聞き逃しweb produce by ishishimai
梅林堂presents やわらか熊谷~ 僕らがつなぐ物語~
10月28日(月)12:00~12:54 FMクマガヤ
Navi 時刻は12時を回りました。AZ熊谷6階 FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りします。月曜のお昼は「やわらか熊谷僕らがつなぐ物語」、この番組も第4回を迎えました。今日は「日本を代表する写真家、佐藤虹二と新井英範スタジオ」ということで準レギュラー?のゲスト石井姉妹と主役の新井英範さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
一同 はい、こんにちは。
Navi まず今日ゲストで来ていただいた新井さんを紹介する前に石井姉妹のお二人を紹介します。本名はですね戎居見世子さんと唐﨑瑞穂さんです。今日もありがとうございます。
石井姉妹 よろしくお願いします。2人とも旧姓が石井なので「石井姉妹」とラジオで名乗るようになりました。
Navi あと石が二つで石石米で石井姉妹ということですね。石井姉妹は石原米のときだけ登場すると思ったら大間違いで、この2人はかなりいろんなところでご活躍ということなんです。ところで昨日何やってたんですか?
瑞穂(石井姉妹 妹) 私は熊谷市役所の北側にある成田用水・箱田用水とも言うんですけれども、その用水路のお掃除と生き物調査、そのあとプチ作品展ということで、川の中に子供と一緒に入って遊んでまいりました。
Navi そんな楽しいイベントやってたんですか!
瑞穂 先生にも伝えてたんですけど、先生もお忙しいですからね
Navi 行きたかったです
瑞穂 川に入って魚をとってました。ヌマエビやドジョウ、体長20センチほどのナマズもいて。いろんな方が参加してくださって川も綺麗になるし、楽しかったですよ。
Navi 瑞穂さんはそんなことやってたんですね。ありがとうございます。見世子さんはなにをしてましたか。
見世子 私は自治会の防災訓練で、午前中、上石公民館に行きました。そうしましたら、今までずっとそこにあったと思うんですけど、昨日初めて廊下のキャビネットとガチで目が合いまして「上石歴史200年史資料」っていう張り紙が貼ってあるのに気がついて、これは!と思って。「今度、館長さんにお願いして2人で見に行こう」と話してました。楽しみです。
Navi 2人の探検はどこまで行くんでしょうね。さあ今日の主役、新井英範さんを紹介したいと思います。お2人から紹介してください。いろいろな冠がつきそうですけど、写真家のこの方はどんな方ですか。
瑞穂 いや写真に関して言ったらすごく尊敬するんですけれども、近所に住んでる方はそんなこと全然多分気づかれてない、普通にその辺を歩いているおじさんって思われてると思うんですけれども。
見世子(石井姉妹 姉) そうですね。新井さんはスタジオの前にお花をいつも咲かせていて、朝水をくれてて…だからあんまり、カメラマンがここにいるんだっていうのは、そんなに認知されないのかもしれない。
Navi ちゃんと紹介してくださいよ!私が知っている新井さんといえば写真集出していたり、いろんな写真のことについて造詣が深かったりして、私がスタジオの前を通ったとき、スタジオに入れていただいていろんなお話を聞かせていただきました。本当に本石が誇る写真家です。ということで新井英範さん、今日はよろしくお願いします。
新井 はい、よろしくお願いします。私は秩父郡大田村というところで昭和23年に生まれまして今年76です。もういい年になりました。育ちはこっちで石原小学校、荒川中学です。写真は1977年から1年間、ワークショップ写真学校というのに通いました。細江 英公教室の3期生です。「学校」って普通だと先生を選べないですよね。だけど生徒の方が先生を選ぶっていうので始まったのが「ワークショップ写真学校」なんです。この学校は3年間だけの開講でしたが、先生は荒木経惟や奈良原一高、東松照明、森山大道など有名な写真家ばっかりでした。
瑞穂 新井さんは、なんで細江先生を選んだんですか。
新井 細江先生のところは暗室技術がすごくいい。プリントの綺麗さとかを教えてもらいたいなあと思ってね。感性は教えられないけれど、やっぱり技術面のことで先生のところにつきまして13人の少ない人数で勉強してました。週に1回土曜日ですね。
瑞穂 新井さんのプリントの綺麗さっていうのは、写真集の話がこれから出てくると思うんですが、ぜひ皆さん、あの、ラジオで見せられないのが本当に残念なんですが、写真集を手にとってぜひ見ていただきたいなと。本当に素敵な技術なので、ラジオ終わったらぜひぜひ検索してもらいたいと思います。
Navi やっとちゃんと紹介してくれてありがとうございます。石井姉妹は新井さんの何かお手伝いしてるらしいじゃないですか。何してるんですか?この2人と。ちゃんと説明してください!
見世子 はい、新井さんは数年前からご自分のオリジナルの写真集を作られるようになって1作目が「巌窟ホテル」、2作目が「108フォトグラフス」っていう写真集なんですが、その編集作業を妹の瑞穂さんと私とあと何名かで関わらせてもらってるんですよ。
Navi この姉妹…!
瑞穂 楽しそうでしょ(笑)
Navi クオリティの高い写真集を作られてるんですね。
見世子 ありがとうございます。
Navi この「新井英範スタジオ」そこはすごい世界なんだなと。私はもうびっくりしちゃって、写真展も何回か見てました。八木橋のカトレアホールで去年…
新井 去年のちょうど今頃ですね。
瑞穂 そうそう10月の今ごろ、八木橋8階の「カトレアホール」で、ご覧になった方もいるとは思いますが、新井英範写真展「巌窟ホテル」が開催されました。行くとその世界というか、新井さんの写真の世界に触れることができる、良い展示になったと思います。
Navi 今日は、新井さんからですね、イチオシの「佐藤虹二」という熊谷が生んだ日本を代表する写真家についてお話を伺えればと思います。新井さん、佐藤虹二の紹介をお願いします。
新井 佐藤虹二は本名長吉といいます。明治44年、1911年に生まれて、昭和30年、1955年に享年44歳という若さで亡くなったんですね。私が佐藤の作品と知り合ったのが、平成6年。熊谷市立図書館の美術展示室で「作画の名手、佐藤虹二展」というのを見たんですね。このときに、当時のスタッフの青山美野子っていう画家と見に行ったんです。2人で見ていて、これはレベルが高いなと。これはここだけで終わらせたくないなということで当時の館長さんにちょっと話したんですが、あんまり興味がなさそうだったんです。
それでうちに帰ってきて、すぐその足で東京都写真美術館に電話したんです。東京都写真美術館は1990年に開館したまだ新しい写真美術館で、そこで「佐藤虹二買ってくんないか」と単刀直入に言ったのね。写真美術館は当時まだ出来たばっかりなので作品を集めてる最中だった。収集リストの中に「佐藤虹二」が入ってたんですよ。佐藤虹二の名前を出した途端に学芸員の方から「『黒マントの男』はあるのか?」って言うから、知ってんだなと思って。そのあと『スキーヤーの肖像』はどうだとか、『父と母の顔』はどうだって言われたから「全部ありますよ」って言ったんだ。
東京都写真美術館の学芸員の方は熊谷で空襲があったのをご存知でね。写真なんか燃えて当たり前なんだけど、佐藤虹二は作品を疎開させて、ご自身がずっと持ってたんです。戦争を経ている場所の写真ってのはなかなか存在しないんです。それで写真美術館はかなり喜んで早速、展示中に熊谷まで見に来たんです。熊谷の展覧会が終わってすぐ、私と青山は車に資料と写真全部積んで東京都写真美術館に持ってったんですよ。それが最初です。その結果、東京都写真美術館は38点コレクションしてくれた。その中で20点を購入、18点が寄贈ということが決まったんです。
これで終わりのような感じもしたんですが、余った写真、使わなかった写真はこちらに返ってきて。もっともっといいのがあるじゃんか、と思って俺はもう一度、写真美術館がいらないって言ったものの中でよさそうなものを選んで「ツァイト・フォト・サロン」へ持っていったんです。
「ツァイト・フォト・サロン」というのは、写真を美術品として取扱う日本で最初の画廊で、そのオーナーである石原悦郎さんっていう方に見せたんです。
瑞穂 「石原」!がここでも出ましたね(笑)
新井 そう(笑)。それで石原さんは見た途端に「これをやりましょう」と。すぐ展覧会をやっていただきました。当時、写真の世界でこの「石原悦郎さん」って有名な人でね。「ツァイト・フォト・サロン」は世界中に日本の写真家を紹介してるわけですよ。結局そこで佐藤の作品を20点飾ったのね。そのうちの何点かを石原さんが世界に向けて紹介したんですよ。そこで引っかかってきたのが、ヒューストン美術館です。すごいですよね。ヒューストン美術館ってのは、毎年ヒューストンフェスティバルって写真の祭典をやってるぐらい町自体が写真で盛り上がってるところです。そこに、2点買っていただきました。
そしてもう一つは、島根県立美術館にも買ってもらったんです。9点です。これ「なんで島根なんだ?」っていう話なんですが、これは世界的な写真家の「植田正治」、この人のコレクションがあるからなんです。佐藤は植田正治のライバルだったんですよ。二人は戦前の写真雑誌に色々と出していて、当然植田さんも佐藤のことを知っていた。その関係で9点買っていただきました。植田正治さんには後で「佐藤虹二はライバルでしたか」と確認したんだよ、「ライバルだったらしい」と聞いてるだけだったから。
見世子 2000年に佐藤虹二の展示を深谷で開催するにあたって、お手紙出したんですよね?
新井 そう。その時に「私の良きライバルでした」っていう直筆のお手紙をいただきました。スタジオにあります。
瑞穂 2001年には熊谷の八木橋で「佐藤虹二の写真集・出版記念展」を開催しました。植田正治の手紙の全文はその写真集「佐藤虹二の写真」に掲載しています!
Navi すごい話ですね。佐藤こうじさんは漢字では、虹に二って書くんですけどもね。佐藤虹二さんっていう名前を私が知ったのは石原小学校150周年の歴史を調べてる中で、「石原小学校の卒業生で有名な方はいますか」って聞いたら、米山さんという方から「佐藤虹二」だよ、と。そして『黒マントの男』だよと教えてもらいました。『黒マントの男』を見た時、作品が印象的で、目に焼き付きましたね。すごい写真ですね。どうやって撮るんだろうって思いました。他の写真もすごい写真が多いんですが、やっぱりどうやって撮るのかなと思いました。もう、ちょっと計り知れないです。戦前の写真ですからね。新井さんに、もう少し聞いていきますが、ここで曲に行きたいと思います。
新井 「せんこう花火」ね。吉田拓郎の「せんこう花火」をお願いします。こないだみんなで線香花火をスタジオでやったので、、、。
Navi え?大丈夫ですか。スタジオでですか?
瑞穂 「いい線香花火が手に入ったから来ないか」っていう連絡が新井さんから来まして…
新井 拓郎のフレーズを歌いながら線香花火を室内で、昼間の照明の中でやったんです(笑)
Navi では聞いていただきましょう。吉田拓郎で「せんこう花火」
【せんこう花火 吉田拓郎】
Navi 時刻は12時19分を回ったところです。この時間は「やわらか熊谷僕らがつなぐ物語」を生放送でお届けしています。今日のテーマは「日本を代表する写真家佐藤虹二と新井英範スタジオ」ということで 石井姉妹と新井英範さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
一同 お願いします。
Navi 先ほど、日本を代表する佐藤虹二さんについていろいろご紹介していただいたんですが、なんか最近の新聞も騒がしていた出来事がありましたね
瑞穂 はい。ある日、新井さんと2人で佐藤虹二さんの息子の憲史さんのうちに行く用事がありまして。2人連れだって、そのときの用事は大したことではなかったんですが、佐藤憲史さんが「そうだ、新井くんちょっと見て欲しいものがあるんだ」とおっしゃいまして、すごいラフに、佐藤虹二の作品を抱えてきたのです。そして「これを何とかしてくれないだろうか」って言うんです。あの佐藤の作品をそうやって持ってくるんだって、私はびっくりしたんですけれども…
新井 これは簡単に処分はできないけれども、自分たちが持ってても困るから、もう写真のことは新井くん何とか頼むよと言われました。
Navi 佐藤憲史さんにとって「新井くん」なんですか
瑞穂 新井くんっておっしゃいますね。佐藤虹二を東京都写真美術館とかヒューストン美術館、島根県立美術館に売り込んでくれた「新井くん」です(笑)
新井 私はこの方(唐崎瑞穂さんのことを)をみずほって言ってますからね。
Navi そういう感じなんですか。信頼されているのですね。
新井 すごく信頼されているというより、そこにいただけという。
瑞穂 いや、かなり頼りにしてると思います。
Navi 私は今、本物を手にしてるんですけれども、この写真が、このそのままのプリントであったのですか?
瑞穂 そうです18点。
新井 今日持ってきたこれ(『漁師像』のこと)は、東京都写真美術館にあるやつだよね。
瑞穂 そうですね、東京都写真美術館に入っています。
Navi 本当オリジナルの写真をラジオで伝えるってむずかしいけど、これお姉さん、伝えてください。
見世子 はい、これはどんな作品ですかって言うと、今、私たちが見ている作品は、『漁師像』っていうタイトルで多分荒川に行って、毎日のようにお魚をとってたおじさん、初老のおじさんのね、なんかガハハッと笑ったクローズアップ写真なんですよ。帽子をかぶって金歯丸出しで笑っているおじさんの笑顔のアップの写真なんですけど、背中に網をしょって、もうなんか黒光りするような、すごい明るい笑顔のおじさんの写真なんです。
瑞穂 憲史さんからもお話伺ったことあるんですが、憲史さんのおじいさん、つまり佐藤虹二のお父さんは、自転車卸の仕事を息子の虹二に引き継いでから、割とキノコ狩りに行ったり荒川に行ったりしてたそうなんです。漁に使う網を家の庭にかけて柿渋を塗ってメンテナンスをしていたのを覚えてるんだとおっしゃっていて、それが臭かったんだよねって。その漁仲間なのかなって私は思ってます。
Navi 新井さんこの写真どんな写真ですか?
新井 この写真?なんてっていいか言葉で伝えるのが難しい。
瑞穂 そんな方だから写真家をやっているのかも知れないですね。
Navi この写真の作品に映っているのは、普通の方なのに、すごい迫力があります。そういった沢山の人の顔のアップの写真が多かったんですよね。
新井 そうなんですよ、佐藤はクローズアップのレンズがない時代に、アップで写真を撮るために、だいぶ工夫してました。息子さんに聞きますと、レンズとカメラボディーの間に今はマウントアダプターなんて言ってるけど、自作のマウントアダプターっていう2、3センチぐらいのを。なんていうんですかね。
瑞穂 金属の筒です。
新井 そう、その金属の筒をレンズとボディーの間にかませて、アップがそれほど近づけないこの時代に、そういうのを工夫して作って撮影してたっていうのを憲史さんが言ってました。
Navi なんかいよいよいい感じのお話がきけますね、
瑞穂 写真家っぽいですね。
新井 何を言ってんだ。
Navi ちょっと新井さん、私が聞きたいのは『黒マントの男』の撮影技術っていうか、そういったことを教えていただけますか?これ、ただ撮っただけじゃない、どんな工夫があったんですか?
新井 この写真は演出されてるの。撮影風景っていうのは、先ほど紹介した写真集「佐藤虹二の写真」の中にもありますが、佐藤さんの家のお風呂場で、昭和11年に須賀 重さんっていう方をモデルに撮影しています。この方は昭和19年戦争で亡くなってるんです。フィリピン沖かな?亡くなってるんですけど着ているのはカッパです。別の方が、このカッパに上から水をかけて…
見世子 特大ジョウロを二つ、4尺(約1m20cm)の長い棒につけて、雨を降らせた。
瑞穂 そして、照明係の人がライト1燈持っていたと。
新井 そういうふうに撮ったんです。そして、写真っていうのはね、プリントするときが作品です。プリントはコピーだと思ってる人が随分いるんですよ。だから簡単だと思ってる。現像液に入れりゃ絵が出てくるんじゃないかと思ってるけど、絵は出てくるけど、それをコントロールしていくわけですよね。それは技術が必要で、かなり重要なんです。佐藤は顔の周りを全て黒めに潰してるんです。つまり背景の部分は全て佐藤が「焼き込み」しています。焼き込みは、穴の開いた紙を使って光の量を調節する。その穴の大きさがいっぱいあるんです。例えば2ミリぐらいから3センチくらいまであって調整する。私もその紙を10枚ぐらい持ってますけど、穴の大きさで変える。その穴に光を通したところだけが焼け黒くなる、要するに焼けるんですよ。時間によって。だから、どのぐらい、何秒焼き込むかっていうのが腕です。だから黒がだんだん濃くなってくるんです。写真をですよ。
瑞穂 今の人には中々わからないと思いますが、デジタルで撮影した場合はPhotoshopとか写真加工ソフトでやる作業です。
Navi 写真は撮っただけで、どんな写真が上がってくるかわからない時代だったんですよね。それを今度は焼くときにすごい技術を使って、今のPhotoshopと同じデジタル技術でやることを瞬間にアナログでやるのですね。ということは1枚1枚が違う作品になるってことですか?
新井 そうなんですよ。全部手焼きですから、厳密に言えば同じ写真が1枚もないってことですね。だからよくネガがあればいいんじゃないかって人がいるけど、そういうんじゃないですよ。ネガがあっても本人の指示がなければ、どういう風にプリントしたらいいかってのは他人にはわかんない。ですからオリジナルと言われるのは本人が焼いたものか、本人がサインしたもの。これ以外はオリジナルとして認めてないんです。ネガは意味ない。
瑞穂 だから美術館はネガは収集しないんです。プリントの仕方が写真家によって違うので。
新井 そうですね、全員、違ってんですよ。だからここをどのくらい黒くしていいか、なんていうのは本人しかわかんない。ネガがあっても勝手に濃くしたり薄くしたりするってことは本人じゃなきゃわかんないんだよね。焼くときまでがカメラマン。写真家であれば暗室作業ってのはみんなやってますから。これは佐藤さん本人がやってる。それを含めて残っているオリジナルですからね、すごいことなんですよ。70年以上経ってるんですよ。佐藤自身が焼いているから価値がある。亡くなったのが昭和30年。それ以前の写真なんですよ。
瑞穂 それで18枚写真が出てきたので先ほどのお話に繋がるんですけれども今月の初め10月1日から6日まで新井英範スタジオで「佐藤虹二が撮ったモデル捜索プロジェクト」というのをやっておりまして、いただいた18枚の写真のモデルさんを探そうじゃないかということでした。
新井 難しいよね。最低70年経ってるからね。短くても
瑞穂 埼玉新聞さん、毎日新聞さんに取材していただいて割と大きく紙面に取り上げていただきました。でも私たちも見つかるとは思ってないんです。思ってなかったんですけれども、見つかったんですよ。とりあえずそこにポスターがあるので、そこから話しますと右上のあの帽子をかぶっている方。先ほど『黒マントの男』の撮影秘話でも出てきた、演出のライティング係をやっていた方でもあるのですが、近所にある茂木自転車の先代の若いときの写真ということがわかりました。
新井 かっこいいね。
見世子 まるで石原プロダクションの俳優さんみたいですよね。
瑞穂 ここでもまた「石原」が出ちゃいましたね!最初「もしかしてそうじゃないか」っていうことで、3代目の息子さんに確認に行ったんですよ。そしたらすごく嬉しかったんですが、今、そのモデルと言われてる方の奥様がなんと99歳で、ご存命なんです。なので、ぜひ奥様にっていうか、お母さんに「この写真はあなたの旦那様ですか」って聞いてくださいと。
Navi お願いしたんですか 茂木さんに?
瑞穂 はい。「お母さんこれ、昔のお父さんかね」って茂木さん聞いてくださって。そしたら最初、やっぱかっこいいのでお母さんが「いやうちの旦那さん、こんなにかっこよくないよ」とかっておっしゃったそうなんですよ。「そうか違ったのか残念だな」と思って、「でも、俺これから新井さんとこ行ってくるけど、もっかい聞くけどお母さんこれお父さんの写真じゃないってことでいいんだね」って聞いたら、「あらこれはお父さんよ」って。だから、この99歳の方のおかげで1枚目は無事に茂木自転車に里帰りすることができました。
Navi 何かドラマを生み出してるんじゃないすか。新井さん
新井 息子はわかんなかったんだよね。まあねお父さんの若いときの写真じゃ難しいよね。俺は幼い時に近所だし茂木さんところにパンクはよく直してもらってたけど、あのお父さんがこんなかっこよかったの、なんて感じですよ。
Navi このモデルプロジェクトっていうのは一旦終わっちゃったんですよね
瑞穂 そうですね。一応終わってはいるんですが、新井スタジオにまだ
『黒マントの男』
が展示してありますし、捜索プロジェクトの写真も手元で確認できる状態になっていますので、もし興味のある方はお越しください。
新井 お茶ぐらい出しますよ。
Navi 本当に本物の『黒マントの男』を見られる素晴らしい機会です。そしてスタジオにはなんかいろんな人がいつもいますよね。
瑞穂 そうですね。新井さんのスタジオって今どんな位置づけでしょうね、新井さん、
新井 位置づけってなんだよ。スタジオは単なる「若めのおばさんの遊びの場所」!若めのおばさんの、、、(笑)写真が飾ってあってね。
Navi すごく良い場所ですよね。17号沿いでイオンの近くなんですけれども、ラジオをお聞きになった方がですね、行ってよろしければ
新井 どうぞ。
瑞穂 「モデル捜索プロジェクト」はまだ継続中ですので情報があればぜひお寄せいただいて、FMクマガヤでもいいですし、新井スタジオでも、とにかく情報をお寄せいただければと思っております。
Navi わかりました。じゃあこの辺で、もう1曲。なんかね、おしゃれな曲のリクエストがありますね。
新井 「海を見ていた午後」荒井由美ですね。これは1970年代で、ドルフィンっていう曲の中に出てくるレストラン、今のレストランドルフィンと違って、私は70年代初め頃に最初のドルフィンに行ってたんです。ちょうど荒井由美さんのこの曲のドルフィンで、今のドルフィンとはちょっと違うんですよ。2階でワインを友達と飲んだ記憶あります。そう、前のドルフィンだから今のドルフィンとは周りの風景もだいぶ違ってね、ソーダ水の中に貨物船が通るなんてのは、今はちょっと見えない。当時はまだ海が近かったような気がします。
Navi そうなんですね、しっかり聞いてみましょう。では 松任谷由美で「海を見ていた午後」
【松任谷由美 海を見ていた午後】
時刻は12時40分を回りました。AZ熊谷6階FMクマガヤYZコンサルティングスタジオから生放送でお送りしております。「やわらか熊谷僕らがつなぐ物語」今日は石井姉妹と新井英範さんに来ていただいて、めっちゃ写真の話をしています。ここでお便りをいただいてますので紹介しますね。
ラジオネーム ブラコロさんからいただきました。新井さん、石井姉妹のお2人、そして関根さんこんにちは。先日開催された「モデル捜索プロジェクト」で新井さんのスタジオにお邪魔して写真を拝見しました。その際、写真に関するたくさんの興味深いエピソードを聞かせていただきとても楽しかったです。印象深かったのは新井さんからお聞きした作品としての写真と記録としての写真の違いについてです。たとえネガが存在していたとしても同じ写真を作り出すことができないので、今目の前で見ている作品が作者の意図した唯一無二のものであるといった内容であると記憶しています。
新井 その通りです。俺 そんな的確なこと言ってたんだな(笑)
Navi 今回のラジオでも新井さんの興味深い話が聞けるのを楽しみにしておりますということです。ありがとうございます。はい。あとはラジオネームユリさんから、このテーマ音楽を作ってくださっている有梨さんですね。「関根さんラジオを拝聴しております、写真のモデルさんが見つかったエピソード、奥様の言葉にほっこりしました。」奥様というのは?
見世子 奥様はあの99歳の、
瑞穂 そう、私たちも本当に嬉しかったですよね。写真の力でいろんな人が繋がったという。
新井 そうなんですよ。佐藤虹二をもう1回知ってもらう機会にもなったし
瑞穂 はい。またご近所に佐藤虹二の従兄弟が、まだご存命ということも今回のプロジェクトがきっかけでわかりました。90代の方なんですけれども、私、近所で顔見知りだったんですが、まさか従兄弟とは知らずにいて。従兄弟の方から写真集や昔の雑誌の中の存在だった佐藤虹二の話が直に聞けて、本当にやってよかったなと思いました。
Navi なるほど。
新井 PRになっちゃうんですけども佐藤虹二の写真集を2001年に 私と青山が中心になって作ったんですね。それで出版記念展というのを八木橋で2001年にやってるんですよ。カトレアホールでやってもらったんだけど、このときも皆さんご存知なかったのです。熊谷の人で、これほどの美術館に入ってる人なのに、まだまだですね。ぜひ知ってもらいたい。この写真集は2001年からうちの廊下にいて、20年以上20歳を超えちゃったんです。ぜひ一家に1冊サトウのご飯と
瑞穂 ご飯じゃなくて写真集という形で皆さんにね、
新井 お手元に置いて欲しいです。5000円です。日本で私だけしか売ってない、貴重です(笑)
Navi そうですか スタジオでしか手に入らない?
瑞穂 残り100冊なんですけれども。100冊って割とすぐ無くなってしまう。それぐらいの数なので、
見世子 もうね増版できないです。私も今回改めてじっくり写真集見たんですが、本当に素敵で。人物のクローズアップが多いっていうお話したんですけど、やっぱ佐藤虹二の人柄が写真を通して伝わってくる。彼の言葉もいくつか載せてあるんですが、温かい素敵な方だったんだろうなっていうのが感じられて、涙が出そうになりました。
Navi 写真をみるだけで伝わってきますね、
見世子 カメラを肌身離さないで持っていたぞ、って。撮る撮らない別にしてファインダーをいつも覗いてたって妹さんも言ってるんですけど、
Navi 一般の人を輝かせるすごい技術
新井 今日佐藤のカメラ持ってきたの。佐藤は13歳(大正13年 1924年)の頃から色々なカメラを使っていましたが、昭和8年 1933年からライカ使ってました。最初に買ったライカDⅢは発売直後に買ったようで、当時のライカって、なんでも家一軒買えるくらいだとか聞いたことがあります。
Navi すごい金額ですね。
新井 最後はライカのM3を使ってましたが、そのM3は昭和29年、1954年発売で佐藤が亡くなる前の年です。佐藤はこのライカM3も発売後すぐに買ったみたいで、
瑞穂 亡くなるまで愛用してたそうです。
新井 今日は佐藤本人が最後から2番目に使っていた愛機、ライカ スリーエフ(IIIf)を持ってきました。昭和25年の大卒の給料が1万円と言われてましたが、このスリーエフ(IIIf)は28万もしたそうですよ。せっかくなので今日は、せめてシャッター音ぐらい皆さんに聞かせたい
Navi お願いします。
カシャ
新井 聞こえたかしら
カシャ
新井 もう1回ぐらい、聞こえたかな。
Navi ライカのシャッター音でした。はいありがとうございます。
瑞穂 いま手元に「白陽会会報」っていう、当時の熊谷の写真会の会報があるんですが、そこで佐藤が書いている文章があります。「ライカを買うときに母親のポケットマネーを全部提供してもらって購入した。お父さんには内緒だった」という話が載っています。
新井 これは佐藤が最初に買ってもらったライカDⅢの話だね。さっきも話したけど、家が一軒くらいのポケットマネーです。父へは内緒というので、二階に駆けあがってカラのシャッターを押しては楽しんだものだった、と書いてあります。
見世子 会報に書いてあったことを今読んでもなにか伝わってきますね。
Navi いやあ、すごいですね本当に。佐藤さんの人柄とかね、まだまだもっと聞きたい、という方は新井スタジオに行くと聞けますね、
新井 ぜひおいでください。いま珍しくね、暗室なんか持ってる場所はないと思うんで。見たい方はぜひ、
瑞穂 はい、また片付けておきます(笑)
新井 続けて石井姉妹が片付けてくれるのでたすかります。
見世子 絶滅危惧種な新井さんが焼く絶滅危惧種のフィルム写真をね。
Navi ぜひ!今でもねフィルム使って写真撮れるんですよね。私が持ってる昔のフィルムカメラで撮っても大丈夫ですか
新井 大丈夫ですよ
Navi なんかこの話聞いたらやっぱ写真撮りたくなって、デジカメもでもいいんですよね?写真撮るの。
新井 今みんなデジカメです。でも今年になって21年ぶりにリコーから新型フィルムカメラが出たんです。若い方に人気で即日完売したそうですよ。
瑞穂 「撮影しても、すぐ見られない」不便さが、便利なものに慣れている今の人たちを、惹きつけるものがあるみたいですね。
Navi プリントして、やっと見られるっていうのがいいのかもしれないですね。
(エンドテーマが流れ始める)
Navi 時間がなくなっちゃっているので、大事なことを!新井さんの次の写真集のお話を。
瑞穂 今「巌窟ホテル」と「108フォトグラフス」っていう新井英範の写真集ありますが、現在次の写真集「日本橋」を準備中でございます。
Navi 2人が何かかかわってそうです
見世子 今、一生懸命編集作業しています。新井さんのプリントは、出来上がってまして、すごく素敵な日本橋です。特徴は日本橋を、水面から撮ってるんですよ、全ての写真。水面からの視点で撮るっていうコンセプトがあるんです。他にも隠れたテーマなんかもあるような写真集です。水面にゴムボートを浮かべましてって言うと簡単そうに聞こえるんですけど、よういじゃなかったんですよね?
新井 撮ったのは大昔、30年前ですけど、今プリントしています。今なら腰が痛い腹が痛いです。
一同 笑
瑞穂 水面からこの写真を撮るっていうのがすごい技術だと思います。
新井 撮影時の日本橋は高速道路が映っていますが、今後下に高速道路が潜りますからね。貴重ですね。巌窟ホテルもそうだったんですけど、なくなるものを写真に収めてます。
Navi お時間になってしまいまして、続きはまた新井スタジオでね。ぜひ皆さん来てください
見世子 居心地のいいところをちゃんと維持します。
新井 はい、ビール出しますのです、ぜひお越しください。
Navi ということで第4回「佐藤虹二と新井英範スタジオ」についてお話を進めてきました。新井さん、また私も伺ってよろしいですか。
新井 どうぞ、お茶でもビールでもお酒でも!用意してお待ちしています。
Navi というわけで第4回「やわらか熊谷僕らがつなぐ物語」終わりにします。今日はありがとうございました。 一同 どうもありがとうございました。