 内野謙さんご存知の方もいると思うんですけれども、シャンソン歌手ですね。私は内野さんの小学校のときから同級生です。じっくり話するのは久しぶりですね。いろいろ今までのことも含めて伺っていきたいなと思います。シャンソンはこの間のコンサートで初めて聞きました。よろしくおねがいします。
内野 よろしくお願いします。
Navi 小学校はどこでしたっけ。
内野 西小学校で一緒でしたね。
Navi そうですね。そして中学校。
内野 大原中学校、そして高校は熊谷高校でした。一緒でしたね。
Navi 西小学校と熊谷高校で一緒でしたが、小さいときのルーツは、他の方はあまり知らないようなので、その部分からお聞きしたいと思います。私の記憶は内野さんは元々民謡をやってたと思います。始めたきっかけは何ですか?
内野 小学校2年生のときだったでしょうか。当時、私夕方になると声が出なくなっちゃったんです。騒ぎすぎちゃったじゃないですか。小学校2年生のときに民謡やっている同級生の女の子が「民謡をやったら声が出るようになるかもしれないから、一度遊びに来ない」っていうのでお稽古に一緒に付いていったのが始まりです。
Navi 勧めたのは、大人じゃなくて
内野 大人じゃなくて
Navi その、その小学生の子がすごいですね。その子、今どうしてるんでしょうか。2年生の子がそうやってお友達の声のことを心配して誘って、私ならなんか逆に歌を歌って大変なっちゃうと思えたけど。
内野 だからそのこの指摘があってたんでしょうね。なんかそれから声が出るようになって、そこでちょっと鍛えたっていう感じなのかな。
Navi そういえば遊んでるときも、内野さん、民謡でいい声を響かせてましたよね。そういうのを当時私達なんか自然に聞いてて、なんかそういうのを楽しんでたかもしれないです。小学校時代からいい声が出てるなって思ってそのときみんなで聞いて、私なんか母親が「謙ちゃんが遊びに来るとなんか楽しいよね」って言っていました。
内野 ありがとうございます。関根さんのお宅にはよくお邪魔させていただきまして、本当にお母様にもかわいがっていただきました。
Navi 私も内野さんの家へ行ってなんかあの倉庫で遊びました。
内野 よく覚えてらっしゃるね。陶器屋をやってたので大きな倉庫が。
Navi あったんですよね。
内野 そこでよく遊びましたね。
Navi 今、だったら小学生であんまりそういうとこで遊ぶと駄目なんですよ
内野 僕もよく怒られましたけどね。
Navi 怒られたけど遊んじゃうんですよ当時は。だから今だったらお店の倉庫で子供が遊んだっていうと問題になるけど、当時は子どものための遊び場だったんですよ
内野 そうですね。結構遊んでました。みんな来ると楽しそうでした。結構大きかったんですよ
Navi 大きかった。そして暗かったですよ。そういうところで一緒に遊んだりとか、とにかく昔の子供は放課後よく遊びましたね。
内野 今はどうなんですか。
Navi ずいぶん減りました。例えばゲームみんなの見てる。放課後児童クラブとかそういうところにいますね。
内野 なるほど
Navi 私も母親がどっか内職でどっか外に出ていたので家にいなくて、親はいなくても、よく鍵っ子っていう言葉を使ってましたね。
内野 鍵っ子ってありました。今はそういうのは何か今鍵っ子ってことはない。
Navi あまり聞かないですね。昔は自由に遊んでいて、私のうちに遊びに来て歌を披露してくださって
内野 そうなんだ。
Navi 日頃から何かその場を楽しくさせるっていうのを感じましたね。声がすごく張りがあって、それからまた、昔のお話をすると、家に「新八犬伝」の本があったんですよ。多分内野さんとの思い出の中で一番にでてくることです。
内野 小学校の3年生のときかな。
Navi NHKで「新八犬伝」って名前の人形劇でした。
内野 ちりめんで作った辻が花か何かの着物で当時すごい贅沢な人形でね。八犬伝、南総里見八犬伝がベースになってるのかな、でもすごく演出が面白くて夢中になりました。
Navi 普段その話で持ちきりだと思う。だって学校に行くと内野さんに会うと真っ先に八犬伝の話をしました。わずか15分の番組なのに
内野 毎日やってて、連ドラですよね。
Navi そこでまた内野さんのタレント性が発揮されるのが、学芸会でした。昔、小学校ってよく学芸会をやりました。劇、とか、そのときに劇の脚本を書いて演じていました。
内野 そんなことして私は忘れていますね。
Navi そうでしたか。そして内野さんは犬塚信乃とか犬飼現八とかってそういう役じゃなくて、内野さんが真っ先に選んだ役があるんですよ。
内野 何?
Navi 八犬伝を知ってる人はわかると思いますが「玉梓が怨霊」おどろおどろしいキャラクターが出てきてそのキャラクターって悪役なんですが、とても妖艶で内野さんはその玉梓をやっていました。
内野 ぴったりそうですよ。
Navi 忘れてるんですか それ?
内野 本当に忘れちゃってる
Navi それで最初に登場するときには、「我こそは玉梓が怨霊」っていう台詞を本当に見事にこなし、その声が役者のような声でおどろおどろしくしてそれを友達同士で練習しているのを見てうちの母とかもね「すごいね」って感動していました。クラスでも本当にみんな夢中で聞きいっていました。その頃からすごいエンターテイナーの小学校3年生でした。
内野 ありがとうございます・
Navi あとは西小学校の特別歌唱クラブに一緒に入ってましたね。
内野 合唱をやったんですよね。
Navi 小学校のときに部活動みたいなのあったじゃないですかそこで、合唱をやっていましたね。
内野 歌いましたね。
Navi でもね、そのときに私とやっぱり2人で悩んだことがあって変声期
内野 私はでもあんまり変わらなかったような気がするけれども、
Navi NHKの課題曲で「こけしどこの子」という曲で。高いが声出なくなってきたときに、で男子があんまりいなくて、
内野 そうだそうだ。
Navi 3人しかいなくて、私と内野さんとあと吉川次郎さん、
内野 そうだ次郎くんがいた。
Navi その3人でやっててみんなやっぱり声が出なくなってきて、そうするとNHKコンテストに出られないとかっていうときにそこで内野さんも高い声がでにくくなって、見てて、なんかつらそうだった。自分はまったくでなかったのでなんでもなかったけど。
内野 高い声がでなくてそういう時期もありますものね。
Navi それからあと私達の時代は中学校行ったとき坊主じゃない。
内野 そうですね坊主。
Navi そこがまたやっぱり 内野さんのさらさら髪型の髪の毛を切るじゃないですか、内野さんが髪の毛切ってきたときにやっぱり見てそうかみんなで男の子は坊主になるんだって。
内野 そう
Navi そのときもなんかなんか悲しい気持ちになりました。内野さんのいろんな活躍を小さいころから見てきたんですけども、それが再び花開いたのはやっぱり高校の文化祭。
内野 はい。
Navi ここでまた内野さんのエンターテイメントが発揮されましたね。あのステージはすごかったです。
内野 そうですか。
Navi だって歌った
内野 歌いましたね。歌えましたね、
Navi ステージはもう皆何か集まって、そして誰も他の人は内野さんにはもうかなわない。
内野 男子校なんだけれども、その男の子が女装して「ミス熊高」っていうのを選ぶっていうコンテストです。そして私3年連続で優勝いたしました。
Navi 私達の友達で内野さんに勝とうした人はいたんですが
内野 そうでしたね
Navi でも絶対勝てないです。だってそれは何かいわゆる女装っていうかそういうのが素敵とかじゃなくて、やっぱりスター性です。
内野 ありがとうございます。
Navi あのステージを見て、見た目だけで勝負するのは無理だな。もう内面から出る華やかさ、素晴らしさっていうのは忘れられません。私は長年のファンだったのかもしれません。それ以来内野さんと会ってなかったですね。
内野 しばらくお会いしてなかったですものね。
Navi それで高校を出てからどうしましたか。
内野 大学は武蔵野音大にいきました。そこで声楽を本格的に習いました。やっぱり本当にやっぱり何だろう、大学の雰囲気っていうかなんかちょっと合わなかったかな。ちゃんと行きましたけども、しっかり勉強はあってそこでクラシックの基礎みたいなものは勉強はしましたけれども
Navi はい、そうですか、合わないんですね
内野 なんかちょっと合わなかったかな。学校の校風かな、語弊があるかもしれないんですけど私達はほら、熊谷高校、、結構自由にやれるじゃないですか。当時高校は自由だったんすけど、今度大学側に行ったらば、もうちょっとなんていうのかな。学校なんですよ。自由じゃなかったんです。大学の方ってふうに私は感じたんですけど何で何となく縛り付けられるきっちりしてて学校がしっかりしてたんでしょうねだったのでね、ちょっと合わない。
Navi 内野さんを締め付けるのも考えられないですよね。
内野 大学時代 勝手、それでも勝手はやってましたけど、思い出すと その前でシャンソンと出会っていたんです。私は聞くところによると、高校のときにも「銀巴里に行きたい」って言ってたっていう話だったのです。覚えていないけど。
Navi ちょっと待って 話を戻しましょう。
内野 高校のときにたぶん銀巴里に行きました。
Navi ちょっとっと待ってください。銀巴里がわからない人に教えてください。
内野 銀巴里っていうのは今もうないんですけど、銀座にありました。シャンソニアっていうかチャンスを生かせる。喫茶というかライブハウスです。シャンソンを聞かせるライブハウスで 美輪明宏さんや有名な戸川雅子さんとかがいてね。そこはちょっと登竜門みたいなところであって「そこに出たいな」って私はずっと言ってったらしいんです。本人は忘れてたんですけど、高校のときにたぶんそうだったのです。ちょうど私が高校のときに金子ゆかりさんっていうシャンソン歌手がおりまして、ちょっとブームになったんです。私がこの世界に入るきっかけがそのゆかりさんのテープをたまたま聞いて、当時カセットテープですよ。カセットを聴いてこういう歌もあるんだと今まで経験してきたと全く違う音楽だったらやってみたいなと思って調べたら、その3人が頻繁に出てたのが銀巴里です。そのテープが銀巴里のライブ盤のテープだったんです。こういう場所があるんだと知って「ここ出てみたいな」と思ったんでしょう。
Navi なるほど。そして
内野 そしてもう高校時代に銀巴里に行ったんですね。大学生でも行ったかもしれないな。ちょっと、いつ行ったかは記憶がないんですけども、行きましたね。
Navi 高校時代からシャンソンが体に入っていたようですね。
内野 もう高校生で頭に入ってましたね。そして大学はクラスがクラシックで全然違うじゃないですか。確かに本当にコソコソしていました。
Navi コソコソ銀巴里に出入りしてるのが、大学にはわかっちゃったのですか?
内野 ほら聞きに行くのは別に問題ないから。
Navi そのステージに出たりすると駄目なんでしょ
内野 駄目でしょうね。学生がそういうことをしたら駄目だから、そしてそんなにすぐ出られるところじゃないんですよね。だから私 銀巴里は1年間だけ出させていただいたんだけど、それは大学終わって何年か経ってからだったかな。
Navi そうでしたか。そこにはいつも聞きにいってたのですね。なるほどここで曲にしますか。ちょっと紹介していただいていいですか?
内野 何しようかなと思ったんですけどもザシャンソンっていうところでしょうか。パリオリンピックでも、一番最後にセリーヌ・ディオンさんが歌いました。定番は「愛の賛歌」かなと思って、本家本元のエディットピアフで
Navi はい、お願いします。
【曲 エディットピアフ 愛の賛歌】
Navi 時刻は12時20分を回りました。87.6MHz FMクマガヤ 梅林堂提供 やわか熊谷 僕らがつなぐ物語 第32回熊谷の生んだシャンソン歌手 内野謙をお送りしています。
内野 ありがとう
Navi このタイトルいいですね。響きがいいですね、内野謙さんに来ていただいています。よろしくお願いします。
内野 よろしくお願いします
Navi 内野さん高校時代に実はシャンソンの魂が入ったっていうことで、そして大学時代クラシックで、ちょっといろいろ基礎勉強して、そして卒業したらどうしたんですかね。
内野 ちょっと戻りますけれど、大学に入る前からあの演奏活動っていうかシャンソンは歌っていたんです当時ねエレクトーンの方と組んでディナーショーみたいなことを年に2回ぐらいやったかな。今考えたらとても恐ろしい何も知らないからできたっていう感じです。
Navi それがいつですか?
内野 高校生のときに大学生らも大学になったときにはもうやっていたと思う。内装活動みたいなのがあるほど小さな喫茶店で、おかげさまでだんだんお客さんも増えてきて、地元でやっていたんですよ。
Navi 地元って?
内野 地元ってホテルの宴会場みたいのを借りて、
Navi 地元熊谷?
内野 そうです。熊谷ずっと、熊谷市しかで知らないから
Navi 本当だったんですか。知らなかった。やってたんですね。
内野 それで大学出てからそう大学のお友達があるシャンソン歌手を紹介してくれた。「すごい人がいる」からっていうんで聞きに行ったんですよ 槇 小奈帆(まき さなほ)っていうシャンソン歌手なんですけども彼女との出会いが私のあれですね大きく変えたかな。槇さんが 当時売れっ子パンっていう渋谷でお店をやってちょうどそのときに私は銀巴里のオーディションを受けたら1年だけでいいってことで、そこで受かったんです。もう鼻息荒いですよ。もう私も年に2回コンサートしてます。銀巴里にもとりあえず1年位でていいっていう許可をもらいましたので、牧さんのお店でできたら働きたいっていうか、出たいなと言ったらもう大変。そこからもう地獄の始まり、やっぱもう何にも知らないで入っちゃってるでしょ。だから、できたのかもしれないけども、もう大変も1からもくそみそ駄目出し、もう全然駄目でよく私はねあのとき槇さんのお店に、直接行っちゃったわけですよ。初めはお客様として、行っていて、「使って欲しい」って言って、本当に強引に入った感じかな。毎週出るようになり5年ぐらいだから、そこで主な修行といえば修行なんでしょう。やっていました。
Navi 修行は演奏しながら?ですか?
内野 そうです。
Navi 反省会?
内野 じゃないですけどね、発声から、すぐ、ちょっとって影の方に呼び出されて
Navi 女性の方なんですか?
内野 女性です。槇さんはすごい素晴らしい方ですよ。教えるっていう感じではない。またレッスンで受けたわけじゃないからもう「駄目よ。あれは」って言って散々ちゃんと歌ネット「殴るぞ」とか言うんだからもう
Navi ちょっと待ってください。聞きたいのは、何が駄目っていうんですか?
内野 言わない。「自分で考えろ」みたいだから、本当に昔の徒弟制みたいなのをやってた。ただ私の場合は週に1回でしょ。だからある程度救われてたけど、毎日やってた方もいらっしゃるから、やっぱり結構つらいんじゃないかな。未だに怖いもの。でも今はすごい良くしてくれて連絡してくれたりして。また発表会が10月にあるのかな。「じゃ謙ちゃん出て」って言われてるので、
Navi 何が駄目か言わないんですか
内野 たまには言うけども何かというとね 例えばね、何だろう、「もう発声から駄目だよ」とか。発声はクラシックやってちゃんと基礎やってるんだからっていうのでやると「駄目」とか、「気持ち悪いそれ」とか言って、あと「動いて歌うな」とか。
Navi 動いて歌う?
内野 ちょっと動いちゃったりすると駄目だって本当「何が駄目なんだろう」って結構自分で考えるとね、自分で考えると昔のあれで本当に徒弟制というのはこういうことかなと思う。
Navi これやって駄目あれやって駄目を繰り返す?いいって言われないんですか
内野 いいなんて全然言われない。
Navi 今日良かったねとか、
内野 あー言われないね。みんなそう。でもそういうシャンソンを歌わせるところって歌手が大体3人から4人ぐらいいるんです。時間になると、1人2曲ずつぐらい歌って1ステージ終わりっていうのが一晩に2回とかやるのね。だけどみんなくそみそに言われる。そして最後に槇さんが歌う。
Navi そうするとやっぱり先生のそこから「真似ろ」みたいな感じで
内野 なんなんだろうな。それはそうなんでしょうね。
Navi 他に習ってる人たちはどういうふうに捉えていたんですか。
内野 どうなんでしょうね。そのときは槇さんは多分レッスンはしてなかったんじゃないかな。もう皆さんがプロでそのお店で働きたいって言ってきてる感じで、私はその先輩たちにもすごい良くしてもらったけど。
Navi 常に自分に満足するなっていう意味なんですか。
内野 どうなんでしょうねちょっと答えがわからない。でも、音楽って芸術で何か答えてないから例えば次私がいいと思っても、槇さん駄目って言うかもしれないし、槇さんがいいと思っても私が駄目と思うかもしれないし、わかんないそれは本当に
Navi なるほどね。なんかねやっぱり内野さんもそうだけども、自分は全てにおいて素人なって思うんですよだからそういうプロの方のお話を聞くとね、勉強になります。
内野 そうですか
Navi 突き詰めていくから、
内野 いやいや私もプロはっていうか専門に歌ってますけども、やっぱり本当に毎回毎回、手探りですよ。日によって違うんです。歌とか何でもそうだけれども、そこが難しいっちゃ難しいし、面白いっちゃ面白いってとこじゃないでしょうか。
Navi 自分にもそういう何か得意分野があって突き詰めていくプロみたいなコンテンツがあればいいんだけど、なんかそういうのがないと思うと、日々表現者っていうのは何を中から出てくるのが表現なんでしょうね。
内野 うん。中から出てくるっていうのかな。私自分の練習としては歌ったものを、なにかに録って同じものでも-聞くときによって、違うんですよ。自分でもここはもうちょっとこうした方がした方がいいと思ってなんだろう。でも私がその気をつけるっていうか聞くのは、例えば、音程とかリズムとか歌詞の言い回しがどうこうとかで深いところってあんまり見ないような気がする。なんかちょっとその表現する表現の方法に対して、結構厳しく自分なりに見てるような気がします。中は後でついてくる感じなのかな
Navi なるほど奥が深いな
内野 いや私も何とも説明のしようがないんですけども
Navi そこがいいんじゃないですか。なんかあんまり説明しちゃうとみんなコンピュータじゃないですけど、プログラミングでできちゃうような気がする。やっぱ人間ってその日によって違うとかそれが良さだったりすると思いますね。自分なんかはすぐ感動しちゃって
内野 いいじゃないですか。それも
Navi 沸点が低いという感じです。時間がなくなっちゃいますが、そして熊谷でずっと活動されて
内野 そうです。熊谷で、はい、ずっとこんな感じです。でもずいぶんですね。どのくらいでしょう。
Navi そのさっきの槇先生のところに行っていたのが何年間?
内野 5年もちょっといたかなというかそのお店がなくなっちゃったんですよ。何でかわかんない「急に辞める」って言ってやめちゃって。それで当時そのとき並行して熊谷でも歌ってたんです。なので渋谷のレコパンっていうお店がなくなってからも熊谷で歌ってました。毎月だったかな、私、本当に人に恵まれてるっていうか、今までやめるっていう選択肢がなかったんですよ。自分の中でも。なんか「駄目そうかな」と思っても、誰かが助けてくれるみたいな。お店や歌う場所も、例えば伴奏してくれる人もいたので、そこでお店が、あのレコパンってお店がなくなったときに、熊谷でやってたときはギターの方と一緒にやってたんです。ギターの方は実は、私が子供の頃5歳のときから知ってる人で、たまたま近所にいたの。彼女と組んでいろんなところでやって、ギターだったので、どこでも行けるんですよ。場所がどんなに狭くてもOKなので、そんなのでいろんなところで歌って
Navi それが何十年っていうか、
内野 そうですね 何十年、
Navi 噂はちらっと聞いたことがあります。謙ちゃんは銀巴里に出たことがあったりとか、お店でシャンソンやってるよっていう噂だけは
内野 なるほど
Navi どこにいるかがわからなくてでも熊谷にいたんだったらねどっかでと思ったんですけれども、ずっと聞くことができなくて、「謙ちゃんはどうしてるんだろう」みたいなことはすごく自分は考えていました。長く演奏活動は続けてきたんですね。
内野 なくなっちゃいましたけど熊谷のバー207っていうあのお店がありまして、そこカウンターバーですけど、そこのママにも大変よくしていただいた。そこがきっかけでそのギターの大橋夏子さんって方と2人で組んでやっています。その当時はコルドバが上になくすごもりしかなかったけど、店主の冴子さんという方が、バー207に来てくれて「うちでもやってください」っていうので、それで今も続いてるんですけれども。そこまで長い間ずっとやってきた。その長い間っていうのが年数で40年ぐらいで、シャンソン初めてそのぐらいになるかと思うんです。それ以上か?40引いてもまだ年がある。
Navi そうですね。そういうことで、ここで曲に行きたいと思います。今度は
内野 もう1曲、エディットピアフのレパートリーなんですけど ラ・フールという歌です。「群衆」という邦題がついています。私が銀巴里のオーディションで歌った歌でございます。
Navi お願いします。
【曲 群衆 エディットピアフ】
Navi 時刻は12時36分を回りました。87.6MHz FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~第32回熊谷が生んだシャンソン歌手 内野謙さんに来ていただきました。
内野 ありがとうございます。
Navi 内野さん、本当に長い間演奏活動というか、シャンソンをやっていて、私実はシャンソン知らなかったんですよ。恥ずかしいです。
内野 いやとんでもないです。
Navi 知ってる人はやっぱり知ってるんですよ。あとは越路吹雪さんくらいまで聞いててっていうぐらいであとはやっぱ美輪明宏さん
内野 三輪さんね
Navi 三輪さんは圧倒的な感じで、歌は知ってるかって言ったら全然知らなくて「愛の讃歌」先ほど聞いたのはちょっと聞いたことがある程度だったんですよ。だけど、初めて生でコンサートを聞いたらよかったです。
内野 ありがとうございます。
Navi 一番引っかかった曲っていうのが実は「洪水の歌」
内野 「洪水の歌」ね「悲しみの終わりに」っていう歌ね。
Navi あれを聞いたときにもう本当に涙が出ました。
内野 まあ嬉しいです。あれはいい歌ですよね。
Navi それをなんだろう、CDとかで聞いたんじゃなくて内野さんが歌ってるのを聞いて、うちの妻も隣にいたじゃないですか。あれでもぐっときました。
内野 嬉しいです。
Navi 本当素晴らしかった。何が素晴らしかったかは実際に聞きに来てください。内野さんがシャンソンをやっている噂だけ聞いてたんですけれども、本当に何十年ぶりにお会いしたのは、コンサートより前のウインドオーケストラって言うさくらめいとでのコンサート
内野 ウインドオーケストラin熊谷でしたっけ
Navi そうそう、そういうなんか吹奏楽のいろんな団体のコンサートでMCをやってました。
内野 そうですね毎年声をかけていただきまして、はい
Navi 知らなかったから内野さんに会いたかったらそこに行けばよいのですね。秋ですよね。
内野 秋です10月、はい。10月だと思います
Navi そこにいっていたら「司会は内野謙さんです」って流れて、登場したときは興奮しました。
内野 楽屋にありがとうございます
Navi やっぱり、内野さんここにいたんだと、やっぱり熊谷にいたんだっていうことで、嬉しかったです。ちょっとね聞きたいのは、何で熊谷にいたのですか?
内野 何ででしょうね。私引っ越ししたことないんです。やっぱり熊谷、何でしょうね、居心地がいいんでしょきっと
Navi そうですか暑いですよ。
内野 暑いけど大丈夫です。
Navi うんだから自分ねFMクマガヤに来て学校もずっと熊谷で、
内野 そうですよね
Navi 熊谷じゃなかったら嫌だっていうぐらいに熊谷が好きなんですよ。ね、熊谷じゃなかったら多分なんかあんまりやる気が出なかったかもしれないぐらい熊谷が好きな。内野さんはなんで熊谷でないの?
内野 いろいろそういう機会がなかったからかな。
Navi そうですか。いやあなんかどこへでも出て行けそうな
内野 ちょこちょこ出てたりはしますけども、引っ越しはしたことないからずっとに住んでますね、
Navi ここをベースをね
内野 あっち行ったりこっち行ったりはし出て歩くの大好きですが、やっぱり熊谷かな。
Navi そうですね。だから熊谷が生んだシャンソン歌手です。これからも熊谷に居てください。
内野 ありがとうございます
Navi だから熊谷の人にやっぱりもっともっと知ってもらいたいなって思って、私がこの間のコンサートを聞きに行く前にすごいコラボのチャリティーコンサートがあってそこで聞きましたよね。私そのとき内野さんの歌は聞けなかったんですけど、そこに内野さんが出ていて。
内野 そうですね。このチャリティーコンサートを、一昨年?そのときいろんな方が出てね。はいヘブンズロックやったチャリティーコンサート、能登地震の後、
Navi チャリティーコンサート、そのときに行って私はちょっと違うとこから駆けつけたんです。
内野 北海道から来てくださって、
Navi 絶対この場に行かなくちゃと思って。内野さんが出るしと思ってそのときにこの番組のテーマをやってる有梨さんもでていて
内野 演歌のNANAYOさんっていう方がね、
Navi さくまひできさん、
内野 気さくな方
Navi はい。あともう1人ぐらいいましたね
内野 私ボーカルボーカルは4人だったか。
Navi あと松井さん
内野 松井さんがピアノを弾いたり、いろんなアレンジとかもしてくれて
Navi あのチャリティーコンサートはいろんな分野の方ですね
内野 あとはインストルメンタルの方たちがいろんな楽器が出て、何グループぐらい出たんだろう6グループだったかな、ボーカルが4人だとそのインストゥルメンタルサックスであり、1人ね15分の持ち時間だったかな、
Navi なんかすごいいわゆるオムニバスみたいなね、
内野 演歌ポップスありね。
Navi その中でも異彩を放ってたっていうのはやっぱり内野さん。
内野 そうですか。
Navi だってあの時行った人が「聞けてよかった」って言ってました。
内野 嬉しいそう言っていただくと、
Navi そこはきっかけとしてこれから、内野さんの歌を聴きたいと思っちゃうんですけど
内野 はい、ありがとうございます
Navi 私も実際に本当にその巣ごもりの上の何でしたっけ
内野 コルドバ
Navi コルドバに行って狭い会場でだったんですけど。よかったです。
内野 ありがとうございます。偶数月の第3日曜日にやっておりますので、
Navi シャンソンを全く知らなかったのに現地の言葉で歌うこともあれば、日本語の歌詞がある。
内野 そうです日本語と原語、私は半分半分かなって。うん、やっぱり原語で聞きたいって方もいらっしゃるし、訳わかんないからは日本語にしてっていう方もいらっしゃるので、中庸を取りまして、フランス語で歌ったり日本語で歌ったり曲によってなんですけどね。変えて歌ってます。
Navi だからそこが内野さんの原点のような気がして、
内野 ありがとうございます。
Navi 自分の趣味につっぱしらない。だからといって何か全部みんなOKよみたいな感じでもないじゃないですか。そこがなんか内野さんの原点にありまして、だからスタイルはきちっと思ってるけど、聞いてる人は、「聞いてる?」っていう様子を見ながら一体となる表情ですが惹かれます。コンサート行ったときにまさに小学校のときの内野さんそのものだと思って。だから私は、人を連れて行ったときに安心してね。「どうですか?」歌も素晴らしい歌のその素晴らしさもあるけど人柄というか、自信を持って勧められます。
内野 まあ嬉しい!そんなに褒められちゃってんの
Navi いやいや、だって言った人はみんなそう言ってますよ。
内野 お客様にも私は本当恵まれてるので、
Navi 人柄で今までいろんな人が繋がってっていうのは感じるなと思っています。これからどういうふうに活動したいと思いますか?私達はもう歳だから
内野 まだ若いじゃないですか。これからこれから
Navi あと何年かなって思ったときに、どういう活動を考えてるのかな?聞きたいです。
内野 特にこう言うっていうのはないんですけど、歌い続けていけたらいいかなと思ってます。特にあのシャンソンだと、その歳なりに歌えばいいっていう部分がとても大きいので何のジャンルでもそうなんでしょうけど、
Navi その年なりに歌うって?
内野 やっぱり若いときの歌と歳をとったときの歌って違うと思うんですよ。もちろんそれはクラシックにしろ、ジャズにしろ何でもそうなんでしょうけども、シャンソンって割と歌う人になんて責任っていうんじゃないけど、任されてる部分が多いので、若いときに歌った「群衆」と今の「群衆」とは多分、多分絶対違うと思って自分で聞いても違うなと思うので、うんその歳なりの歌が歌えたらなんて、かっこいいこと言っちゃいましたね。
Navi それこそね若いときの、歌と人間が変わって、歌うわけでしょだから声の質も変わればそうですねなんか歌い方も変わるわけですよ。
内野 シャンソンの面白いとこってやっぱりね、歌う人によって同じ曲でも本当に違って聞こえるんですよ。同じ人間でもその日によって多分違うと思うので「毎日同じ歌が歌えるのはどうかと思う」って、うちの師匠は言ってましたんで
Navi そこか!だから駄目なんですね同じだったら
内野 駄目ってなんでしょうかねどうなんでしょう。プロでやってるには同じものが同じクオリティのものが出せないとプロとプロとは言えないんでしょうけれども、
Navi でも同じようなんじゃ駄目ってことですね
内野 なんでしょうね、そのときの自分が出せ、だから変な話でちょっとおかしい話だけども修業時代にね、声が出なくなるときあるじゃないですか風邪をひいたとか人間だから、そしたら、「いいんだ、出ないときは出ないときは出ないように歌えばいい」と「生きざまを歌ってるんだから」って師匠に言われました。かっこいいね
Navi 昔高い声がが出ないときのけんちゃんが、一生懸命で歌ってたのをみて感動していたんだ。
内野 まあ嬉しいです。
Navi だから今声が出ないときに調子が悪いとき間で声が出ない。歌ってたら絶対もう泣いちゃうかも
内野 嬉しいですね
Navi そういう生きざまって言っちゃあれですけどでも表情もそうかもしれないんですけど。やっぱり何かが出てきますよ。選曲とかもそうですか?
ね。
内野 やっぱりこの選曲でとか、出ないときとかやっぱりちょっと張り上げないものでもやっぱりライブっていうとある程度の曲数を歌わなきゃいけないので、やっぱり張る歌も入れないといけないのでそのときはやっぱりそこはほら、テクニックで
Navi さすが、聞いてて思ったのは、さっきのその洪水の歌っていう歌詞の内容を説明したいんですけどね、洪水で全部流れてしまった家が、それはもう明日からはまた、前を向いてがんばろうっていう内容なんですよ。だからそれがちょうど能登の災害とかこれから災害があったときのことがあって、ああいうときにみんなが落ち込んでるときにね、被災地で謙ちゃんが歌ったらもうみんな人が立ち上がれるような気がして、そのシチュエーションを勝手に描いていました。
内野 嬉しいです。
Navi なにかやってもすべてが駄目になっちゃうことってよくあるじゃないですか。そのときに、私なんかほらそういうことができないから「なんか気にすんなよ」とか「次頑張ろう」とか、なんか軽々しいんですよ。それでも「そういうふうに言ってもらって嬉しいです」っていう人いるじゃないすか、言葉で、でもそこで音楽に乗ってああいう素敵な歌詞でそして素敵な声で歌われてたらたくさんの人たちを救えると思います。
内野 嬉しいです。
Navi 災害が起こって欲しくないんだけれども、みんなが困ってるときに救えるのが内野謙さん。
内野 ありがとうございます。
Navi 熊谷がピンチのときに救って頂けたら。
内野 ないことを願ってますが、
Navi そうだけど 私はコルドバに来てほしい。最近はコルドバがほとんどですか?
内野 そうですね毎回
Navi コルドバで毎回歌わないと思うんですけど
内野 歌わないですね
Navi そうだけど当たったらね。洪水の歌じゃなくて何でしたっけ、
内野 「悲しみの終わりに」
Navi 本当に忘れられないです。
内野 ありがとうございます。
Navi 最近の告知をしてもらっていいですか?一番直近のコンサート
内野 6月15日かな、
Navi もう売り切れてるんですよね。
内野 いやそんなことないですよ。コルドバで、午後2時半6時半と2回公演いたしますので、よろしかったら。BARすごもりの方に問い合わせてください。
Navi 問い合わせはBARすごもりさんでいいかな、あとインスタとかにも出てますよね。
内野 そうですね。私そういうのやってないので
Navi 松井さんとか他の人がやってくれるかそういうのを見て
内野 ピアノは松井くんにお願いしているので
Navi あの会場の雰囲気がまたいいですよね、
内野 なんかね和やかでいいですよね
Navi 和やかにしてるんじゃないですか?
内野 皆さんいい方ばっかり。
Navi 集まる人が期待してますよ。嬉しいですもんね。大きい会場っていうのを考えたらいいんですか
内野 機会はあんまり考えてないですねお話いただければやりますので。
Navi そうですか。例えばさくらめいととか「人がいっぱいいるところでやって」って言ったら?
内野 やりますよ。私は大きいとこでも大丈夫だと思うんですけど、大きいところの方が楽かもなと思って、狭いとお客さんすぐそばでしょ。大きいとこだったらやっぱり程度距離感があるので、人が集まってるところでも全然大丈夫です。
Navi だから、なんかそういう夢の光景を描きたいです。さくらめいとのたくさんの人がいるところで、内野さんの歌っているのを見てみたいです。
内野 そのときはよろしくお願いいたします。
Navi あっという間に時間なっちゃったんですけども
内野 そうですね
Navi そう内野さんにまたいろいろお願いしたい。
内野 ぜひぜひ参りますので、
Navi 一緒に何かやっちゃいますか?
内野 よろしくお願いします
Navi ということで今日はですね。熊谷が生んだシャンソン歌手内野謙さんに来ていただきました。ありがとうございました。
内野 ありがとうございました。
熊谷出身のシャンソン歌手内野謙さんをゲストに迎えたラジオ番組
⏰月曜日 2025.05.12 11:59 · 52mins
AI要約
要約
このインタビューでは主に、熊谷出身のシャンソン歌手・内野謙氏の音楽人生と活動について語られました。内野氏は小学校2年生の頃から民謡を始め、高校時代にはシャンソンに興味を持ち始めました。大学では音楽を専攻し、その後40年以上にわたり熊谷を拠点にシャンソン歌手として活動を続けています。特に印象的なのは、銀巴里でのオーディション合格や、渋谷での5年間の修行期間、そして熊谷での定期的なライブ活動です。インタビュアーの関根氏は内野氏の小学校からの同級生で、二人は昔の思い出や内野氏の音楽活動の変遷について和やかに語り合いました。内野氏は現在も熊谷市内のライブハウス「コルドバ」で定期的に公演を行っており、フランス語と日本語の両方でシャンソンを歌い続けています。また、インタビューでは音楽表現の深さや、シャンソンを通じた感情表現の重要性についても語られ、内野氏の音楽に対する真摯な姿勢が印象的でした。
Q&A
Q: 内野さんの音楽活動のきっかけは何だったのですか?
A: 小学校2年生の時に声が出なくなる症状があり、同級生の女の子に民謡を習うことを勧められたのがきっかけでした。
Q: シャンソンとの出会いはいつですか?
A: 高校時代に金子ゆかりさんというシャンソン歌手のカセットテープを聴いたことがきっかけでした。
Q: なぜずっと熊谷で活動を続けているのですか?
A: 熊谷は居心地が良く、ここで音楽活動を続けることで多くの方々との繋がりができ、支えられてきたからです。
Q: シャンソンを歌う上で大切にしていることは何ですか?
A: その時々の自分の状態や年齢に応じた表現を大切にしています。同じ曲でも、若い時と今では歌い方が違ってきます。
行動項目
内野氏は6月15日にコルドバで2回公演(2時半と6時半)を予定していることを発表。
関根氏はさくらめいとでの大規模コンサートの可能性について提案。
内野氏は今後も定期的に第3日曜日にコルドバでの公演を継続することを表明。
内野氏は10月に予定されている発表会への出演を予定。
松井氏とのピアノ共演による新しいステージの展開を検討。
内野氏は熊谷を拠点としながら、様々な場所での公演活動を継続することを表明。