FMクマガヤ 梅林堂提供 やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~ 10月14日(月)放送分より 12:00~12:54 

ナビゲーター関根達郎 ミキサー 須永公人 テーマ 有梨「僕らがつなぐ物語」

Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階F  MクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。この番組は やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~です。ナビゲーターは関根達郎がお届けいたします。さあ今日は、豪華なゲストが来ております。石井姉妹のお2人です。

石井姉妹 こんにちは、石井姉妹です。

Navi  石井姉妹と言っても、今の名字は石井さんじゃなくて、おひとりは唐崎瑞穂(からさきみずほ)さん、そして戎居見世子(えびすいみよこ)さんということになっております。では1人ずつ、紹介していきたいと思います。戎居さんがお姉さんですね

戎居(えびすい) 初めまして石井姉妹の姉こと戎居見世子と申します。私は熊谷生まれではありませんで、よそ者なんですけれども結婚と同時に熊谷にきました。旧姓石井です。

Navi どちらのご出身なんですか。

戎居 私は生まれは愛知なんですが育ったのが千葉なんです、

Navi そうですか こちらに来たのは何年前ぐらいなりますか?

戎居 もう18年ぐらいになります。今はですね 石原なんですけれども東漸寺(とうぜんじ)さんという有名なお寺の門前通りに暮らしております。

Navi ただの戎居さんじゃなくて、若松若太夫研究家ということでお越しいただきました。

戎居 その肩書きにちょっとのけぞったんですけれども、若松若太夫という方と、何かご縁を感じるところがありまして今日はお話をさせていただきます。

Navi もう1人は本石町が誇るデザイナー唐崎瑞穂さんです。よろしくお願いします。

唐崎 私も本石町が誇るというところで 姉と同様のけぞりましたが、本石に結婚して子供が生まれてから引っ越してきて、もう10年ぐらい住んでおりますが、私は熊谷高校のある大原という地区で生まれて熊谷生まれ熊谷育ちでございます。石原小学校で、大原中学校です。私も旧姓石井です。

Navi 唐崎さんなんか過去にいろんなことをやってますけど教えてください。

唐崎 そうですね。今日もお便りでもいただいてますけど、「熊谷帖」という五家宝のお店を全部調べて、全部食べ比べをして1冊の冊子を作ったことがあります。他にもコロナ禍の時息子が石原小に通っていて遠足に行けなくなったことがありました。バスに乗れないというのではい、それだったらこの地元の本石に結構面白いところがいっぱいあるので、歩きに来たらどうかと先生にお手紙をかきました。それが公民館や石原小学校の2年生相手に地元案内したり、地図を作ったりとかにつながってそんな感じで活動しております。かなり地元に詳しくなってしまいました。

1 若松若太夫の話

Navi まず私が気になってるのは、今回お姉さんの戎居さんから若松若太夫という名前が出てきました。熊谷と何か関係あるんですか?。

唐崎 そうなんです。戎居さんのおうちの前に一つの石碑がありました。

 戎居 そうなんですよ ちょっとね「研究家」なんて言われると、本当冗談でしょって感じなんですけども、先ほどちょっとご縁を感じると言いましたが、若大夫について調べるきっかけというのが私の住まいは東漸寺さんの門前通りなんですけれども、家の目の前の空き地に小さい石碑がありましてね。本当に小さいんです。厚みが6センチぐらいしかない薄い小さい石碑なんですけれども、そこに何やら文字が彫ってありまして愛馬何とかの墓みたいな、ちょっと真ん中が1回折れてしまってセメントが補修で塗ってありまして読めない字があったんです。名前が若松●太夫 建立っていう文字だけが読めまして。なんか愛馬っていうのがすごい愛情感じますし、何々太夫っていうのが何者なんだろうと思いまして、ずっと気になっていたんですけれども、手がかりがなかなかつかめませんでした。たまたま地主の松崎さんっていう方がその空き地の草刈に見えたときにチャンスと思って、この石碑は何?どなたのものなんでしょうかなんて聞いたらそこでちょっと簡単にお話を伺うことができまして、かつてこのあたりに当時全国的にも名を馳せていた若松若太夫という説経浄瑠璃の名人がいてとなりまして、、、。

Navi 説教浄瑠璃ってなんですか?

戎居 元々は中世とか、かなり昔から残ったもので、説教の「経」というのはお経の経なんですけれども、仏教とかをみんなにわかりやすく歌って聞かせてわからせるみたいなそういう目的で起こった芸能らしいんです。それがどんどんいろいろ変遷して庶民が娯楽として楽しむような時代があったようです。

Navi はい、すごいですよね、説経浄瑠璃の発祥が熊谷の出身の方ということですか?

戎居 発祥はもっと他にいらっしゃるんですが、私も詳しいことははっきりとはまだわからないんですけれども、その若松若太夫という方がその説経節というジャンルにおいて明治から昭和にかけて間違いなく大切な存在で、レコードをとてもたくさん吹き込んでらっしゃるんです。それでプロとして説経節で食べていたっていう、とても稀有な存在だったようです。

Navi 説経節って何かって思いました。よくお説教とか言うけどもその説教、私もちょっとだけ今回このお話をいただいたときにYouTubeとかで見たり聞いたりしたら、いやあ、なかなか趣のあるやつでしたね。本当に浄瑠璃っていう言葉がありますが三味線を弾いて延々1人の方が40分ぐらいずっとやってたのです。

戎居 そうですね本当演目によってね。情けの芸能っていうか。

Navi もしラジオお聞きの方に伝えるとしたら説経節でよろしいですかね。

戎居 そうですねYouTubeでちょっと音質がSP版から起こしたりしてよくないんですが、初代の芸を聞くことはできます。

Navi 皆さんが楽しみにしている芸能だったということでよろしいですかね。若松若太夫さんは、熊谷市出身ということだったんですね。

戎居 はい。しかも調べていて分かったのですが、今年は生誕150周年で、今週10月17日がお誕生日でした!

Navi わお!ここで曲をちょっと,リクエストをお願いしたいと思うんですけど

戎居 はい。若松さん、本名は松崎という方なんですが、農家だったので馬が、2頭ぐらい家にいたらしいんですね。それもあって少年時代から本当に馬が大好きで大好きで,せがんで馬を買ってもらったらしいんです。なんでも埼玉県令の白根多助の馬だったそうなのですが、それがうちの前に墓石がある「小勇(こいさみ)」という栗毛の馬だったということで今日はこの曲を、お願いします。

Navi はい。ということでお届けします「三橋道也 達者でナ」

【曲 三橋美智也 達者でナ】

Navi 時刻は12時14分を回りました。この時間は石井姉妹ゲストにお呼びいたしまして やわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~をお送りしております。

唐崎 やわらか熊谷で梅林堂にまつわる思い出話とか今日しなくていいんですか。

Navi そうですね何かあるんですか梅林堂?

唐崎 では私、唐崎の方から、はい。うちは梅林堂箱田本店のそばに実家がありまして、小さい頃の誕生日ケーキは毎年、おばあちゃんが梅林堂でケーキを10個買ってきてくれるっていうのが恒例でした。梅林堂というと、おばあちゃんが買ってくるケーキ10個で、うちは5人家族なんですけれども、私は双子なもので、はい、双子の分で1人二つずつ、倍の数おばあちゃんが毎年自転車で買ってきてくれました。夕方になると「そろそろ来るかな、そろそろ来るかな」と思って待っていた思い出があります。

戎居 うちは家業でピアノの仕事をしています。主人が調律の仕事をしておりまして、その関係もあってピアノ教室に娘たちが行かせていただいていたとき発表会のお土産のお菓子は、梅林堂さんにいつもお願いして、作っていただいていました。

Navi やっぱりあの梅林堂は熊谷に根付いるというかお世話になっておりますが、この時間のタイトルは第2回ということで やわらか熊谷僕らがつなぐ物語 一番街のひみつと石原米です。今日はこれをお題として広げていければと思っています。そもそも一番街というところ皆さんラジオ聞いてる方はご存知かなと思うんですが。

2 一番街のひみつ

唐崎 八木橋の近くの商店街のことを言うんです。西側に続いている、旧中山道がありまして、今から65年前に一番街という名前がつきました。それまでは石原旧中山道通り、いう少し長い名称でした。商店街の名前を、なんと公募していまして、その公募した資料が図書館から出てまいりました。まずお名前を懸賞でね、あなたの手でお選びくださいということで、その当時、昭和34年なんですけれども名前が付けられる一等賞の賞金が5,000円ということでした。そこで一番街っていう名称が決まったそうなんです。

Navi そもそも戻っちゃうんですけどもなんで唐崎さんはこの一番街に詳しいんですか。

唐崎 ただ近くに住んでいたからです。はい。その一言に尽きます。子供が生まれて、夫の実家である本石に住んでいるんですけれども、私が生まれた熊谷市大原という地域は、その当時も田んぼが結構多くて、ちょっと北の方に行くと桑畑、いわゆる当時の新興住宅地でした。私、割と古いものが好きなんですが、実家の周りにはその古いものがあんまりなかったんですね。こちら本石の方に来ましたら古いものがいっぱいあって、歩いてるだけでも楽しくて、子供にかこつけて子供と一緒に散歩で練り歩いていました。子供がいるって本当に怪しさが全くなくなるのです。

Navi どういう意味ですか

唐崎 子供を連れてると2歳児の人を連れているだけで、善人になるって元埼玉県教育委員会の教育長をされてた松井和さんがおっしゃってるんです。もう2歳児を連れているだけで、不審者じゃなくなるんです。

やっぱり街角でたたずんでジロジロ何を見てるのだかよくわからない挙動不審な行動職務質問されそうな行動も子連れであること和らぐそうです。なので、もう本当にもう子供がいなかったら、あの人何なんだろうっていうくらいその場にとどまっていました。

Navi 一番街に魅力があるということですね、唐崎さんには一番街を案内してくれるということで石原小学校で3年間もやっていただきました。

唐崎 そうですね「お願いします」といきなりだったんですよね。「2年生の生活科見学が5日後にあるんだけれど、唐崎さんごめん、案内してもらえないかな1クラス5分で4クラスあるんだけど」っていう電話が関根校長からかかってきた年があって、何言ってんだろうこの人って思ったんですけれども(笑) 無茶ぶりです。5日後ですから。

ここで私、断ってもよかったんです。でもこんなにいい場所が、石原小のそばにあって、地元の子が地元のことを学ぶきっかけになるんだったら、私新参者ですけど本石にまだ10年しか住んでないけれども、伝えられることは伝えようじゃないかと思って引き受けました。

Navi ありがとうございます。本当にお世話になりました。

唐崎 石原小学校区にある本石の周辺にコロナのときでもみんな遊びに来てねっていう、柔らかく地域と繋がっていく中で、本石には本当に面白い方がたくさん住んでらっしゃるんですよ。ちょっとお話しただけでもこの人はこんなにここについて詳しいいろいろなプロフェッショナルな方がいる商店街なので、もう本当にお話してて楽しくて、こういう面白いお話を私だけで止めていくのは勿体ないから、子供たちに聞かせたいと思ったんです。

Navi 私も実はね、なんで唐崎さんに急にお願いしたかっていうと、熊谷修学旅行や街歩きがコロナ時代の外へ出られなかったときの旅行に「本石はどうですか」っていうご提案を唐崎さんにいただいていたのでついおねがいしちゃいました。

唐崎  その提案は「本石の面白い人たちから話を聞こう!面白い人を紹介できますよ」という私が案内する、という話ではなかったんです。でもご長老の話はとても5分では終わらないので私が5分で話すしかない。それで私もすぐ勉強して、一番街を歩いて見たら、それはそれはロマンを感じたのです。銭湯があったり、古い床屋があったり、それからあと昔、丸善っていうデパートがあってその上に観覧車があったんですね。その観覧車の跡がまだ残っております。その跡を、今年、赤い色に綺麗に塗り替えたのであの八木橋の南側にある歩道橋のところからカノーヤさんの上なんですけれども、見ていただけると、あれが観覧車かっていうのがわかると思います。ちゃんと塗り替えてるんです。塗り替えて綺麗にしているからすごいですよね。

Navi きっとラジオを聞いてる方もそういえば「八木橋の隣の丸善に観覧車があったよ」っていうように思い出してくださると思うんですけど、その話を唐崎さんからはじめに聞いたとき すぐ行って取材をしてというか当時学校の校長なのに一番街の取材をしていたような気がします。今と似たようなことをしてたかなと思うんです。見学では唐崎さんにはたくさん説明していただいて、説明だけじゃなくていろいろ作っていただいちゃいましたね。

唐崎 そうですね。絵地図っていうのを最初に作りました。石原小の2年生からかわいらしいお便りが届きまして。「見学させてもらってありがとうございます」ってかわいいお礼の手紙が届いて嬉しいなって全員分読んでいたんですけれども、私がそのときに一生懸命そのおじいちゃんおばあちゃんから聞いた昔の話とかを2年生に伝えた結果、全然うまく伝わってないってことがわかったんです。難しかったんだなっていうのもあるし、伝わってるけど、正確じゃなかったりとか、そういうのがあったので1人1人にお返事を書きたかったんですが石原小生徒が多くてね30人の4クラスとか、みんなに書くと120人分のお便りになってしまうので、今回歩いたところの地図で、地図だけだと読みにくいだろうからもう絵とかイラストとか含めてそれを本当のところはこういう話だったんだよっていうお返事のつもりで地図を作成しました。

Navi イラストマップということでよくできてるんでお見せしたいんですけどもラジオではなかなかお見せできないですが。最初の初代のイラストマップには玉章堂閉店という情報がありましたね。

唐崎 イラストマップとか作品っていつもそうなんですけれども、やっぱ締め切りがないと、なかなか仕上がらない。なので、このときは11月の26、28日が最後の玉章堂閉店セールだったので、それまでに絶対間に合わせるぞと。学校に渡して、学校が印刷して子供に配るというのが間に合うように作成しました。

Navi 書道用品の専門店でもあった玉章堂、みんな筆を買いに行っていたお店がなくなっちゃってっていうことですね重大なことです。

唐崎 最初に歩いたのが令和3年(2021年)の10月20日で閉店が11月26日なので、はい1ヶ月の間にとにかくこのお返事を書こうと思って頑張って描きました。

Navi 地図の肝になっているのは北条堤っていう言葉ですね。これは一体何なんでしょう。

唐崎 北条堤っていうのは今の70代以上の方は一番街周辺にお住まいの方は覚えてらっしゃるんですよね。小さな1メーターぐらいの堤があったんです。突堤と言って今の荒川堤みたいに、川の両端にずっとあるっていうわけじゃなくて、今の熊谷の町内(まちうち)ですね八木橋の方とか、旧熊谷町の商店や家を荒川が洪水で荒れたときに水が行かないようにするためだけの、町内(まちうち)だけをとにかく守るぞという堤だったようです。ちょっとした土手があったんです。70代以上の方は、よく言うんですよね。「土手があった」って、今のあのいわさき歯科の辺りに八百屋があったんですけど、その八百屋のことを「土手の八百屋」って言ってたらしいですよ。

Navi いや今は全然ねわからないです。平らですよね

唐崎 どう見ても平らなんですけれども、ちょっと南面に今の新しい国道17号を作る時、造成する時に削られたという話でした。

Navi 子供たちに「土手があったんだよ」っていう説明をしてくださっていて、子供たちそれを聞くと変わりますよね。

唐崎 そうですね。熊谷って平らな土地だと皆さん思ってると思うんですが、実際に歩いてみると、ちょっとした起伏があるんですね。土手のところはやっぱり少し高くなっています。

Navi 2年生の子供が,体験して新しい知識を得ると,今度はおうちの人に伝えたりとかっていうことで、すごく体験的な学習の意味があります。先生っぽくなりましたね。

唐崎 最初のきっかけはこちらからで、本石を歩いたらどうかっていう提案ではあったんですけれども、関根先生が5日前に無茶ぶりしてくれ、そのおかげでこの最初の地図ができて、この地図を見て、石原公民館長さんが、「ふるさと教室」というのがあるからぜひやってくださいというありがたいお話をいただきました。公民館長さんが「ふるさと教室」はカラーでいいよって言われたんですよ。私も最初の地図は学校で配ることを考えて、モノクロで作りました。館長さんはさらになんならA2サイズでもいいよと言いました。ふるさと教室の前の日に私と平井館長さんと奥様と3人で公民館の一室にこもりまして3人でA3コピーをA2に貼り合わせるという作業をやりました。地図は今、なんと八木橋さんに常設されていまして、本当にありがたいです。ラジオで見えないので見に行きたい方は八木橋の中に二箇所あるのですが、一つは一階のさいしん側の入り口近くの掲示板、二つ目は8階の休憩室が新しくできていまして、そこに私の地図が飾ってありますのでぜひぜひよかったらお買い物は八木橋!!八木橋に行ったときに見てください。あと、いわさき歯科さんにも置いてあります。一番街を歩くときにここを見てくださいっていうのが描いてあります。歩くときに起伏があるっていうのを感じてほしい。中山道って山の中の道って書くだけあって、東海道に比べて水害が少ない道だったんです。水害が少ないということはすなわち高いところに道があるので、旧中山道の一部である一番街を歩くと、両側の方が道より低くなって、道がとにかく一番高いと思います。そういうところも見ていただけると面白いなっていうのと、子供たち歩くときに何か探した方が楽しいと思ったのです。八木橋の昔のマークを探してみようって問いかけると子供たちは、どこだろうどこだろうって探すんですね。大人の方も関根先生も最初見つからないんですよ。

Navi 本当に見つからなかったです。

唐崎 昔の八木橋マーク今でもありますので、よかったら探してみてください。

Navi 答え教えてくれないんですね。

唐崎 それは自分で見つけた方が楽しいので、

Navi 戎居さんは知ってるんですか?八木橋マークの場所?

戎居 いや私もまだこれから 探しに行きましょうね

Navi はい 石井姉妹の話題はこれから、石原米にいきます。早く行かないと時間が無くなってしまいます。では米の曲をかけていきたいと思います。米米CLUBで浪漫飛行、どうぞ。

【曲 米米CLUB 浪漫飛行】

3 石原米のお話

Navi 時刻は12時38分をまわっています。この時間はやわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~をゲストに石井姉妹をお迎えしてお届けしています。米米CLUBでこれからお米の話するんですけれども、なんと歌ってる人も石井さんだったってすごいですね。さて石原米ですね。

唐崎 はい。まず石原小学校の校章が石という文字に周りが稲穂なんですね。私が小学生の時代はまだ家の周りに田んぼがたくさんありました。石原はお米の産地でした。この辺はやっぱり荒川の伏流水とか。あと下に砂利が多かったので、水はけが良くて、とても美味しいお米が採れたよと言われています。献上米とかお水も献上水、江戸時代に美味しい江戸前のお寿司のところに石原米が届けられて使われていたといわれています。

Navi いやそもそも石原米って食べたことあるんですか?

唐崎 食べたことがないんですよね

戎居 販売所を見たことはあります。なんかうちの近所の交差点に「石原米、忍藩の殿様への献上米」って張り紙のあるお米屋さんがあったんですけれども、ずっと気になりながらも結局買いに行かないうちに閉店されてしまって、幻の石原米なんですよ。

唐崎 石原米がすごく美味しかったっていう話は、昔の人からも聞くので、ちょっと食べてみたいです。しばらく公民館のふるさと教室を何回か続けさせていただいているんですけれども、お米が気になって今、石原小学校の校区の中に田んぼがどのぐらいあるんだろうそれが気になりまして調査しています。

Navi そんな!だれもお願いしてないじゃないんですか?

唐崎 誰にも頼まれてないんですけど、「石原米を探せ!プロジェクト」が勝手に発動しています。私たちは。いしいしまいなんです。石石米と書いて石井姉妹、ラジオネームで使わせていただいているのです。

戎居 石石米です。どんなプロジェクト(笑)なんだか知らないですけど、ある時夏のもう暑い日にですね、昼下がりに、妹の瑞穂からLINEがポンッてきまして「今、家にいる?」とか言われて、いるにはいるけど、「なんかさ、そっちの方のさ、田んぼとかあるとこ知らない?」とか言われて。

唐崎 そう、そう。

戎居 ちょっと心当たりが何ヶ所かあったので「わかった。行ってみる」なんて言ったら妹の瑞穂が自転車で麦わら帽子かぶってきましてね、暑い日でしたけどもちょっと探索というか挙動不審な感じだったんです。

Navi お子さん連れて?

唐崎 まだ子供は学校に行ってたので、女2人だったらまだ大丈夫かなって、でも結構怪しかったですよ。ここ田んぼなのか、季節的に田植えが始まる前だったんですよ。素人なので、これは田んぼか畑かっていうのがちょっとわからなかったんです。自転車で回るよりも歩きの方がやっぱり街歩きって歩くスピードで街を見るってすごく大切なので、お姉ちゃんち(笑)に自転車を置かせてもらって、ちょっと水を一杯飲んで探索しました。そもそもあの上石地区は、上石原といって一番街の本石がある石原とそのタイプが違うんですよね。同じ石原村だったんですけれども、どちらかというと商店が多くて、熊谷町にタイプが近いのが、本石(下石原)で戎居さんが住んでるところは、上石原で豪農が多いんですよ。だから家の造りも違って、本石の方は、いわゆる鰻の寝床というか、間口が狭くて奥行きが長いという商店独特の家の作りなんですけど、秩父街道の方に行くと、家の屋敷構えがまず違う。蔵があって母屋があって、もう入口から長屋門のある立派な豪農の作りで、同じ石原でも違うぞと実感しました。

Navi そもそも石原地区って用水がたくさん引かれてますね。成田用水っていう名前で、石原小の学校の校庭と校舎の間も実は成田用水が通っています。

唐崎 校長先生の時代に明治時代のマンホールが残っていましたね。あれもう本当に欲しかったんですけど撤去しちゃったんですよね

Navi すみません、そう明治時代のマンホールがあったんですよね。学校の中で子供がつまずくから、早々取り替えたんですよ。いやいやそれは安全上のことですからね。ところで石原米を捜索に行ったプロジェクトどうだったんですか?

唐崎 そうだ。

Navi どうだったんですか。

戎居 そうなんです。なんかそのときはよくわからなかったんですよ。まだ刈られていない麦が植わっていたりして。こちらの方ではまず麦を植えて麦を刈ってから米を植えたりとか、そういうところが多いので、今は麦が植わってるけどこの後どうなるんだろうとか、結構長いスパンでみないとわからなかったです。その後時々の現状を報告しつつ、でも結局私の家の近所の辺りではちゃんとお米を作ってらっしゃるところっていうのはあまりもうないなっていう印象でした。瑞穂さん、熊谷商業の方へ行くとどうでしたか。

唐崎 そちらもだいぶもう少なくなっていて、私が田んぼ2枚分ぐらい見つけたところはこれから田んぼやるんだっていうのがわかったんですよ。苗床が来てて、用水がサラサラサラって流れていて本当にいい風情だったんです。だからそこもぜひ石原地区の人を案内したくて、、、今度、石原公民館で秋にハイキング企画があるっていうのでぜひ皆さん田んぼのところまでご案内したいです。近くに赤城神社もあるので最終目的地は赤城神社かな。赤城神社は正式に赤城久伊豆神社と言って 赤城様と久伊豆様が合祀されているんです。参道が二つあり、一つは赤城山に向かっていると言われていて、もう一つは荒川に向かっていると思うんです。久伊豆様は水の神様で昔、荒川から成田用水を引いた時にお祀りしたのですが川の流れが強くて久伊豆神社があった場所が削られてしまい今,赤城神社と一緒にお祀りされています。周辺はやっぱり田んぼがいっぱいあったんだなっていうことがわかります。石原村にとって 赤城久伊豆神社はとっても大切な神社です。

navi  私が最近知ったのはそこで胎内くぐりやっていて,高城神社だけじゃなくて,ここでもやってるじゃんすごいなと思って、石原の人はね、胎内くぐりあと秋にもお祭りがあったりとか、そういうものお祭りとかがあったらもうすぐですね。今月ですか。いつですか

戎居 確か20日あたりだったと思います。あ、もうすぐですね。神社の係をさせていただいて、一通りの行事を経験してやっぱり秋祭りが一番、神事が豪華というか盛大だった印象がありました。やっぱ実りの秋っていう感じですかね。

Navi  10月20日赤城久伊豆神社でお祭りがあるということでね。このプロジェクトもいいんですけども唐崎さん米作ったみたいじゃないですか。

唐崎 そうなんです。お米をどうして作ったのかというと,私の知り合いに兼業農家さんがいらっしゃって,田植えのときに、農家さんってちょっと多めに苗を用意するらしいんですね,その苗を余ってるから、植えてごらんといただきました。ちょうど息子が昨年5年生で、石原小学校でも田植えの経験を学習していたので,去年からバケツ稲といって、家の屋上で育て始めました。あんな暑い屋上で灼熱の熊谷で、しかも17号沿いでもう本当に緑なんか全部死滅するような死の世界のようなところで米つくりができたんです。「彩のきずな」暑さに強いらしいんですよ

Navi  実物の稲がこちらスタジオに来てますね 

唐崎 そうなんです。ラジオで見えないのに持ってきました。音だけいいでしょうか。さわさわ(稲をそよがせる)

Navi  そうそう 音が聞こえますか?

唐崎 夏の間の癒やしです。先生!トンボが来るんです。やる前はそんなの1匹も見たことなかったんです。

Navi  屋上に糸トンボが何匹も来た。それはビオトープっていうやつですね。水があって植物があるとビオトープ「小さな自然」ができるんです。

唐崎 自然は何とかしようと思えばできるというか、もしかしたら石原米を復活させようなんて考えていく上でね、みんなでまた米を作っていく,もしかしたら詳しい方もちょっと確認しないとなんですけれども、地域的なブランド名みたいな感じでその彩のきずなとか、品種じゃなくて、地域ブランド名で石原米って呼ばれてたのではないかとも考えられますね。

Navi  何か,深ぼりする前にあっという間に終りの時間になってしまいました。(エンディング 僕らがつなぐ物語がながれる。)はいこの曲が流れるとエンディングです。まだまだこの石井姉妹にはお聞きしたいことがたくさんありますのでまた出演していただきたいと思います。

石井姉妹 はい!

Navi というわけであっという間に終わってしまいましたがやわらか熊谷~僕らがつなぐ物語~第2回は、「一番街のひみつと石原米」ということで,石井姉妹 唐崎瑞穂さんと戎居見世子さんに来ていただきました。今日はありがとうございました。

石井姉妹 ありがとうございました。

Navi また来てくださいね