
さて4月21日のFMクマガヤ やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語は? 第29回 「僕らがつなぐ物語誕生」です。テーマ曲誕生の物語です。これは石原小の150周年記念ソングです。オリジナルのこの曲が誕生するまで、いろいろな方にお世話になりました。石原小学校関係者の方々だけでなく、親しんでいただきたい大好きな曲です。ゲストには 作詞作曲のシンガーソングライター有梨さん アレンジをしていただいたComodeの松井清さん そして、すべてをコーディネートしてくださった フジクラ楽器の藤倉久典さんにきていただきます。どうぞお楽しみに!
AInottaによる文字起こし
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。梅林堂を提供やわらか熊谷僕らがつなぐ物語 第29回ということで、今日は僕らがつなぐ物語誕生ということで進めていきたいと思います。今日はすごいメンバーが集まっておりますので、ご紹介します。僕らがつなぐ物語っていう曲は石原小学校の150周年ソングなんです。この歌ができたお話なんですけど、150周年ソングを作って、そして歌っていただいているシンガーソングライターの有梨さんです。こんにちは。
有梨 こんにちは、よろしくお願いします。もう、あの感激です。曲がかかって、ラジオが毎週放送されているということが、ありがとうございます。
Navi そして、この曲をアレンジしていただいた方です。熊谷の音楽シーンをつかさどる、なんか「熊谷のバッハ」って言われてるらしい
松井 バッハはもういい加減やめていただきたい(笑)
Navi 松井清さん!株式会社comodeでしたっけ。
松井 いやちがいます。
Navi Comodeっていう音楽集団ですよね。これ説明を後でしてもらえますか?
松井 はい。
Navi ということでComodeの松井清さんです。こんにちは。
松井 よろしくお願いします。
Navi よろしくお願いします。そして、この曲が生まれたのは、この方がいなければできなかったという方です。石原小学校区に店を構えております。フジクラ楽器社長藤倉久典さんです。
藤倉 よろしくお願いします。
Navi 今日はこの3人に来ていただきましたけれど、もまず、1人1人どういう方かっていうのを、うかがっていきます。まず有梨さん、シンガーソングライターということで、最近まで、ベトナムで何かライブ活動してたんですか。
有梨 ライブ活動というとずっとベトナムにいたような感じになっちゃうんですけど、年に2回ほど行かせていただいています。きっかけがありまして、以前にライブ活動の一環で自分の曲をCD作って販売してたんですけど。手に取っていただいたお1人の方が、気に入って、この曲を「もっと広めていきたい」と言ってくださったんです。その方がお仕事でベトナムに行かれた際に、ベトナムの方に私のCDを渡してくださったんですよ。ベトナムで受け取ってくださった方は、気に入ってくださって。ご自身でやられている日本に技能実習生に日本語を教えるような学校で、日本語の校歌を作ってベトナム人に「日本語で歌ってもらいたいな」っていうことをおっしゃっていました。わたしの「白いクレヨン」というCDを聞いてくださったその方が、それを実現しようと私をベトナムに招待してくださったんです。そこで現場を見て校歌を作らせていただいたんです。初めて行ったのは2018年かな。それ以来、今では年に2回その当時、CDを気に入ってくださったお客様と一緒に行かせていただいて、ライブをしたり、皆さんと一緒に校歌を歌ったりっていうことをさせてもらってます。
Navi なるほど。そのベトナムの方と私は同じ気持ちです。ラジオ聞いてる方に、言い足りないことが一つありました。「ナビゲーターは関根達郎です。」って言ってませんでした。私は石原小学校の校長だったんですけど。辞めて今ナビゲーターやってるんです。ベトナムの方と同じ気持ちで「白いクレヨン」っていう曲を聞いて、記念ソングを有梨さんにお願いしようかなっていうふうに思いました。あと有梨さん普段は川越とかその辺でライブをされてるってことみたいですが。
有梨 そうですね。今ちょっとあんまりライブハウスとかでの活動をそんなにしてなくて、ライブ配信アプリとかでやってることが多いんですけど、ライブハウスでも時々活動したりしてます。
Navi はい、ありがとうございます。そして今度は、バッハじゃなくて何でしたっけComodeの松井さん、すいません。バッハを使っちゃって、
松井 もうバッハは、、
Navi やめます。
松井 返事しませんから
藤倉 じゃモーツアルトにしたら
松井 似たりよったりですから
Navi わかりました。松井さんは、それくらい熊谷の音楽をつかさどっていることなんですけど、松井さん普段どんな活動されていますか?
松井 Comodeっていうのは僕、基本的には個人で仕事をしていて、その屋号っていうんですかね、言ってみれば、会社で言えば会社名になるんですけど、がComodeといいます。食べて飲んで生の音楽を楽しんでいただくみたいな居酒屋さんカフェレストラン、回転ずしでもやったことあるんですけど、そういったところで美味しいもん食べてお酒飲んで、生の音楽をみたいなのを企画して、イベントをやらせていただいています。僕もプレーヤーとしてベース弾いたり、ピアノ弾いたり、ピアニカ吹いてみたいなこともやっております。
Navi また後で活動を告知していただいたりするかもしれないんですけど、
松井 よろしくお願いします。
Navi そしてフジクラ楽器の藤倉さん。
藤倉 もう文字通り楽器をやっております。それ以上言いようがないからね。
Navi 藤倉さんに出会ったのは実は中学校。
藤倉 先輩ですね。
Navi 部活のバレー部の
藤倉 バレー部の先輩で、私は我々の後輩です。踊るバレエじゃないんです。バレーボール
Navi 富士見中のバレー部に入ってましたので、その節は本当にいろいろすいませんでしたね。
松井 なにがあったのですか?
藤倉 昔は先輩、後輩ってすごかったですからね。上の先輩っていうのは、うざいわけですよ。本当は神ですよね。言ってみれば、存在感はうざいっていうかね。
Navi いろいろあります。先輩後輩のそういうのと、石原小学校に校長で来て、うちわ祭りの関係者の方と連携しようって思ったら、なんと石原区の総代長が藤倉さんと聞いて、「あのバレー部の後輩の藤倉か?」とかって思っちゃったんです。
藤倉 そんな藤倉です。すいません
Navi そうして藤倉さんに挨拶に行ったら、あまりに立派になってたので、びっくりしました。本当に中学生ぶりだったんですよね。
藤倉 そうですね。
Navi 立派になって本当に社長っていう感じがするじゃないですか。
松井 見るからに、
Navi 総代長って言ったら本当に立派な役職なんで「お世話になります」とあいさつしました。地元石原小学校区にある楽器屋さん、フジクラ楽器はさんは、私中学校のときによくお邪魔してた場所なのです。
藤倉 その頃はまだ本町にあってね、
Navi そうですね、宇宙戦艦ヤマトの第二艦橋みたいなつくりでそこはもうかっこよくて。今も楽器屋さんのとしてお世話になっています。学校ではリコーダー教室とかそういうのでお世話になってるんです。曲ができたきっかけっていう話に行く前に、ここで曲に行きたいと思います。先ほど出てきたベトナムの方も聞いて、私も聞いて校歌をお願いしたいというルーツになった曲なんですけども、有梨さんの「白いクレヨン」をかけたいと思います。皆さん聞いてください。
【 曲 白いクレヨン 有梨】
Navi 時刻は12時14分を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りしております。月曜のお昼は梅林堂やわらか熊谷僕らがつなぐ物語。今日は、第29回「僕らがつなぐ物語誕生」ということでお届けしています。シンガーソングライターの有梨さん、そして松井清さん、藤倉久典さんに来ていただいてます。よろしくお願いします。お便りが来てるので読みますね。ラジオネーム 煮炊き(にたき)さん、「関根さんスタッフの皆様こんにちは有梨さんがゲストと知り、急いでFMクマガヤ聞けるアプリをダウンロードしました。有梨さんの僕らがつなぐ物語大好きな曲です。いつか生で聞きたいです。by岐阜県民」ということでありがとうございます。
有梨 岐阜の方はですね、ライブ配信アプリのビゴライブっていうアプリで弾き語りの演奏メインに配信してるんですけど、その配信をよく聞いてくださっている方で、全国からライブ配信アプリって聞いていただけるから、すごいですよね。熊谷のラジオが岐阜でも流れる。
Navi そうですよね。皆さんぜひぜひ岐阜の方を聞いていけたらと思いますが、前は曲ができたきっかけっていうことからお話していきたいと思うんですけど、2022年コロナ禍真っ只中の1月ぐらいから話があったのです。150周年、石原小学校だけじゃなくて西小学校も東小学校も150周年。150周年目の小学校の熊谷でいうとその辺みんな10校ぐらいあったんですね。そこで、どうしようかっていうふうに考えたときに、記念ソングを作るということで考えたんです。西小学校もさくまひできさんっていう方が「にこにこにっしー」っていう曲を・・・
藤倉 そうでしたね。はい。
Navi なんかそういう話があったんですね。
松井 あまり言えないです。
Navi だから同時に西小はもしかしたら作るんじゃないかと思ってたんですけど、その情報はわからなかった。
藤倉 西小は母校じゃないですか。
Navi そうなんですけど西小なら作るだろうと思って、石原小も絶対負けずに作ろうと思っていまいた。西小の状況は、わかんなかったんです。情報なかったんですけどでも、さくまひできさんだったんですね。
松井 逆に西小の関係者から「石原小作ってんの?」とか「どんな曲」っていうか、探りを入れられてまして
Navi そうだったんですか
松井 教えなかったですけど、
Navi その時には、「誰に作るのを頼むか」「どんな曲を作るか」っていうことを考えてたんですけど、子供たちが歌ったり、応援歌になったりするような曲になってほしくて、学校名が入ってなくて、どこでも流せるような曲、そして耳に残る曲がいいかなっていう漠然と考えていました。自分で作るのはちょっととても無理だなと思ったのでシンガーソングライターをさがしました。コロナ禍で配信アプリSHOWROOMっていうところでいろいろ見てたら、有梨さんがライブをやってて、
有梨 私が今やっている配信アプリのビゴライブの前にやってたのがSHOWROOM。
Navi そこで、見つけてこの方のあの学校の先生もやったことあるんですよね。有梨さんです。
有梨 そうですね。
Navi 音楽の先生。
松井 歯切れが悪いですね。
有梨 何年経つかなっていう。
Navi 有梨さんは、書道が得意で歌も得意っていうまさに学校の先生のキャラというか。それで「白いクレヨン」っていう曲がとってもいい曲だったんです。「白いクレヨン」という曲は、白いクレヨンには出番がない。そして寂しかったけどそれが取り上げられるときがきてというストーリーがあり、いろいろな人を大切にしている歌だったんです。それで密かにということでお願いをして、その後いろいろ固めていったんですけど、曲を作るっていうのは簡単じゃないですよね。150周年式典が7月にあるはずなのに、1月ぐらいにお願いしたんですよね。「作ってください」ってお願いして、「何月ぐらいですか」って言うから、「2月か3月ぐらいにはって言ってお願いします」って言ったんですけどそうは簡単にできないですよね。
有梨 いや簡単にできる人はできるんだと思うんですけど、私はなかなかちょっと力及ばず、
Navi 石原小学校の子供たちから歌詞を集めたんです。「どういう歌詞がいい?」いろんな子供の思いを、校長室の前に歌詞のボックスを作って、みんなに放り込んでもらいました。50人ぐらいの方からいただいたんですよね。
有梨 そうですね
Navi それを有梨さんにバサッと渡して、「これでお願いします。歌詞も全部作ってください」って言って全部作っていただいたんですよね
有梨 あーそうですね。どのように作ろうかなって思っていろんなやり方があると思うんですけど、誰か1人のやつを選んで、それを元にするとか、いろんな考えがあったと思うんですけど、何か皆さんの言葉を見てたら、本当に短い言葉でも箇条書きで思いを連ねてくれた方もいれば、歌みたいにも「一番はここは四分休符」とか、
松井 そこまであった?
有梨 3番ぐらいまで、本当に一つの歌にもなってるんじゃないかっていうぐらい考えてくれてる方もいて、「どれも素敵だな」っていうふうに思ったので、できるだけ皆さんの中から、これは「いいな」って思った言葉を集めさせてもらってそれを形にしたっていう感じですね。
Navi そうですね。4月ぐらいに何とかできて、デモテープみたいのを、私がいただいて、本当にそれをもらったら感動して、頭の中はもう本番に行ってて、「本番はフルバンドで演奏して、そして有梨さんが歌って」みたいな光景を勝手に描いていて、子供たちも先生方も全然知らないうちに出来上がっていて、1人で喜んで、当時の教頭先生に一緒に聞いてもらって「いいですね」って言って盛り上がっていたんですが、ここからですね。
藤倉 そうですね。ここからですよね
Navi ここからもう時間がほとんどない中で5月の終わりぐらいですか。
藤倉 ゴールデンウィーク明け明けぐらいですかね。
Navi 困りに困ったんですよ。これをバンドでちゃんとした演奏にするにはどうしたらいいかっていうのを考えたときにもう、全然思いつかなくてどうしたらいいんだろうって、思って浮かんだのがフジクラ楽器さん。
藤倉 はい。
Navi 「いた!ここに!」って思いました。
藤倉 関根先輩が私のことを「藤倉さん」って、いつも「藤倉!」のはずなのに、「藤倉さん」ってこれ何かあると
松井 なるほどね。これは何かあると。
有梨 後輩ですもんね。
藤倉 そのときに「これは何かあるな」と
松井 後輩ですもんね。
Navi もうここに頼むしかないと思って、時間もないし、誰もいないっていうときに浮かんだ藤倉さん!この人しかいない!素晴らしい後輩がいた。
藤倉 「藤倉さん」って言われたらね、これはやばいなと
松井 怖すぎますね。
藤倉 案の定で7月にお披露目があると、それよりも前に作らなくてはいけないと。しかもバンドでやってほしいっていうお話だったんですね。
Navi はい。だって頭の中もバンドの曲がラグビー場に流れてるイメージがあって、有梨さんの声で、光景だけが浮かんでいるのに、その手段が途中は全然思いつかなくて、実際頼みに行ったのです。ここで私がすごい勉強になったんですよ。藤倉さんにデモテープを聞かせて、こんな曲なんですけど、作ってくださいって言ったら。
有梨 弾き語りの音源ですよね。
松井 ピアノの弾き語りですよね。
Navi それを渡したら、「できません」って言われて。
藤倉 それはできません。
松井 それはできませんでしょう。
Navi 私それを聞いて、「何?できない」と思って。
松井 そもそもデモテープができてから、藤倉さんのとこに連絡が行くまでの間は結構あったってこと?
藤倉 ないんですよね。
Navi もう2、3日ですね。
有梨 ないと思います。
松井 本当にギリギリなんですね。
Navi デモテープができた瞬間に
藤倉 4月の末に多分、届いたんだと思います。
松井 なるほど
Navi でもできて、自分はもう嬉しくて、いろんな人に聞いてもらったりして、もうこれを毎日、車の中でも聞いて出来上がったと思って持っていったら、「駄目」って言うんです。上手くできてるじゃないすか。デモテープがね、藤倉さんどうですかって言ったらね、
藤倉 楽譜はあるんですかって
Navi ないですって言ってね。
有梨 うーんなかったですね。
Navi 「なんとかしてください」といって、「そこで誰かいるんですか」って言ったらうーんって考えてくれて、そこで出てきたのが、、、
藤倉 マツキヨで
Navi 松井清さんだったですよ。石原小学校関係者の皆さん、松井清さんという方を覚えていて、あと藤倉久典さん。素晴らしい人たちでしたね。
藤倉 石原小学校とは関係ないんですけどね。
Navi そうですね。
藤倉 全員そうですね。富士見中だった。松井くんと私は東小学校も一緒。
Navi 私は西小ですけどね。でも石原小愛なんです。私は石原小が大好きで、何としても石原小に記念ソングを作って、思ったときに、松井さんがいるかもしれないって言ったんで
藤倉 はい。
Navi やっぱり素晴らしい人がここにいたって思いましたね。そして、すぐ有梨さんに「楽譜をすぐお願いします、」っていいましたね。
有梨 はい。
Navi 有梨さん困りましたよね。きっと。
有梨 いや、どうだったかな、なんか記憶がないんですけど
松井 いいんですよ。本当のこと言って。
藤倉 本当のこと言って大丈夫。
有梨 いつも正直なところ誰かのためにとか提供するっていう機会は、あんまりなくて、ベトナムの校歌くらいだったので、自分で作る曲は作ってる間に自分の頭の中に残るというか、なので、誰かとやるとか、必要がなければ結構、楽譜は書かないことが多いんですよね。なので、作っていただくにあたって私もピアノを弾いて歌うところまでしかできないので、何か楽器を入れてアレンジというのがちょっと私の方でできないので、作っていただくにあたってはやっぱり楽譜が必要ですよね。
Navi 楽譜は必要なんですね。やっぱり。
松井 はい。
Navi それで無理して、結構私もせっかちなので、もう本当は毎日でも「できましたか?」と聞こうと思ってましたけど、
有梨 「連絡来ちゃうやばい!」みたいな気はしていました。
Navi そして、手書きの楽譜が来て、それが来たときにもう本当に感動しました。「あ、できる!これでできる」とおもいました。どうしようもないですね。
松井 「見えた、見えた!」って感じですね。
Navi そして来た瞬間にすぐ藤倉さんとかに持っていきました。
藤倉 そして、すぐ松井くんに連絡して、
Navi 松井さんどうだったんですか、正直に言ってください。
松井 でも、バンドアレンジって聞いたときに、「こんな感じにしてほしい」って多分ちょっと忘れちゃったんだけど
有梨 あるアーティストのこの曲調のこの感じでどうですかっていうふうに
Navi そこを2人で話が合ったんですね。
有梨 2人だったか。グループラインだったか。
Navi 私はもう最後だけこういうふうに上がる感じで、それだけです。
藤倉 関根先輩からそういう話だったと思いますよ
Navi あ、そうでしたっけ。
松井 なんとかのこういう感じって
有梨 関根さんにいったのかもしれないですけど。アーティストの有名なアーティストのこの曲調がいいですかねって、皆さんに投げたか、関根さんに言ったか。
Navi そうですか。でも自分も最後も手拍子で終わるようにドラムでこうしてああしてって。頭の中に何か浮かんでたんですよね。
松井 そうなんかそれをもらったので、はっきりしてたので方向性が全然そんなに苦労はなくて、
Navi 苦労はないって言った
有梨 でも早かったです。めっちゃ早かったです。
松井 何でもそこは良いって言われると、いろいろ背景を考えないといけないじゃないですか、どういう学校で、有梨さんはどういう方でとか。見ないといけないんだけど、
藤倉 出来上がってるこういう曲調でっていう具体的な指示があったから、
松井 もらったんで全然迷いがないというか、はい、楽でした
藤倉 本当早かったよね。
有梨 すごい早かったんですよ。
Navi すごい早かった、もう2週間か1週間か、そういうレベルだったんですよ。
有梨 藤倉さんにしても松井さんにしても、私からしたら神が2人おりてきたっていう感じなんですよ。
Navi やっぱりそうだったんですね。神だったと思うんですけどっていうか。藤倉さんは神だったんですね。そして松井さんも神だったんですね
松井 あがめなさい。
一同 爆笑
Navi そういう方々のおかげで間に合ったんですね。
有梨 本当にそうです。1人では何もできない。
Navi そしてカラオケみたいなやつが送られてきて、すごい早く送られてきて、もうそれを聞いた瞬間にもう「やったー」って、すごいもう感動して。またずっと車で聞いて、自分も歌ってたんです。そして有梨さんに、今度「歌を入れてください」と、
有梨 うん
Navi またお願いしたんですよね。
有梨 はい。これ歌入れなきゃ駄目だったんですもんね。
Navi これは、離れ技でこの4人が集まらずに作ったんです。全部、空中戦ですよね。もう全部データでやり取りして、
有梨 そう 初めて自分の家で録音というのはたまたまもうこれも録音とかしたことなかったんです。自分では。CD作るときも全部スタジオで知ってる人にお願いしてとかだったので、でも機材を以前にいただいていて、マイクはもう普通のライブで使うSM58っていう、もう本当に録音用ではないんですけど、もう家を締め切って、本当に家の環境で撮るしかなかったので時間もなく、初めてなんとかやりました。
Navi 初めてだったんですか。
有梨 その機械の使い方をちょっとだけ習っていたことがあったのでもうそれで何とか取って、あとはもうお願いすればいいや、松井さんがいると思って。
Navi 本番が7月の9日だったんですけどね。頼んだのは、月の頭ぐらいで。
有梨 そう1回デモテープを作ったのがたぶん6月13日っていうの、最終的に出来上がったのが6月24日。
Navi そうですね。
有梨 だからそのあたりで、毎日家で歌を入れて、防音あるわけではない部屋だったので、るさいって言われるかもしれないからコーラスは小声でもいいやと思って、こうやって入れました。
Navi そうだったんですか。
松井 だから、有梨さんが撮ってくれて送ってくれたものをカラオケに合わせて1回「こんな感じです」関根さんにも送ったら、先走ってデモのやつをどっかで公開してませんでしたか?
藤倉 そうです。そうそう学校で流しちゃったんです。
松井 まだちゃんと歌ったやつじゃないです。
Navi だって「もうできた!」と思ったんです。私はまず、松井さんのそのカラオケが来て、前奏にピアノが入るとこあるじゃないですか。もうあれを聞いたときに、人生で一番ぐらい楽しかったです。
松井 よかった。
藤倉 よかった。よかった。
有梨 最初のピアノのやつとドラムのフィールインが重なってるところがイメージ通りだ。イメージ以上だと思って
松井 よかった。
Navi 途中の伴奏のストリングスの入り方なんかはもう、まるで昔からあったような曲のような感じを受けて。感動しました。とにかくできて、私が聞くとなんでもOKだから、「これでいいんじゃない」って言ったら、藤倉さんにミュージシャンの人はちゃんと納得しないと駄目なんですって言われたんですよ。
藤倉 はい。
Navi 学校の先生ってやっぱり何だろう、常にライブだからそれOKです。何回も撮り直してないからもう1回撮ったらもうこれでいいって思ったら、「やってる本人は納得しないとダメです。」と弟さんと2人でお説教されました。
藤倉 説教したわけじゃありません。プレイヤーに、確認して、ちゃんとした音程じゃなかったりとかっていう箇所があったりすると、やっぱりそれが残っちゃうわけじゃないですか。そういうのは多分嫌なんだろうなっていうのは、想像がつきます。
有梨 いや納得というか、何でしたっけ。あれラジオだったっけ、「今日流します」って言われて流れてきたやつが多分、「最終段階のやつじゃないんだ。この声は」って思って。
Navi その違いがわからない耳だったんですね。
有梨 たぶん、松井さんもわかったかな。
松井 うん。
Navi やっぱりプロは違いますよね
有梨 自分の声だったので
Navi だから藤倉さんに場面場面で「プロの方はこうですからね」っていう話をいただきました。これどっちが先輩かわかんなくなっちゃうけど、それで、私に欠けてることは、そういう「著作者の思い」ということをすごく勉強したんですよ。だから著作者は、ベストを求めてやってるんだなっていうのも勉強になりましたけども、それで有梨さん最後の撮りだってなんか納得してないとか言ってたじゃないですか。
有梨 なんでしたっけ?
Navi 24日にできたやつもなんか「まだちょっと本当はもうちょっと納得してないんだけど」って言ってませんでしたっけ?
有梨 それはもう、曲全体に関しては全然そんなことはなくて、ただ自分も撮るべき環境でないところで録音したので、いずれもう1回、歌だけ撮り直したいと。
Navi それを言ってるから、どこが駄目なのかよくわかんないんですけど、確かに音楽の世界は、すごい奥深いですよね。
有梨 いや、もう本当に松井さんとか繋いでいただいた藤倉さんとかも、その辺に関しては何も不満はないです。言葉が出てこないなんて言ったらいいんですか。そうだ自分のね
藤倉 不満があるって言われても困っちゃう。
Navi だからそれぐらいやっぱり音楽っていうのはね、ちゃんと突き詰めて皆さん本当にプロの方っていうのはすごいんだなって感じました。でも自分はもうとにかく先走ってっていうその言葉です。もうとにかく早くできてもう形を作りたいっていう気持ちです。ギリギリで出来上がって、本番は、歌ってもらったわけですから、録音のところはなくてもよかったんですけれども、でもあのCDがないと皆さんに会場で曲をおとどけできなかったので、間に合ってよかったなって思いました。松井さんあの伴奏1人でやられて?
松井 そうですね。簡単に言えばドラム・ベース・ギター・ピアノみたいな、いわゆるバンドのサウンドで、ギターだけ長谷川駿くんっていうギターとアコースティックギターを弾いてもらって、それ以外は僕が打ち込みって言うんですか。作ってっていう感じなんですよね。
Navi すごいですね。パソコン上に全部これが出てきて、その絵の中に楽器が入ってて、それは少しずつ松井さんが演奏して入れたのですか?
松井 はいそうです
Navi それは録音してってことですか?
松井 録音したり、あとはもうパソコン上で打ち込んでいったりするのですね。全部演奏はしないんですよね。ドラムはもうそういう感じで作っていくんですけど、
藤倉 ギターだけ演奏して録音した。
Navi やっぱりギターは違うんですね。
松井 ギターはなかなかね。打ち込みでその雰囲気でないんですよ。
藤倉 出ないですよね。
Navi 私なんか大丈夫なような気がするんですけど、
藤倉 打ち込みでは駄目なんですよね。やっぱりニュアンスが出ないです
有梨 ちょっとのこの
松井 難しいです。
Navi 3人のプロの方はやっぱり同じ意見ですね。自分のギターを弾くことあるんですけど、打ち込みの方が上手じゃないかなってそうではないんですね。
松井 じゃないんですよ。
Navi さて松井さんは日頃から音楽活動をしているということで、今日は松井さんの秘伝の曲というか、
松井 秘伝の、、、何年前かというと25年物です
Navi 25年物の曲も今日は聞けるということで聞いていただけたらと思うんですが、まだ聞いたことがないので楽しみなんですけども、ちょっとご紹介していただけますか?
松井 僕がもう25年前ですね。だから2000年に制作した当時インストバンド、いわゆる歌がない楽器だけのバンドでサックスがメインでっていう感じのバンドやってたんですけど、それ全部僕のオリジナル曲を僕がアレンジしてメンバー集めてっていうのやってたんですよ。そのときに作ったCDの中から1曲キューブというバンドのソル・エ・マルという曲でございます。
Navi はい、ではお願いします。
【 曲 QUBE SoI e Mal】
時刻は12時40分を回りました。AZ熊谷6階 FMクマガヤからお送りしております。梅林堂提供 やわらか熊谷 僕らがつなぐ物語、第29回僕らがつなぐ物語誕生を、お伝えしています。ここでお便りが届いています。ラジオネーム「いしわらっこ応援団 元団長が団長に」さんからいただきました。「関根さん皆さんこんにちは、150周年の記念式典楽しかったですね。自分にとっても素晴らしい思い出です。今年も卒業生を送り出すとき、僕らがつなぐ物語で送り出しました。石原小学校にとっては大切な曲です。これからも繋いでいけたらいいなと思います。本当にありがとうございました。」ということで、いただきましてありがとうございます。
藤倉・松井 ありがとうございます。
有梨 ありがとうございます。
Navi そうやって皆さんに繋いでいける曲であってほしいなというふうに思って、この番組でも、ずっと流し続けて毎週月曜日、皆さんに聞いていただいて、どっかで聞いたことあるなっていう曲になってくればいいし、私のお葬式のときに、かけていただきたいなと思います。人生の卒業式のときにかけていただけたらと思うぐらいの私は大好きな曲になりました。そして150周年記念式典の本番を迎えて、有梨さんがラグビー場で歌ってくださいました。
有梨 はい。
Navi どうだったですか。
有梨 自分の人生の中で一番多くのお客様といいますか、多くの方を目の前にして歌ったのが、あとにも先にも多分この先もないんじゃないかっていうぐらいも大きな経験をさせていただいて、すごかったですから。
Navi 2500人ぐらいはいたんだと
有梨 そうですね
Navi でもあの会場は2万5000人収容ですから。コロナだからそこでやったんですよ。まさかあそこでできて、いろいろスピーカーなんかもちょっと大変なとこだったです。歌いづらかったと思うんで、もっと皆さんに聞いていただきたいっていうことで今度は秋に突然予定がなかったですけど、学校で文化祭というのもやりました。150周年式典を告知したんですけど「知らなかったよ」って人がいっぱいいたので、後で「学校に来てください」ということでそして浮かんだのはステージでね。
藤倉 はい。しかもバンドで、
松井 生バンドで
Navi またそこで、藤倉さんところに頼みに行っちゃって、だってPAとか言えば、藤倉さんだなと思って、また頼みに行かなくちゃかなと思った。藤倉さんがやっぱり「大丈夫ですよ」って言ってくれるんです。
藤倉 いや、それは先輩に言われると、
Navi 本当、無理言ってるのはもうわかっていながら、お願いしてね。
藤倉 先輩の命令は絶対ですから。
Navi あれ そうでしたか?申し訳ないですけど、それでまた11月に実現できたということだったんです。
藤倉 楽しかったですよね。あれめちゃくちゃ楽しかった。
Navi 素敵でしたね。
松井 初生バンドでね、歌った。
有梨 そうでしたね。僕らがつなぐ物語を初生バンドで歌いました。
Navi なんかリハーサルをくまぴあでして それを見にいかせていただき嬉しかったです。
松井 有梨さんのオリジナルもバンドでやったりしてましたよね。
藤倉 楽しかったですね。うん。
Navi まるまるまる?
松井 まるまるまる。
Navi いい曲です。また後でかけちゃいたいんです。
松井 かけちゃってください。
Navi あのときのPAを、全部ミキサーでやってくださったのがフジクラ楽器さんで、バンドは、Comodeの皆様
松井 そうですね。
Navi どうですか。体育館でやるのは?
松井 もう文化祭やってるような、ちょっと懐かしさもあり、楽しいですね。
藤倉 やっぱり体育館のステージですからね、やっぱり文化祭ですよね。
松井 PAがいてくれるんで、やりやすかったですし、たのしかったです。
Navi そうですね。次々にお願いして、実現していくので本当に改めて3人の感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
松井 こちらこそ。
藤倉 楽しかった。
有梨 楽しかった。
Navi これがきっかけで、みなさんにも何かが始まればいいかなって思っていて、有梨さんはその後もライブで結構歌ってくださってるんですよね。
有梨 もうこんなに、学校に送った曲といいますか、自分の手から離れると思っていた曲を、こんなに自分が歌わせていただくとは思っていなくて、先ほどもお手紙もいただきましたけど、「大好きな曲です」って言っていただいて、それは本当に自分の力だけではなくて、繋いでいただいたりとか本当アレンジをしていただいたりとかあってのことなんですけど、でも本当にこの僕らがつなぐ物語を通して思うのは、関根さんの熱意、それが実現する
藤倉 一番の原動力ですよね
有梨 実現させるっていう熱意と行動力がもう半端なく素晴らしいなってずっと思っていました。
Navi そうでしたか。
松井 やるって言う人がいなければ始まらないじゃないですか
有梨 いないですからこういうことやるっていう人、
Navi いやいや
松井 変な人扱いです。
Navi それでもいいんですけど、何か皆さんの心に残ってくださったり、あとは、フジクラ楽器さんがもっと栄えていただいたり 有梨さんが有名になってもらって、松井さんをもっと皆さんに知っていただくっていうことがあってほしいです。思っていた曲ができて、かけ続ければ何かがあるかなと思っています。そういうもんかなと思ってやっぱり学校の歌とかね効果とかみんな歌い続けるからみんなの心の中に染みて、1回やって、ラジオもそうなんすけど、消えちゃうのは嫌だからなるべく印象に残るっていうこと。ですから何かこの曲をきっかけに皆さんにとってもプラスがあればっていうことが一つです。ここでまたおたよりをラジオネーム石井姉妹の妹さんからいただきました。「関根先生、松井さん有梨さん、藤倉さん、こんにちは。150周年ソング、子供たちが踊りながら歌ってましたね。あの年に市内の音楽会で子供のクラスが「僕らがつなぐ物語」を歌うと決まり、ピアノが弾けるということで、子供が伴奏楽譜を持ち帰ってきました。しかし手書きの楽譜には前奏がついておらず、私が必死で音源を聞きながら、なんちゃって楽譜を起こしたのは懐かしいです。」なんかこういうこの方もちょっとここに1枚噛んでますね。石井姉妹の妹さんからいただきました。
有梨 そうですね。ラジオの方ですね。
Navi はいそうですね。
有梨 そうだ1年目のやつはそうでしたね。
Navi 2年目から違うんですね。
有梨 2年目からは書いたと思います
Navi そういうことで皆さんにご苦労をかけてしまっているということたくさんの人の手で本当に実現できたってことは素晴らしいと思いました。それではもう時間がだんだん迫ってきていますので、告知をちょっとしていただけると有梨さんさん最近の告知ありますか。
有梨 ちょっと直近のライブ告知とかまたXとかでやらせていただくんですけど、ビゴライブっていう配信アプリをやっています。
Navi ぜひ興味のある方はビゴライブだそうです。有梨さんは配信してるいます。では松井さんお願いします。
松井 Comodeライブパーティーというのが、月1ぐらいで居酒屋さんカフェでやっております。一番近いところだと5月の18日熊谷のRunny Armsというアイリッシュパブで、ギターキーボードベース、パーカッションというちょっとテクニシャンが集まるんで、楽しみな会でございます。席も残り少なくなっておりますので、よろしくお願いします。それから5月11日に歌声喫茶みたいなのを始めまして、5月11日日曜日午後あります.。その情報は「Comode」で検索していただくとXインスタグラムFacebookなども出てきますので、そちらで詳しくチェックしていただければと思います。よろしくお願いします。
Navi 藤倉さん、告知は?
藤倉 別にないんですよ。
Navi なんかほら、スタジオで何かやってるじゃないですか、音楽教室。
藤倉、今、ドラム教室がねめちゃくちゃ人気になってまして、曜日も増やしていますね。
Navi 小学生がやってもいいんですか。
藤倉 もう小学校上がる前の方から、70過ぎの方までいろいろいらっしゃいますね。めちゃくちゃ人気です。
Navi そうですか藤倉楽器のドラム教室も
藤倉 ぜひぜひインターネットで検索していただければと思います。
Navi ということで皆さんの告知も終わりましたところでいきますか。皆様大変お待たせいたしました。石原小学校150周年ソングであり、このやわらか熊谷のこのテーマソングでもあります。みんなで言ってもらえますか
一同 僕らがつなぐ物語!
【曲 僕らがつなぐ物語 有梨】
熊谷FMラジオで「僕らがつなぐ物語」の誕生秘話を語る
⏰月曜日 2025.04.21 12:00 · 51mins
AI要約
この会議では、「僕らがつなぐ物語」という石原小学校150周年記念ソングの制作過程について詳しく議論されました。
関根氏は、2022年1月頃から150周年記念ソングの制作を企画し、シンガーソングライターの有梨さんに作曲を依頼しました。由利さんは、学校の子供たちから集めた約50人分の歌詞案をもとに楽曲を制作しました。
松井清氏は、楽曲のアレンジを担当し、ドラム、ベース、ギター、ピアノなどのバンドサウンドを制作。ギターパートは長谷川駿氏が演奏を担当しました。
藤倉久典氏(フジクラ楽器社長)は、音響機材の提供やPA作業を担当し、学校での演奏会実現に大きく貢献しました。
2022年7月9日の150周年記念式典では、ラグビー場で約2,500人の観客の前で初披露され、11月には学校の文化祭でバンド演奏による生演奏も実現しました。
現在も学校の卒業式や様々な場面で歌われ続けており、地域に愛される楽曲となっています。
チャプター
150周年記念ソングの企画開始
関根氏が2022年1月から石原小学校の150周年記念ソング制作を企画。子供たちから約50人分の歌詞案を集め、有梨さんに作曲を依頼。
楽曲制作とアレンジの過程
松井清氏がバンドアレンジを担当し、ドラム、ベース、ピアノなどを制作。ギターパートは長谷川駿氏が演奏を担当。
記念式典での初披露
2022年7月9日、ラグビー場で約2,500人の観客の前で初披露。有梨さんにとって最大規模の観客の前でのパフォーマンスとなった。
文化祭での生バンド演奏
11月の文化祭で、フジクラ楽器の音響機材とPAサポートにより、バンドでの生演奏を実現。
行動項目
有梨さんは、ビゴライブという配信アプリでライブ配信を継続的に実施することを発表。松井清氏は、5月18日に熊谷のThe Roonyarmsでライブパーティーを開催予定。
松井清氏は、5月11日に歌声パーティの開催を予定。
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