地域の方から「二宮金次郎像は、石原小の木に雷がおちてそのときに倒れた」という情報が寄せられました。貴重な情報です。現在も二宮金次郎像はありますがそれは3代目です。倒れたという像は、2代目の像です。倒れたとすると昭和32年以降の話です。


昭和32年にはまだありました。大きな石の朝礼台の隣です

この写真にはもう 二宮金次郎像はありません。

2代目二宮金次郎像を建てるときに児童代表が読み上げた文です。

大東亜戦争が始まってから半年になります。この間に皇軍が挙げた戦果は何と素晴らしいことでしょう。もう日本は戦いがどんなに長引いても米英に対して絶対に負けないという基礎を作り上げたのです。これは御稜威によることはもちろんでありますが、世界無比の皇軍の精神力と武器や機械の精鋭の賜であると思います。この武器や機械を作るためにまず必要なのは鉄です。忘れもしない昭和17年2月私たちが朝夕師と仰いできた二宮金次郎先生もついに政府の命令で応召しとなりました。私たちは悲しみの中にも「御国のためにです十分お役に立ってください。と心を込めてお送りしたのでした。それ以来私たちは何となしにも足りない寂しい心持ちにならざるを得ませんでした。先生の無言の感化に接して当時を思い出すごとにただ私たちは先生が御国のお役にたってお働きになっていると言うことをもってせめてもの慰みとしていました。
 しかし、今このところに二宮金次郎先生は再び私たちの前にその懐かしい尊いお姿を現わしたのです 私たちは朝夕先生のお姿を拝して勉強することができるのです。先生の不滅の魂は永遠に私たちを見守ってお導きくださるでしょう。私たちの胸には新しい希望と喜びがこみ上げてきます。この感激を忘れることなく今私たちは先生の前に聖戦完遂の覚悟を新たにして先生をおお迎えいたす祝詞といたします 昭和17年6月1日 石原国民学校児童総代

※この話では以下の文が出てきます

「私たちが朝夕師と仰いできた二宮金次郎先生もついに政府の命令で応召しとなりました。」これは初代の二宮金次郎像が金属製で金属が政府に徴収となることをこの言葉で書いてあると考えられます。石の二宮金次郎が子供たちを迎えていたのです。

 初代 第2次世界大戦に徴収

 2代目 落雷で破壊

 3代目 二宮金次郎像 (3代目)寄付される。平成20年2月 増田常三氏により寄贈されました。